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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.43 (2006/11/17 14:02) title:店主等物語3 〜レッツ バスタイム!〜 (後)
Name:モリヤマ (i220-221-230-83.s02.a018.ap.plala.or.jp)

 
 
「で?」
「で、って言われても…」
 アシュレイは、自店はもちろん、商店街と自治会両方の会長までを若くして務める幼馴染の気苦労を思い、毎日とはいかないが仕事の合間を縫ってたびたび『天主塔ベッド』に顔を出す。と言っても、アシュレイの父、つまり鮮魚店『阿修羅』の店主である炎帝も現在商店街壮年部ツアー参加中のため、そう長居はできない。
 たいてい隣の『ペットショップ・自由人』のレースガフト・パフレヴィーに店番を頼んで出てくる。少しくらい遅くなっても文句を言う奴じゃないのは分かっているが、それに甘えるわけにはいかない。ふたつの店を見るのはなかなかに神経を使うし、魚はやっぱり自分が直接見てさばいて焼いたものを、お客さんに買ってもらいたいのだ。
 その日も、すぐに戻るからとレースに頼み込み、ティアの顔を見て二言三言言葉を交わし、じゃあな、と帰り際。
 離れ難い思いに何の気なしにティアがもらした、そういえばこの前初めて湯屋に行ったよ、という一言にアシュレイの足が止まった。
 振り向いたアシュレイに、ティアが喜んだのも束の間だった。
「水晶宮貸し切って、おまえはなにしてたんだ」
「なにって…。普通に湯船に浸かったりサウナに入ったりしてただけだよ。皆には申し訳なかったけど、一回だけのことだし」
「一回だけのこと…?」
「アシュレイ? 君ももしかして入りたかった?」
 アシュレイの家には、炎帝ご自慢の五右衛門風呂がある。
 死ぬほど熱くないと風呂ではない、という持論(極論とも言う)から、家族以外は隣のレースくらいしか入る者はないという。
「…裏のじぃちゃんは、足が悪いからそうちょくちょくは湯屋に通えねぇ。週に一回通うのがやっとだ。それでもすげぇ楽しみにして、リハビリにもなるからって言って一生懸命自分の足で歩いて湯屋へ行く。それが、この前行ったときはなんでか臨時休業で入れなかったって…っ。おまえがっ…」
 そこまで言われて、ティアも気づいた。
 自分のために、風呂を追い出された者たちばかりでなく、湯屋の前まで来たにも関わらず風呂に入れず無駄足を踏んだ者もいるのだ。しかも、その無駄足は、一言で済ませられるものではない。ゆっくりと、一歩一歩を懸命に踏みしめて湯屋へとやってきた老人の楽しみを、自分は奪った。
「…アシュレイのとこの裏なら、『水晶宮』よりうちのほうが近いね」
 そうして、ティアはすぐに裏の爺様の家に使い羽をやった。
 もちろんそういったご老人は、なにもアシュレイの家の裏の爺様だけではない。ティアもアシュレイもわかっている。だからこれは特別。一回だけのお詫びの気持ち。
 鮮魚店『阿修羅』の定休日、送り迎えはアシュレイが背負い、湯殿ではティアが背中を流し、使い女に風呂上りのコーヒー牛乳を差し入れられ、爺様は涙を流し、何度も何度もふたりに手を合わせた。

 だが、爺様思いのアシュレイとティアの行動は、ふたりの知らぬところで思わぬ噂の種をまいた。
 噂とは、雨の日のナメクジのようにどこからともなく湧いて出るものらしい。
 なぜかその『爺様が天主塔で風呂をもらった話』が尾ひれつきで商店街界隈に回った。
 
 
 まずご近所では、使い女経由か、商店街で買い物途中の主婦連を中心に、妙にリアルな脚色つきで。
「天主塔ベッドの大浴場で、酒池肉林!?」
「なんでも混浴らしいよ」
「若様自ら、三助になって背中を流してくれるんだって!」
「それっていつでも入れんの!?」
「私が聞いた話じゃ、特別ご招待だとかなんとか…? たぶん、ベッドとか買ったらいいんじゃないかしら」
「枕じゃ駄目かねぇ…」
「ベッドカバーはっ!? 一応『ベッド』って言葉入ってんだけど!」
「九分九厘ダメだと思うよ」
「…ああ、入ってみたいねぇ」
――――はぁぁぁぁ…………。
 尾をひく大きなため息が、しばらくの間あちらこちらから聞かれたと言う。
 
 
 そして『水晶宮』でも。
「混浴!? 三助…って、湯を沸かしたり背中を洗ったりを? 兄様がっ!?」
「なんと…。守天殿が先日見えられたのは湯屋業界進出のための敵情視察だったか…っ! 冥界センターの泥風呂『ブラック・バス』などより、守天殿のセクシー三助のほうがよっぽど手ごわいですぞ、坊ちゃん!」
「せせせくしーーっっ…………」
「鼻血出してる場合ではありませぬぞ! …旦那様はこんなときに限って親父ツアー中だし。…ああ、なにかいい策はないものかッ!」
 そうして、『守天三助絶対反対派』の跡取り息子と『水晶宮第一』の番頭、その他『水晶宮』で働く者達全員で、入浴客奪取のため(実際は奪われてないのだが)案を出し合い、手始めにお年寄り優先の日時を設け、その日は予約さえあれば送迎も行うことにした。
 
「いらっしゃいませ」
「おう坊ちゃん、今日もたのまぁ!」
「ありがとうございます。今日は冷えるから、ゆっくり温まっていって下さいね」
 番台のカルミアも店主代理が板についてきたようだ。
 先日も、たまに湯船にオモチャを持ち込んだり泳いだりする子供がいることに着目したカルミアから、『水晶宮 DE こどもの日』を新たに設け、思いっきり子供達に湯船で遊んで、その中から湯屋の楽しさを見い出だし『水晶宮』を好きになってもらおうという案が出された。
 まだ採用は検討中だが、カルミアのその姿勢がトロイゼンにはなによりも嬉しかった。
 水帝もツアーから戻れば、可愛い息子の成長ぶりに驚き、そして喜ぶだろう。
 男湯の脱衣所の隅から、盛り上がった筋肉をぴくぴくさせ、二つに割れた顎の間を撫でながら、トロイゼンは満足げに笑んだ。
 結局は、湯屋にも客にもよりよい方へと転がった。
 そしてそれはつまり、商店街全体にとっても間違いなくよいことなのだった。
 
 
 
 ちなみに、先日オープンした冥界センターの『ブラック・バス』は、特製の黒い泥風呂で美白効果があり、別料金で全身エステの予約も取っているとか。
 もちろん「髪と地肌」のマッサージの取り扱いについては言うまでもない。
 
 
終。 
 
--------------------------------------------------------------------------------------

(余談ですが。)
 
 
 『天主塔ベッド』では――――。

【噂のプライベート大浴場も見学できます。〜天主塔ベッド〜】

柢王 「おまえんとこのあのチラシ。なんなんだ、いったい」
ティア 「私にもよくわからないんだけど、八紫仙達に今はお風呂場がブームだから、
    うちの湯殿も是非お客様に見学させてほしい、って言われて」
アー 「ブーム〜〜〜!?」
柢王 「ボケたか、八紫仙。(八人一緒に)」
桂花 「突っ込むところは、そこじゃないでしょう……。(噂、ってとこなんじゃ……)」
ティア 「中には記念写真まで撮っていく人もいてね。…ときどき一緒にって頼まれるんだ。(照れ笑い)」
桂花 「でも確かにこちらの大浴場は気持ちがいいですし」
柢王 「おまえ、入ったことあんのかっ!?」
ティア 「桂花には商店街の仕事も手伝ってもらってるからね。お礼に」
桂花 「カイシャン様が広いお風呂が好きなので、一緒に」
柢王 「なんで俺じゃなくてあのガキなんだーーーーーっっ」
アー 「…つか、突っ込むとこは、そこじゃねぇだろ。(様づけ、ってとこなんじゃ……)」

 珍しく(?)、冷静なアシュレイでした。(その分、柢王が熱い)
 
 
 


No.42 (2006/11/17 14:00) title:店主等物語3 〜レッツ バスタイム!〜 (前)
Name:モリヤマ (i220-221-230-83.s02.a018.ap.plala.or.jp)

 商店街には湯屋がある。
 事故で亡くしたカルミアの母を唯一最愛の妻として再婚はせず、一粒種の息子を溺愛する水帝洪瀏王の経営する『水晶宮』がそれだ。
 だが、甘やかすばかりでは将来『水晶宮』の立派な跡取りにはなれない。
 水帝は心を鬼にして番頭トロイゼンに息子の教育を任せ、自身は商店街壮年部の熟年ツアーに出かけることにした。
 カルミアには、『水晶宮』のためしばらく各地温泉旅館の水質・効能・サービス等々のリサーチの旅に出るが、留守の間、番頭トロイゼンにならい『水晶宮』の跡継ぎとしてこの湯屋を守るのだ、と言い置いて。
 
 
「ぼっちゃん、お願いね」
「坊ちゃん、お手伝い偉いねぇ」
「髪も洗うから宜しくー」
「サウナ、使わしてもらうよ〜」
 近所のおじさん、おばさんたちが、一声かけて小銭を置いて中へと入ってく行く。
(洗髪は追加金…………サウナも追加料金………)
 番台の少年は、少々ふてくされた様子でぶつぶつ料金を計算しながら、それらを受け取り銭箱へとしまった。
「坊ちゃん、もっと愛想よく」
 番台は、湯銭の受け取りはもちろん、脱衣所の見張りも兼ねているため、大人でも見上げる高さにしつらえてある。その男湯側の番台横に立った筋骨隆々の堂々たる体躯が、番台に座るカルミアを見下ろしてピシャリと言った。
 およそ「愛想」などという言葉とは縁遠い厳つい顔に、頭髪を短く刈り上げ、頭に布を巻いている。この布は風呂焚きの際、滝のように流れ落ちる汗を食い止めるためにするもので、『水晶宮』に働く者の必需品。
 水帝の信頼も厚い番頭トロイゼンは、水汲み・風呂焚き・風呂掃除は言うに及ばず、薪を割らせたらこの業界で右に出る者はいないと言われるほどの、たたき上げの湯屋人(造語)だった。だが、
(さっきなんか湯船にアヒルとか戦艦とか浮かべて遊ぶ子供とかいるしさっ…)
 トロイゼンの言葉も、過保護に育てられ、まだまだ幼さの残るカルミアにはうるさいだけだ。アシュレイが聞いたら「子供が『子供』とか言うな、クソガキ!」と突っ込まれそうな愚痴を心でこぼしている。
 仕事でしばらく出かけることになった父親の言葉に最初は張り切って店の番台に上ったカルミアだったが、番頭トロイゼンの細かい指摘に加えて厭きも来て、少々うんざりしていた。
「だって」
「だって、ではありません。坊ちゃんも、お風呂はお好きでしょう」
「……」
「ここに来てくださるお客様方も同じ、お風呂が大好きで、『水晶宮』が大好きな方達ばかりです。…お分かりになりますね?」
「…うん」
「だったら、もっと愛想よく。代金の計算はちょっとくらい時間がかかろうとそれで腹を立てて帰ってしまわれる客などおりません」
「………」
「気持ちよくお風呂に入って気持ちよく帰っていただきたいと思いませんか」
「そうですね。さすがはトロイゼン殿」
「これは…守天殿」
 『水晶宮』には外気を防ぐための外扉がある。次に内扉があり、その奥に男湯と女湯、それぞれの入り口が暖簾で明示されている。
 入り口の暖簾をくぐり、二人の前に現れたのは『天主塔ベッド』のうら若き店主、ティアランディアだった。
「兄様っ…ど、どうしたんですかっ?」
 守天を見て、今までのふくれっつらはどこへやらのカルミアが、驚きながらも頬を紅潮させて尋ねる。
 『水晶宮』の常連客には、家に風呂がない者だけでなく、あっても、大きな湯船にたっぷり浸かりたくて訪れる者も多い。
 しかも、壁の白虎を象った湯口から絶え間なく湧き出る『水晶宮』の目玉『洪洒の湯』は、エメラルドグリーンと淡いピンクを交ぜたような不思議な七色をしていて、見て楽しく、入れば身体の芯まで温かく、なぜか香りは甘やかでもあり爽やかだ。昔から自然と『水晶宮』の地下に集まる清浄な水を汲み上げて焚き、そこへ『水晶宮』一子相伝、門外不出の奇蹟の入浴剤とまで言われる『洪洒』を使っているからで、特に美肌効果に優れており、常連客の肌は老若男女問わずツルピカで美しい。
 だが『水晶宮』ほどではないにしろ、『天主塔ベッド』内の二十人は一度に入れようかという大きな湯殿のことは、ご近所では有名な話だ。前(さき)の守天の代に大理石で作られた立派なそれは、決して『天主塔ベッド』で働く者達の大人数用ではなく、守天のためだけに作られたプライベート浴場だ。
 また、守天の名を継ぐ者はなぜか代々美しい。生まれついてのこともあるだろうが、昔は寝具業とともに化粧品店も経営していたという『天主塔』秘蔵の『聖水美容液』『守護膜パック』のおかげもあるらしいと巷ではまことしやかに囁かれている。
 ゆえに、守天が「大きい湯船に浸かりたい」とか「美肌になりたい(?)」とかいう理由で『水晶宮』へ来るわけがない…はずなのだ。そんな見るからに着替えやタオル等が入ったと見られる風呂敷包みを持ったいでたちでは……。
「それがね…」
 守天は苦笑しながら答えた。
「うち、ボイラーが故障しちゃって…。すぐに修理には来てくれるみたいなんだけど、せっかくだし一度湯屋に行ってみたいなと思って」
「それはそれは」
 やり手の番頭トロイゼンに、理由はいらない。ただ『水晶宮』に来てくれればいい。
 トロイゼンは厳つい笑顔と揉み手で守天を歓迎した。
「そんなわけで、初めてなんだけど…えっと…前金制?」
「ええ。お待ちくだされ。…坊ちゃん。坊ちゃんから、ちゃんとご説明して差し上げて」
「……に、に、にいさま。こっ、ここでっ、はははは入るのですかっ!?」
「え、うん。入らせてもらいたいんだけど。…もしかして、予約制だった?」
「いえ、そんなことは。坊っちゃん!」
 先を促そうと次代の店主に目を向け、番頭は一瞬引いた。『水晶宮』の目玉である『洪洒の湯』と同じ、エメラルドグリーンと淡いピンクを交ぜたような不思議な七色の目を、パッキリ見開いたまま固まっているカルミアにやっとこさ気づいたのだ。
「坊ちゃんっ!?」
(……に、兄様がっ、うううう、うちのお風呂に…っ)
 兄様が風呂に入る、ということは、脱ぐってことで―――
 兄様が脱ぐ、ということは、全裸になるってことで―――
 しかも湯屋で……ということは、他のお客さんも、近所のおじさんもお爺さんもお兄さんも、子供までもが、兄様の肌を兄様の全てを見るという………
「………そんなの許されませんっっ!!」
「ぼ、坊ちゃん…?」
 いつもはおとなしめなカルミアの突然の大声に、トロイゼンも守天も驚く。
「トロイゼン!!」
「は、はい!?」
「店閉めてっ」
「は、はっ!?」
「……カルミア?」
「心配しないで、兄様っっ!! 兄様(の肌)は僕が守ります!!」
「……まもる?」
 そうして、カルミアの剣幕と我侭におされた番頭以下が平謝りに謝り頭を下げまくって、湯に浸かっていた客、身体や髪を洗っていた客、サウナで我慢大会していた客、すべての客に、『水晶宮』からお引取り願い、締め切られた外扉には『本日閉店』の札が下げられた。
 
 
 
 
 


No.41 (2006/11/11 12:19) title:典艶なる新春の祭典(プレステージ)
Name:しおみ (175.101.99.219.ap.yournet.ne.jp)

碧玉さん作『憂悠なる秋の祭典』をテキストにご覧下さい。

「はぁぁぁぁぁ」
 あえて視界に入れないようにしていた執務机の方から、本日何度目かのため息が聞こえる。がりがり頭をかいて、書き掛けていた書類をぐしゃぐしゃにして放り出す。こんなことがつい数ヶ月前にもあった。
 そのとき同様──いや、そのときの学習経験により、桂花は可能な限り無視を決め込んできた。が、もう限界だ。
「柢王、いいかげんにしてください」
 側近用の机を叩きつけて、元帥の執務机の方を向いた。
「静かにできないなら、どこか遠くに行ってもらえませんか」
 口調は依頼形だが、実質は命令だ。その言葉に、柢王が顔を上げ、
「冷てぇよな、桂花。最愛の男が悩んでんのにさー」
 ぐったり机に額をつく。
 時には最愛の男より、すっきり片付いた机の方が好ましいこともある。桂花は思ったが、口には出さなかった。立ち上がると、つかつかと柢王の机に歩み寄り、
「今度はなんなんですか」
 仕事でないのは先刻承知だ。仕事なら、悩む前にこちらに押し付けてくるからだ。机の上には札のようなものが並び、字を書いた紙が散乱している。
「よく聞いてくれた、これは──」
「言っておきますが手伝いませんよ」
 いまにも猫撫でスマイルを咲かせようとしていた柢王が、がっくり机にのめりこむ。
「マジで冷てぇ」
「あたりまえですよ。吾は仕事をしているんです。それに、この前のことを考えたら、どうせろくでもないことに決まっています」
 この前というのは、この前こうして机の前で悶々としている柢王を見た時の事だ。その時、つい何事かと聞いた桂花に、柢王は天界で行われている行事の話をした。
『四国対抗親ばか合戦』。正式名称は違うが、桂花のつけた仮名がそれだ。
 天界では、四国の交流と体力強化などの理由により、スポーツ大会が行われるのが慣わしらしい。柢王はその競技内容と規則を作るように、主催者である『文殊塾』から依頼を受けていたのだ。
 もしそれが正しい意味でのスポーツ大会なら、桂花も文句はなかった。が、内容を聞くうちに天界人はバカだとしか思えなくなった。詳しい話はテキスト参照。憂いで愁いな祭典だ。
 机の上の札は無地と、姿絵。天界人のものらしい。柢王やティアのもある。嫌な予感がしてそのまま席に戻ろうとした桂花を、動物的カンで気づいたらしい柢王がガシっと捕まえる。
「柢王っ」
「頼むから手伝ってくれっ、何でも言うこと聞くからっ」
「いままでも何度もそう言って、そもそもそあなたは人の話なんか聞かないくせにっ」
「今度はちゃんと聞くからっ、頼むっ!」
 拝み倒さんばかりに手を合わせられて、桂花は憮然とした。いままで、本当に聞いていなかった事は自白ではっきりしたが、一生のお願いをずいぶん先の人生の分まで使っているような男を好きになったのが運のつきと言うものだ。
「・・・言うだけなら構いません。今度は何ですか」
 柢王は、それへいま泣いたなんとかで、
「ん、四国対抗札取り合戦!」
「──仕事が詰んでいますね、吾は」
「あああ、頼むって、今度上等な肉食わせるから、頼む、桂花っ!」
「肉が食いたいのはあなたでしょーがっ」
 そして料理するのはおそらく自分。甘えモードの柢王は理論的にめちゃくちゃで突込みどころ満載だが、そもそもそ甘えで問題解決する気なのだからしょうがない。
「で、どんな大会なんですか?」
 柢王の座る椅子近く、机に軽く腿を載せて斜めに見下ろすと、甘えモードの男は「ん〜」と呟きながら膝枕になだれ込もうとする。それを近くの書類の束ではたいて、
「だ・か・らっ」
「痛ってーな。わかったよ。説明する。あのな、正月に」
「天界に正月が?」
「あー、えーと、まあ一年の始まりにだな、文殊塾で、四国対抗の札取り合戦があるんだよ。もともとは人間界の行事で、ひとつの詩を半分にして、誰かが上の詩を読み始めたら、その下の書いてある絵札を取るっていうのな。で、それはまあ詩の勉強にもなるし、結構反射神経も使うし、頭の体操にもなるってことで、最初は子供たちのためにさせていたんだけどな」
「それが例によって親ばか合戦になっていったと?」
 文殊塾は教養、武術に礼儀作法となんでもござれな天界のマナースクールだ。当然王侯貴族のOBがほとんどで、その子弟の大会となれば親がしゃしゃり出てくる。と、いうより、親の方が威信をかけて出張ってくるので、子供はおちおち負けられない。運動会もそうだった。
「それで、今度はあなたは何をするんですか?」
 文化競技でも油断大敵だ。桂花の予想を裏付けるように、
「俺はまず、札の用意をして、ティアに呪文をかけてもらって・・・」
「はい?」
「いや、だからさ、札を並べて取るって言ってもさ、本当は手で取るのが礼儀なんだけど、例によって熱くなってくるとみんな技に走るっつーか。まあうちの貴族だと風で札を飛ばしたりとか、南だと相手が取ろうとした札を燃やしちまうとか」
「どーゆーゲームですか、それはっ」
「何回も審判のジャッジが入るんだけどなかなか聞かなくてさー。で、そういうことなら、もう最初からティアに頼んで札には悪さができないようにしようってことで」
「またそんな理由で守天殿を・・・・・・」
 頭が痛くなりそうだ。ただでさえ忙しい守天をそんなことに使うとは。運動会の時は救護要員だった。この天界どころか人間界まで支えている唯一絶対の存在だというのに。
「でも、あなたの仕事はその程度ですか」
「ああ、後は会場の警備の手配とか、弁当は仕出しにするとか」
「弁当合戦まではさせないと」
「そうそう。あと応援団はなし」
 そもそもどうゆー応援をするんだ、桂花は心で突っ込んだ。
「それなら簡単そうじゃないですか。何を悩むんですか」
 札に詩を書いて印刷させ、ティアに渡すだけ──あとは人にさせればいいだけのことだ。
 尋ねた桂花に、柢王は肩をすくめ、
「でも、札を用意するのも大変なんだぜ。最近はさ、決まった詩ばっかり使っていると自分で作った札をこっそり持ち込む奴がいてさ」
「それはいかさまでは?」
 新年早々いかさまかよ。が、柢王はやはり人の話を聞かないらしく、平然と続けた。
「それで、前回から民間に札に使う詩を募集してるんだけどな。各国の使い女とか従者とか、直接競技に関係ない奴から。その選考が大変なんだよ。なかなかぴったりのがなくって」
「ぴったり?」
「いや、だって初めての詩だろ、誰も下半分なんかわかんねぇじゃん。だから、絵札は天界で少しは知られているような奴の姿絵にして、詩を読んだらそれに関連する奴の札を取るっていうルールになったんだけどさ」
 それは連想ゲーム? 突っ込みももう口に出したくない。
「まあその姿絵の段階で修正ありーの描き直しありーので、ようやく札がそろったトコなんだよな。だから後は読み札なんだけど、これが──」
 柢王はため息をついて、机の上の紙の束を桂花によこした。桂花は渋々覗いてみた。
 紙面に柢王の走り書きでびっしりと文字が書かれ、ところどころ二重線で消されてある。例えば、
「『八人揃って一馬力』──」
「あ、それ没な。言いたいことは同意すっけど、やべぇだろ、バレたら。八人がかりで怒られんぞ」
 つか、なぜ馬力? 似たような句も消してある。『八人揃って一レンジャー』。あたっている。が、そもそも詩ですらない。
「『白髪三千丈』──これ、聞いたことありますね」
 つかぱくり? 柢王は、ああと頷くと、
「それ親父な。でも言うなよ。本人はプラチナブロンドだって言い張ってんだから」
「『天界抱かれたい男・ヤング部門ナンバーワン』」
「あ、それは──」
 おそらく、俺、といいかけただろう柢王が、桂花のまなざしにそのまま横を向く。
「これも没、と─」
 桂花はぶっとい二重線で消して、書類をぱらぱらとめくった。
「太子ひとりで噴火(かじ)の元──わかりますね、誰だか。しっかし、まともなものはないんですか、まともなものはっ」
「だからそれを捜してんだって」
 柢王は頭をがりがり掻くと桂花を向き直り、
「なー、頼むよ。おまえ頭いいしさ、美人だし、俺なんかよりずっと人を見る目もあるしさー、だから手伝ってくれよ。締め切りが明日なんだって。今日のうちにやらねーと印刷間に合わないんだって。頼むよ、なっ、桂花ぁ〜」
 甘えた声で懇願する柢王の瞳は、「おまえだけが俺の大事な奴なんだぜ」といいたげな輝きがきらきらしている。
 桂花はその瞳を見つめた。いままで柢王にされてきたお願いと、今時分が抱えている仕事とを思い起こしてみる。東領元帥がこんなことで時間を割かれていることと、自分が手伝ったらどれだけ早いかをも、心で計算してみる。そして決めた。
「わかりました、柢王。吾が最大の協力をします」
「マジで最高っっ!」
 抱きつきそうになる柢王を軽くおしのけ、
「いいですか、柢王。吾の協力はこうです。吾はいまから花街の報告書を書き上げ、今日のあなたの書類も作っておきます。見回りも吾ひとりで行きます。その他、吾にできるあなたの仕事は全てしておきます。だから、あなたは心置きなくその作業を終らせてください、ひとりで!」
「えええええええっ」
「ちなみに、夜も帰ってこなくて構いません。吾には冰玉がいますから。そういうわけでまずそれを一切合財持って外へ!」
「け、桂花っ! おまえ、ひどすぎんぞっ、俺はおまえの──」
「最愛の男でも甘やかすのは愛じゃありません。愛は相手が独り立ちするのを願う事です。とにかくさっさと外へ!」
「マジで冷てぇよっ」
「あなたの本気がたくさんあるのはよーくわかりましたから、外へ!」

 ようやく──
 柢王を追い出した桂花は、椅子に腰をおろすとほっとためいきをついた。
 ことが事務であるなら、柢王を助けて道草食うよりも柢王の分まで自分がやるほうがはるかに効率的で能率的に決まっている。
 正しい判断ができてよかった。そう頷きつつ、いま学んだ教訓を紙に書き出し、机に貼った。
『悩んでいる柢王は無視する』『天界人はやはりバカ』。
「今度の仮名は『天界新春バカバカ合戦』ってとこだな」
 さっくり名づけて、仕事に戻ったのだった。


No.40 (2006/11/09 14:50) title:八仙抄
Name:しおみ (148.101.99.219.ap.yournet.ne.jp)


 突然じゃが、わしの名前は紫仙一号。むろん仮名じゃ。天界の所司であり、守天様の補佐を勤める八紫仙のひとりじゃ。
本名は別にあるのじゃが、わしら八紫仙は常にチームワークで働いておる。わしだけ抜け駆けするわけにはゆかぬので、一号様と呼んでよろしい。
 ときに諸君らは、わしらの姿を見たことがあると思うが、わしらは常に官位にふさわしい装束に身を包み、顔も隠しておる。重大任務ゆえ、顔を隠すのは慣例じゃ。決して不細工だから隠しておるのではないぞっ。
 先日、天界瓦版にそのようなでたらめが噂されておったが、本当のわしの顔ときたら、花街に飾れば客が引きもきらぬほどの男前じゃ。本当じゃぞ。
 八紫仙は尊い役目ゆえ、多少の神秘性は不可欠なのじゃ。わしを含め、みんな尊い生まれで教養もぴか一じゃ。わしの身元なぞ、明かせば諸君らは平伏するのに違いない。
 断っておくが、わしが『じゃ』と話すのは八紫仙テキストの威厳ある話し方講座に則ってのことじゃ。年寄りだからではないぞっ。広島県人だからでもないぞっ、よいなっ。
 おお、すまぬ、話がそれてしまったわい。今日はの、諸君らに、よいものを見せて進ぜようと思ったのじゃった。
 改装中の蔵書室の棚の上から見つかったという書物を、蔵書係りのナセル・ノースがわしのところへ持ってきたのじゃ。あの若者はよう働く上に気配りがあってよいのぅ。指圧が上手いのがますますよい。
 いや、そのようなことはよいが、その書物というのが聞いて驚くでない、われらが歴代八紫仙による『守天様日誌』じゃ──ここは驚くところじゃ、なぜ驚かんっ。
 驚いたか? よし。わしら八紫仙は守天様のおそばにお仕えしておるので、誰より守天様のご様子に通じておる。
業務が速やかに行われるように、毎日の日誌も欠かさぬのじゃ。それをある程度まとめて清書したのがこの『守天様日誌』じゃ。
 なになに、天主塔の事は門外不出では、とな? 確かにそうじゃ。特に先代以前の守天様の事は口に出してはならぬのが天界の不文律じゃ。
 とはいえ、わしら高貴な八紫仙が高貴な守天様のためにつづった日誌なのじゃぞ。わしら八紫仙の教養と職務への厳格さのつまった日誌なのじゃ。ぜひにと乞われればむげには断れぬ。これは文化遺産じゃからの。読みたいであろうの。読んでみたいであろう?
 うむ、そこまで請うのならば仕方あるまいの。では、ひそかに諸君らにその一部分を見せて進ぜよう。なに、一号様って男前で太っ腹だとな。
いやなに、そのような世辞は百万回聞いても厭きぬが、先に進まねばらぬゆえの。世辞は後でも構わぬぞ。
 これはずいぶん古ぼけておる、いやいや歴史ある日誌じゃ。わしの先代の先代の先代の先々代あたりから書かれておるゆえな。残念ながら今生の守天様の事は書かれてはおらぬが、いずれわしらが『若様日誌』をお作り申し上げるゆえ、諸君らは案じずともよいぞ。
 飾り文字で『八仙抄』とな。うーむ、表紙も立派じゃ。実のところ、わしもこの日誌を読むのは今日が初めてなのじゃ。昨夜発見されたゆえな。じゃからわしも諸君ら同様、歴代の八紫仙の英知への期待に心が躍っておる。
 それでは、ページをめくるぞ。げほげほ。埃っぽいのぅ。
『これはわれら八紫仙の日誌の総括である。責任重き役職なれば赤裸々に真実を語りたる。なれどゆめゆめ守天様のお目には触れぬよう、しかと管理するがよろし』
 うむ、この心構え。これぞ、八紫仙じゃっ。
 おお、まず初めは守天様の『座右の銘』とな。うむうむ。天界・人間界を統べる尊い方ゆえ、『座右の銘』くらいあるのが当然じゃ。
守天様の御名も記されてはおるが、諸君らには必要ないゆえ、それは明かさぬ事にしよう。
 ではまず最初のひと方じゃ。
『堅牢堅固』
 うむ? よくはわからぬが、きっと堅い巌のような志を持って職務に尽くすというお心の表れじゃな。次じゃ。
『空前絶後』
 こ、これはきっとこれまでにない立派な守天様になられようというご決意に違いない。次じゃ。
『ノブレス・オブリージュ』
 おお、これぞ守天様じゃ。尊い身の義務ということじゃなっ。なれど、なにゆえフランス語かのう? それも時代先取りじゃ。まあよい、きっとこのようなすばらしいお言葉が続くであろう、次じゃ。
『世界はわたしのためにある』
 うむ? これはきっと書き間違えであろう。守天様は世界の護り手じゃ。世界のために守天様があられるのじゃからの。次はどうじゃ。
『さっくりさくさく万事てきとー』
 ・・・・・・。
 諸君、『座右の銘』には充分感銘を受けたじゃろう。次の項目はの、おお、なんと、守天様の日常生活じゃ。歴代紫仙も登場しおるぞ。では。
『×月×日 紫仙一号』
 おお、わしと同じく一号様じゃ。ありがたく拝見するとよいぞ。

『本日、執務室にて守天様が窓を開け放し、風を入れておいでだった。しかし、お机の上の書類が飛んでしまうため、わたくしがお閉めしようとすると、
『ああ、そこの線、踏まないように。そこがボーダーラインだから』
 みれば床に線がかかれてある。思わず、これは何かと伺うと、守天様はお笑いになりおっしゃった。
『風でその線まで飛んだら重要、そうでないものは却下』
 諸君。この件にはいかが対応すべきか』
 
 ごんっ。
 こ、これも何かの間違いじゃっ。
『×月×日 紫仙三号』
 今度こそは間違いなかろう。

『本日、守天様にはご機嫌麗しからず。わたくしが四国視察についてご意見を伺うと、
『外交は政治家に任せる』
とのお返事であった。諸君、これについていかがお答えするべきか』
『紫仙二号の回答 東領では舟遊び、南領では温泉があるとお伝えせよ』
『紫仙三号の回答 快くお引き受けくださった』。
 
 なっ、なにごとか、これはっ。天界に政治家などおらぬと誰もお教えしておらぬのかっ。なにっ、次こそはっ。
『×月×日 紫仙四号 《重要》』
 おお、何か重大事件が起きたのかっ、諸君、歴史的新事実に出会えるかもしれぬぞっっ。

『本日、守天様がふいにお尋ねになられた。
『おまえたちはなぜ八人もいるのだ?』
 わたくしが、わたくしたちはそれは重要な役職で、様様な事に気を配らねばならぬゆえでございますと申し上げると、守天様は身も凍るような視線でわたくしをご覧になられた。
『世界はわたしが動かしているのに?』
 諸君、すばやい回答を乞うっ』

 なななんということじゃ、無回答とはひどすぎるっっっ。

 う、ううむ、どうもわしが予測した日誌とはいささか様相が異なるようじゃが、歴史ある日誌ゆえの、ジェネレーション・ギャップというのもあるのであろう。次は──おお、守天様の個人情報じゃ。なになにお好きなお色とな。
『黄色』
 うむ、天界で最も高貴なお色じゃ。守天様と閻魔様しかお召しになられぬのじゃぞ。
『グレイ』
 これもシックじゃの。理由もかかれてあるぞ。『世の中灰色』。次じゃ。
『限りなく透明に近いシアン・ブルー』
 よ、よくわからぬが、シアン・ブルーとは青酸カリとかいう薬の色じゃのぅ。
『パールグレイッシュ・ローズマイカ』
 それはどこの車じゃっっっ。

 うぉほん。
 諸君、この日誌の内容が計り知れぬほどに奥深いことが、多少触れただけとは言えよくわかったことじゃろう。このようにわしら八紫仙の役割は、諸君らの想像もつかぬほどに深く尊いのじゃ。
 この日誌の続きには、守天様のお好きな音楽、お好きな食べ物を初めとして、『守天様の天気予報』『守天様占い』『今日の守天様』など情報盛りだくさんなのじゃが、わしも忙しい身じゃ、職務に戻らねばならぬ。続きが読みたいのであれば、ファンレターは天主塔気付で遠慮なく送るがよい。
 じゃがくれぐれも、この日誌の内容は外にはばらさぬようにのっ。ことに守天様には絶対にばらしてはならぬぞっ。よいなっ、約束じゃからなっ。
 それではわしは職務に戻る。
 諸君、よい週末を〜、じゃ。


No.39 (2006/11/09 12:54) title:Point of No Return
Name:しおみ (167.101.99.219.ap.yournet.ne.jp)


 ゲルの中は賑やかな笑い声に満ちている。
 夕方、桂花のいるゲルにカイシャンが共を連れてやってきたのだ。
 従ってきた者の中にはバヤンもいて、ゲルに集った兵士たちが王子のために昔語りをしていた。過去の華々しい活躍ぶりを、多少の誇張は交えながら身振り手振りを加えて話す兵たちに、幼い王子は瞳を輝かせ聞き入っていた。
 桂花はその側にいて、食事も取りこぼすほど熱中しているカイシャンの世話を、いつもながら冷静な顔で焼きながら、聞くとはなしに聞いていた。
 もっとも、御前でありながら酒の入った兵士たちの声は大きく、聞きたくなくても聞こえたし、熱気に満ちたゲルの中は蒸し暑いほどだった。
 ちょうど、兵士のうちでもやや壮年のひとりが、若い頃の武勇伝を得々として語った後、苦笑いで言葉を継いだ。
「とは言え、あんな無茶ができたのは若さゆえと申すものでしょうな。いま同じ事をしろといわれては腰が立たぬわ。戻れるものならあの頃に戻りたいものだ」
 戦上手で、戦闘を恐れないのはモンゴルの血だ。その誇りは歳がいくつであろうと変わらない。だからこそ、男の言葉に周囲はどっと笑い崩れた。
 と、カイシャンが桂花の顔を見上げて尋ねた。
「歳を取ったら、みんな昔に戻りたいと思うものなのか、桂花」
 居合わせた一堂はその言葉にまたも声を上げて笑った。少し離れていた席にいたバヤンが、その男の言葉の奥行きを説明しようとしかけたが、それより早く、カイシャンが言葉を継いだ。
「おまえも、戻りたいと思う時があるのか」
 視界の隅で、瞬間、バヤンの顔がなにかいいたげに動いた。が、桂花は落ち着き払った顔で答えた。
「吾にはありません」
 漏れ聞いた兵が笑い声を立てる。
「それはそうだ、桂花殿はお若いから」
「まったくだ。そこへ行くとわしなどはもう・・・・・・」
 と、話を引き取った兵が自らを肴に場を沸き立たせた。
 が、カイシャンはそっと桂花の袖を引くと囁いた。
「本当に、戻りたい時はないのか」
 その瞳が真剣といいたいように光る。桂花はそれを見つめたまま答えた。
「ございません」
 カイシャンの顔いっぱいに笑みが広がった。
「では、桂花はいまが一番幸せなのだな」
 誇らしげにそう尋ねたカイシャンに、桂花は微笑んだだけで何も答えなかった。

 夜が更けて、寝付いたカイシャンを寝台に運び、兵たちもおのおのの寝場所に戻った後──
 桂花は外へと出た。
 目の前に暗く広がる草原。露の匂いが感じられる。かすかに肌寒い大気に空を仰ぐと、濃い群青色の空に満天の星がこぼれおちそうな輝きを宿している。
 足を踏み出せば、それが壊れて落ちてきそうな錯覚を抱きながら、桂花は夜露にぬれた草を踏みしだいて、歩いた。さわさわと、草原のざわめきが聞こえるほどの静寂。膚をすぎる冷たい風。
(こうして──)
 草原の中を、地上の星のような輝く草を踏みしめて歩いた時があった。
 懐かしむように、瞳を細めてそこに佇む。
 と、草を踏む音がして、
「桂花殿」
「バヤン殿か」
 桂花は振り向きもしなかった。先程の席で、この男がなにかいいたげな目をしていたのは気づいていた。
「どうなされたのです」
 尋ねると、バヤンは桂花の隣にきて、
「お聞きしたいことがあったので」
 桂花は草原に目を向けたまま、
「聞きたいこと?」
「先程、カイシャン様に桂花殿が言われていた言葉が気になって。桂花殿には、これまでのうちに戻りたいと思う時はないと」
「ええ」
「しかし、私には桂花殿はいささかためらわれたように見えた。あれは、カイシャン様のためにそう答えられたのか」
 咎めているわけではない、気がかりそうにそう尋ねたバヤンに、桂花はかすかに微笑した。
(何事もよく気のつく男だ)
 たぶん、そう聞きたいのだろうと、声をかけられた時から察していた。桂花は、いいえと答えると、初めて、バヤンの顔を見た。
「確かに、吾がいまより他にないと答えれば、カイシャン様は喜ばれたでしょう。ですが、嘘をついたわけではありません」
「では、桂花殿はいまが一番よい時だと思っておられると言うことか」
 疑うのではないが、確信の持てぬようなバヤンの言葉に、桂花はかすかに肩をすくめた。
(ずいぶんと、酷な問いだな)
 心の呟きはかけらも見せず、いつもの冷静な顔で答える。
「あいにくと、吾は夢を見ぬ性質なのですよ、バヤン殿。他の時に戻りたいなど、思って見ても仕方のないことでは? 吾はいまあるところにある、それだけですよ」
「では、心には戻ってみたい時があると言うことか」
 バヤンが畳み掛けるように聞いた。桂花はそれに再び、肩をすくめた。バヤンが頷いた。
「やはり。それはいつ──幸せだったときのことか」
 桂花は今度こそ、小さく声を上げて笑った。
「一体どうしたというのです、バヤン殿。まるで吾が道で迷った子供でもあるかのような言いようだ」
 桂花の言葉に、バヤンはかすかに頬を赤くした。が、すぐに真顔に返ると言った。
「私はあなたがカイシャン様の側にいて欲しいと思っているだけだ。カイシャン様にはあなたが必要なのだ。だから、もしも、過去のなにがしかのためにあなたがある日、カイシャン様の元を離れることがあったらと、それが案じられてならぬだけなのだ」
 その言葉に、桂花は瞳を鋭くした。
 もしも、過去がなかったら──
 桂花はそもそもここにはいなかった。過去の何がしかのために、いつかここを去る──それは正確ではないだろう。過去のためではなく、いつも、ただひとりのためだ。そのひとりのためにここにいて、そのひとりを想う気持ちのために愚かな選択をした。
「バヤン殿」
 桂花の頬に冷たい笑みが浮かんだ。
「吾はカイシャン様のお側を離れることはありません、少なくとも黙っては。それに、ご心配なさらずとも、吾が戻りたいのは幸せだった時、などではありませんから」
 バヤンは桂花の冷ややかさにいくらか戸惑った顔をした。
「では、どのような時に戻りたいと──」
「花の咲いていた夜に」
 桂花は答えると、微笑んで、
「もうお休みになられては? また明日」
 きびすを返すと、ゲルへと向かった。

 ゲルに戻ると、こらえていた想いが胸を突き上げた。
 桂花は天幕を握りしめて、切れ切れの息を漏らした。
 他愛もない一幕に、こんなにも耐えがたい思いをするなど──絶望などもう慣れたはずなのに。それでも、死んだはずの胸が痛むのは、なんという皮肉なのだろうと、その唇がゆがんだ笑みを宿す。
 戻りたいと思う時はないかと聞かれて、否と答えたのは誰かのためではない。過去は語れない、そのためでもない。
 戻ることはできない。それが絶対の真実だからだ。
「戻りたい時など・・・・・・」
 ない、と言うより他に答えなどあるのだろうか。

 戻れるなら──
 過去を巻き戻すことができるなら──
(あの、花の咲いていた春の夜に・・・・・)
 巨大な月が冴え冴えと輝いていたあの夜に、戻りたい。
 やりなおすためではなく、終らせるために。
 いつか生まれ変わるかれを、さだめのままに生かせるために──かれを妨げる生よりも、かれの手にかかる生を選びたい。
 願いが適うのなら、全てをあの時に終らせて欲しい。

「ふ、馬鹿げている・・・・・・」
 桂花は呟いて、唇を歪めた。
 そんな願いがことごとく適うというなら、そもそもそんなことを願うことなどなかっただろうに。
「願いなど、死者のものではない・・・・・・・」

 過去はまだ遠くない。過去と言い切れるほどなにも終ってなどいない。
 それでもいまは、ここにいる。
 二度とは戻れない、場所にいるのだ──


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