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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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[全小説] [最新5小説] No.〜No.

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No.38 (2006/11/03 23:55) title:プレゼント3 〜天使を見た日〜 (2)
Name:モリヤマ (i220-221-13-162.s02.a018.ap.plala.or.jp)


 
 いま思えば、あれって赤ん坊の『むし笑い』だったんだよね。
 でも、ママが言ってたように、赤ちゃんにはいろんなものが見えてるのかなって思った。それで、二葉には俺が見えてたのかなって。
 夢の中のことなのに、真剣にそう思ってしまう自分に赤面だけど。
 ……凄くいい夢だった。
 二葉、可愛かったなぁ……。
 
――― あれ以上のプレゼントは、もうないだろうねぇ…。

(うん……)
 一樹さんの言葉を思い出して、俺もしみじみそう思った。
 それがご両親からの一樹さんへのプレゼントだったことも、すごく嬉しくて心に残ってるんだろうな……。
 昨日そう言った一樹さんは、とても優しく笑ってたんだけど、懐かしそうでいて、なぜか寂しそうに見えたんだ。
 
 
「なーに考え込んでんだよ」
「え? あ、あれ…?」
「もう出る時間だろ?」
「え、もうそんな時間っ!?」
 俺は飲みかけのままのオレンジジュースを一気すると、急いで小沼に『今出る』メールを打った。
 目が覚めてからも、ずっと夢で見たことが頭から離れなくて、二葉がせっかく用意してくれた朝食も上の空で食べてたみたいだ。
 俺がなにか考えごとしてると思って、邪魔しないで放っておいてくれたんだろうな。
(…ごめん、二葉)
 鞄をつかんで玄関に向かうと、後ろから二葉がついてくるのが気配で分かった。
「夜、俺ちょっと兄貴んとこ行くからさ」
「ロー・パー?」
「ああ。俺に渡したいものがあるから事務所に来てくれって、さっき一樹からメール入ってさ」
「二葉に渡したいもの…」
「ちょっと早いけど俺の誕生日プレゼントだってさ」
 リピートする俺に二葉は、なんでもないことみたいに言って笑った。
「当日はおまえとゆっくりしろってことらしいぜ」
「…ふぅーん。じゃあ俺、遠慮しとこうかな」
「なんで? いいじゃん、『ロー・パー』で待ち合わせして、軽く食べて帰ろうぜ」
「うん。……今日はちょっと買い物もしたいし。『ロー・パー』はまた今度で」
「そうか?」
「うん」
 なんとなく。
 今日は一樹さんに『弟』を返してあげたい気がしたんだ。
 ていうか、「返す」って言い方、二葉が俺のものだって言ってるみたいだ。
 もの、とか、そんなんじゃなくて。
(夢の中で一樹さんが、とても大切で誇らしげに「僕の弟」って言ってたみたいに…)
 俺にとっての二葉は、そんなふうに表すとするとしたらなんだろう。
 俺『の』、なにになるんだろう……。
「おいってば! マジ、もう出ないとヤバいだろ」
「あ…」
「考えごともいいけど、運転してるときだけはやめろ。…あ。あと、ベッドん中でもな」
 玄関のドアを開けたまま、俺を待ってる二葉がウインクしながらそう言った。
「はいはい」
「ん? 怒んねぇんだ?」
「朝から怒るようなことじゃないよ。運転はもちろん、ベッドに入ったら考え事なんてしないで早く寝ろってことだろ」
「…そう来たか」
「じゃ、行ってきます。二葉」
「気をつけて」
 玄関出るとこで、俺は二葉の頬に自分の頬を触れ合わすようにささやいて、マンションの廊下に出た。
 ドアが閉まる音がしないから、二葉は俺を見送ってるんだろう。
 いつものことだけど、今朝はそれがちょっと照れくさくて嬉しい。
「あ……!」
 俺は思わず振り返って二葉を見た。
「なに? 忘れもん?」
「……ううん。なんでもない。二葉、夜『ロー・パー』で食べてくるよね?」
「おまえがなにも食わねぇで帰ってくんなら、俺も腹空かしとくけど? 食いたいもんある? 用意しとくよ」
「いいよ。二葉、食べてきて。俺も仕事終わったら軽く食べとくから。でも、帰ったら少し飲みたいかな」
「了解」
「じゃあね」
「ああ」
 今度こそ振り返らずに俺はエレベーターにたどりつき、一階まで降りた。
 外に一歩出ると、快晴だけど少し肌寒さを感じた。
(こんな季節に二葉って生まれたんだなぁ……)
 さっき二葉に見送られながら、二葉って俺のなんだろうって考えて、浮かんだひとつの言葉があった。
 いまはそれが一番しっくりくる気がする。
 友達とか同士とか仲間とか恋人とか…。
 いろんな言葉もあったけど、今はこれだと思う。

 ねぇ、二葉。
 二葉は、俺の家族だよね……。

「なんにしようかなー…」
 つぶやきながら、澄みきった秋晴れの空と同じ、清々しい気持ちで歩きだした俺は、今日の帰りは二葉へのプレゼントを物色しに行こうと決めていた。


No.37 (2006/11/03 23:54) title:プレゼント3 〜天使を見た日〜
Name:モリヤマ (i220-221-13-162.s02.a018.ap.plala.or.jp)


 次の仕事までぽっかり時間が空いてしまった小沼と俺は、たまたま前の仕事が六本木だったこともあって、まだ早いかなとは思ったけど、開店前の『イエロー・パープル』に寄ってみることにした。
 案の定卓也さんはまだ来てなくて小沼は残念そうだったけど、俺達より十分ほど前に来たばかりだと言う一樹さんに「ちょうど頂き物があるから」と事務所に誘われた。
 そこで勧められたお茶とお菓子で、小沼のテンションは血糖値とともに一気に盛り上がったようだった。

「これ、このカスタード! いつ食べてもふわふわなんだよね〜〜」
 はじめは出された『萩の月』を幸せそうに堪能していた小沼だったんだけど、
「そろそろ十月も終わりか……」
 そう何気なく呟いた一樹さんの一言に、突然、過剰反応したんだ。
「そういえば今年の二葉の誕生日ってもうすぐじゃん!? 忍っっ」
「…なっ、なに?」
「今年はもう決まった!?」
「な、なにが…?」
 小沼の変なスイッチが入っちゃったんだろうな……。
 いつのまにか、俺の二葉へのバースディプレゼントが、酒の肴…じゃない、茶飲み話のネタになっていた。
 

「バースディプレゼントねぇ…」
「忍はさ、二葉に内緒で、でも二葉がいっちばん喜ぶプレゼントあげたいんだよね。エッチ抜きで」
「なっ……小沼っ…!」
 俺は危うく口に含みかけたお茶を吹き出しそうになった。
 一樹さんもいるのに、なんてことをっ…。
「…そ、それは…難しい相談だな」
 笑いをこらえた一樹さんの言葉に、小沼はなおも調子に乗って続ける。
「だよねーっ!? 二葉が一番喜ぶのわかってて出し惜しみしちゃってさ〜。忍ってば、イ・ケ・ズ〜♪♪」
「……だから。もっと普通のプレゼントでいいの、俺はっ」
(ていうか、俺、相談してないし……)
 小沼がこんなふうに言うのも、毎年あれこれと悩む俺を知ってるからで、別に俺をからかおうとか、そんなつもりじゃないことくらいちゃんと分かってる。
 分かってるからこそ、きつく言えないんだよな…。
 でも、確かにまだなにを贈ろうとか決まってないけど、悩んではいないんだ。特別なものじゃなくて……なんていうか、そのとき、思いついたものでいいっていうか。
 ちょっと寒くなったなって思ったら、早いけど手袋とか。
 最近凝ってるドラマがあるようだったら、その原作本とか。
 俺が二葉にって思ったことで、いいんだ。
 今までだって、そう分かってても思い切れずにじたばたしちゃってたんだけど。
「普通ってなにさー。相手が喜べば、それが一番いいんじゃん? 俺だってもし卓也がそんな(エッチ系?)プレゼントくれたらメチャ嬉しいし…。一樹だってそうだよね!?」
 そう言うと、そのまま一樹さんを上目遣いに見て、
「……てゆーか〜〜〜〜。11月は一樹も誕生日じゃん。一樹って、凄いいろんな人から死ぬほどプレゼントもらってそうだけど…。ズバリ! 今までで一番嬉しかった誕生日プレゼントって、なに!?」
 興味津々な目で小沼が尋ねた。
 突然の展開に目を見開いて驚きつつも、一樹さんはちょっと微笑んで答えてくれた。
「俺? うーん…。俺は、忍流に言えば、ちょっと普通じゃないプレゼントだけど…」
 普通じゃないって…。
 か、一樹さんならそれもありかと思ってしまうけど…。いったい…。
「今でもあれが一番のプレゼントだったなぁ…」
「えーっ!? なになになにっっ!? それってやっぱりエッ…」
 チ系!? って言葉は、小沼の口を塞いだ俺の両手によって阻止された。
「もう。小沼、そんなはずないだろ」
(いくら一樹さんでも……)
 そう思いながら、うめいてる小沼を解放したときだった。
 一樹さんが、さらっと言ったんだ。
「いや…なんていうか……男の子をもらったんだ」
「・・・・・!!!」
「犯罪ーーーーーーーー!!」
 絶句した俺と、絶叫の小沼。
 隣にいた俺の耳は打撃だったけど、それよりなにより一樹さんの言葉に俺の全てが大打撃だ。
「か、一樹さん、それって…、い、いただいちゃったんですか?」
 まさかと思いつつ、俺はおそるおそる訊いてみた。
 ていうか、訊いてもいいことなんだろうか…。
「もちろん、もらったよ」
 満面の笑みでそう答えた一樹さんは、あいつには内緒だよ、と念押しして一樹さんの一番のプレゼントについて話してくれた。
「一番嬉しくて、一番大切なものをもらったんだって、今でも思うよ…」
 きっとそれが心に残ってたんだと思う。
 その晩、俺は夢を見たんだ。
 
 
 
 気がついたら、俺はどこかの洋館の一室に居た。
 いや、居た、っていうのは正しくない。あるのは意識だけだから。
 室内を見渡すと、大きな窓際においてあるベビーベッドから泣き声が聞こえてきた。
 すぐに母親らしき人の声と足音が近づいてくる。
 そしてなにか語りかけながら赤ん坊に近づき抱き上げると、それまで泣いていた子はやがてぐずりながらも泣き止んだ。
 泣き止んでからも、母親はそのまま話かけている。やさしい表情と声で…。
「おかえり、ママ!」
 そこへ少年がひとり。走ってきたのだろうか、息を弾ませて入ってきた。
 小学校くらいかな…? と思ったところで、突然俺は気がついた。
(…一樹さんだ!)
 日差しにくるみ色の金髪が淡く反射して、すごく綺麗だけど可愛い…。
 てことは、この人は一樹さんのママで(よく見るとそうだ…)、赤ん坊は、二葉…? えっ、えっ…、み、見たい!! と思った瞬間、俺の視点は彼らにぐんと近づいた。
「ただいま、一樹。そして、おかえりなさい」
 二葉を抱いたまま、少ししゃがんで、ママは一樹さんにキスをした。
「ただいま、ママ。…パパは?」
「パパはお仕事に戻ったわ。病院から玄関まで送ってくれただけでタイムリミットだったみたい」
「僕もママと二葉のお迎え、行きたかったなぁ」
 一樹さん、やっぱり学校だったのかな?
 で、ママと二葉は、今日退院してきたとか?
 そんなことを考えているうちに、二葉(?)はベビーベッドに下ろされて、ママと背伸び気味の一樹さんが並んで中を覗きこんでいた。
「…かわいいねぇ」
「一樹も可愛かったわよ」
「僕の弟だね」
 母親を見上げてそういう一樹さん…天使だ…。
「二葉? なに、見てるの?」
 二葉は、俺のほうを見てる…みたいだった。
「ママ。二葉、なに見てるの?」
「赤ちゃんは、見えないものが見えるんですって」
「…ゴーストとか?」
 こわごわと尋ねる一樹さんがまた………(自粛中)。
「そう、フェアリーとか、ね?」
「フェアリー!」
 ぱぁーっと一樹さんの顔に笑みが広がる。
「二葉、すごいね!」
 つ、つれて帰りたいっ…。
 とバカなことを考えていたとき、
「わぁっ…」
 宙を見つめていた二葉が、一回二回と続けて笑ったんだ。
 一瞬のことだったけど、それがもう本当に可愛くて。
「ママ、ママ、見た? 二葉、笑ったよ? なんだろう、ほんとにフェアリーが見えるのかな?」
 興奮して嬉しそうにママに報告する一樹さん。
 そして、それに微笑みで答える容子ママ。
「…ねぇママ、二葉に触ってもいい?」
「手は洗った? うがいはした?」
「手は二回洗ったし、うがいも十回したよ」
「ふふ、じゃあいいわ」
「おかえり、ママ」
 そこへ、初めて出会った頃の二葉に似た感じの少年が、扉の内側に立ってノックをしながら声をかけた。これはきっと…
「幹だっ!」
 そう、幹さんだよね。
 うわぁ…。幹さんも可愛い……。
 って俺、なんだか危ない人みたいになってるかも…。
 でも幹さん。あの頃の二葉よりも年下のはずなのに、やっぱりなんかお兄さんぽい。
(二葉、やんちゃで…ちょっとこわかったからなぁ…)
 思い出して、つい笑いがこぼれる。
 顔は似てても、違うんだなぁ……。
「ただいま、幹。留守の間、不便だったでしょう? ごめんなさいね」
「ママこそ、無理しちゃ駄目だよ」
「幹、幹っ、二葉ね、いま笑ったんだよ、フェアリーが見えるんだって!」
「…カズキ〜。おまえ、ちゃんと兄ちゃんて呼べよなー。おまえが呼ばないと、二葉まで俺達のこと呼び捨てになるぞ〜」
 そう言いながら一樹さんに近づいて、いきなり幹さんは一樹さんの頭を少し乱暴に撫でた。
「ふっ二葉はちゃんと僕のことお兄ちゃんって呼ぶもん」
「呼ばない呼ばない」
「幹、あなた今日はもういいの?」
「あっ、ヤベっ、そうだった…。ごめんママ、これからボランティアなんだ」
「相変わらず忙しいのね」
 ママは両手を上に向け肩をすくめてそう言うと、でも、なんだか楽しそうに幹さんを見ながら、気をつけて行ってらっしゃい、と頬にキスした。
「サンキュ、ママ。あとでな一樹。それと、」
 よろしく二葉、と声がしたかと思うと、幹さんは素早く二葉にキスして部屋を出て行った。
「……あああああああああ1!!」
「と、どうしたの? 一樹」
「ぼぼぼ僕が『ようこそ』って二葉にこの家で一番初めのキスをするつもりだったのにーーっ!! 幹のバカバカバカーーーーー!!」
 一樹さんの泣き叫ぶ声に、二葉もビックリして火がついたように泣き出す。
 でもママは慌てず、まずベビーベッドの二葉を抱き上げてあやしながら、一樹さんの目線にまでしゃがみこんで言ったんだ。
「ほら見て、一樹。一樹が泣くから二葉も一緒になって泣いちゃったけど、………ね? 二葉は泣き止んだわよ。一樹を見てるわ」
 そう言うと、ママはそっと二葉を一樹さんのほうに近づけて囁いた。
「ハッピバースディ?」
「…うっ…ぇっ」
「一樹。二葉が、お兄ちゃんおめでとうって」
 まだちょっとしゃくりあげながら、一樹さんはママと二葉を見た。
「一週間、お留守番できてえらかったわね。ママ、一樹の誕生日になんにもできなくてごめんね」
「…ううん」
「でもね、ちゃんとプレゼントはあるのよ、パパとママから」
「プレゼント…もらったよ、昨日パパから」
「それとは別。もっともっと凄いんだから。一樹、ビックリしちゃうわよ」
「なに?」
 コホンとママは咳払いをひとつして言った。
「Happy birthday, Kazuki!! あなたに、パパとママから弟をプレゼントするわ」
「…………」
「嬉しくない? 一樹」
 ぽかんと口を開けて固まってしまった一樹さんに、笑いながらママが訊く。
「二葉、僕のなの?」
「そうよ。一樹の、弟よ」
「幹は?」
「幹には一樹って弟がもういるじゃない? 幹には一樹で我慢してもらいましょ? 二葉は一樹のよ」
 ママ、我慢って……。
 ふたりとも大真面目なのに、なんだかおかしかった。
「僕の!? 僕のだーっ!」
「ほら、挨拶して?」
「ようこそ二葉。僕の弟だよ。よろしくね」
 そうして一樹さんはママの腕の中の二葉に静かに顔を寄せてキスをしたんだ。
「…一樹ったら。キスは一回よ。何回もすると、二葉がビックリしちゃうでしょ」
「はーい」
 あはっ。二葉、真っ赤な顔して嫌がってる。…や、笑い事じゃないんだけどさ。
「今みたいにちゃんと手を洗って、うがいしてからよ?」
「手洗って、うがいしたら、いいの?」
「おはようと、おやすみのときにね」
「おはようと、おやすみだけ……?」
「じゃあ、行ってきますと、ただいまも」
「うんっ!!」

 幸せいっぱいな一樹さんの笑顔に、俺まで頬がゆるんでしまった。
『二葉、おまえってば、ほんと幸せな奴だよね』
 いつのまにかママに抱かれてすやすや寝息をたてている二葉に、そっと話しかけた。瞬間、二葉が突然ふわって笑ったんだ。
『えっ!?』

 ……残念ながら、俺が覚えてるのはそこまでだった。
 


No.36 (2006/11/03 22:37) title:宝石旋律 〜嵐の雫〜(10)
Name:花稀藍生 (p1071-dng34awa.osaka.ocn.ne.jp)


「アシュレイ! クソッ!何て速さだ!―――ティア!あのぶんだと負傷者が出てる!
応急処置用の聖水をくれ! それと、さっきの書類も!」
 すでに点としか映らないアシュレイの後ろ姿に舌打ちしつつ、怒鳴る柢王も既にバルコ
ニーの柵に足をかけていた。
「あー!ったく!あのバカ!少しは後先ってものを考えろよ!」
「バカはあなたもです」
 その肩にマントを着せかけてやりながら、桂花が押し殺した声で言った。
「熱があるのに・・・」
「・・・帰ったら何でも言うこと聞くから、カンベンな」
 止めても無駄なことは桂花にも解っていたので、黙って睨み付けるだけにしておいた。
「・・・気をつけて。ハッキリとは見えませんでしたが、あの巨虫が吾の知っている水棲昆虫
と同じモノなら、あの大顎には絶対に捕まらないで。大顎の中は空洞で、強力な有毒の溶解
液がつまっているから」
「巨大ムカデじゃねえのか?」
「足の形が全然違うでしょうが!」
「わっかんねーよ!見えたのなんか一瞬だぜ?! どんな動体視力してんだよ桂花?」
「一目瞭然だよ、柢王。オールみたいな形の六本足が生えてたじゃないか。あれはムカデじ
ゃないよ。絶対」
 バルコニーへ走り出てきたティアの手から聖水瓶と書状を奪い取った柢王が目を丸くし
た。
「ティア。お前もか?! 俺には全然見えなかったぞ?」
「・・・天界中を飛び回るアシュレイを遠見鏡でつかまえようと日々頑張ってたら、いつの間
にか鍛えられちゃってたみたいでさ・・・」
「・・・お疲れ様です」(×2)
 遠い目をして語るティアに、柢王と桂花がどこか哀れみを含んだ声で同時に言った。

 柵の上に飛び乗った柢王が、何かに気づいたようにふと振り返って言った。
「ティア、お前の役職は何だ?」
「・・・? え・・ 守護主天・・だけど? 」
 いきなりの問いかけに、ティアは面食らいながら応える。
「ちゃんとわかってんじゃねえか。―――その いいおつむで よーく考えな。自分にどん
なことが出来るかってことを。自分が簡単に壊されるようなタマじゃないって事を」
 困惑した表情で見上げてくるティアの額を(御印を避けて)指でつん、と突っつき柢王は
笑った。
「―――お前は、俺たちより強いってことを」
「・・・柢王?」
 不思議そうに見上げるティアを横目に、柢王は手を伸ばすと指でそっと桂花の頬に触れた。
「ティアを頼むな」
 次の瞬間 風が巻き起こってバルコニーに立つ二人の髪を激しく乱した。
「・・・!!!」
 暴風を巻き起こした犯人は、既に視界には点としか映らない。
 室内から青い小鳥が飛び出してきて桂花が差し出した腕の上に乗った。
「・・・お前も行くのか?」
 ピピ、と応える小鳥にどこか寂しげに笑いかけ、羽をひと撫でしてやってから空に放つ。
(・・・せめて返事を聞いてから行けばいいのに)
 螺旋を描いて上昇してから目的地へと羽ばたいてゆく青い小鳥の姿を小さくため息をつ
いて見送り、桂花は隣に立つ守護主天に、室内に入って遠見鏡で状況を確認しましょう
と促した。
(・・・それにしても・・・・)
 室内に入り、ティアが執務室に入ってきた文官に救援の指示を飛ばしているのを聞きなが
ら、桂花はバルコニーの方をもう一度振り返った。
(あの巨虫・・・)
 遠見鏡で数瞬しか見えなかったが、あの大きさは尋常ではない。
 巨体にかかる重力を考えれば、あの大きさは異常だ。
 人界の海には島のように巨大な、鯨という名の魚のような生き物がいるという。
 だがその巨大な生き物も、陸に揚げれば重力に耐えきれず自らの重さで圧死する。
 水の浮力があってこその巨体なのだ。
(虫はあらゆる生物の中で 一番 力が強い というけれど―――・・)
 重力の支配する地上において、何故あの巨体であのように素早く動けるのか。桂花はそれ
が腑に落ちない。
「桂花?」
「すぐに参ります」
 ティアの声に桂花は一旦考えることを止めた。
 闘いに赴かなくとも、やらなければいけないことは山のようにある。
 それでも、忙しく立ち働いている間は、心配のあまりあれこれ考えてしまうことをせずに
済む。何も出来ずにただおろおろと待ち続ける事を考えれば、やる事があるというのは幸せ
なことなのだ。
 ・・・・・たとえそれが南の太子に荒らされた執務室の片づけだとしてもだ・・・
「・・・・・」
 桂花は眉間に皺を寄せてため息をつき、それから執務室へと足を踏み入れた。

 天主塔から境界線まで、全速力の兵士達の足(というか飛翔力)で通常30分から40分。
 普段のアシュレイなら20分。
 それをアシュレイは摩擦熱で服が燃え出すのではないかと思われるほどの凄まじい速さ
で飛び、境界線の場所まで12分で到達した。
「ア・アシュレイ様!?」
 一瞬にして(兵士達にはそのように見えた)暴風と共に現れた南の太子に兵士達が目を見
開いた。
 さすがに息の乱れたアシュレイが肩で息をつきながら、それでも油断のない目で周囲を見
渡す。魔族は地中に潜ったままのようで、土埃が地表をもうもうと覆っているのが見えた。
 土埃に汚れた兵士達がひとかたまりになって上空に浮いている。
 皆が皆、起こったことを把握しきれず、とまどいと恐怖の表情を浮かべていた。
「・・・被害は・・・・・」
 まだ整わない息で兵士達に向き直ったアシュレイが顔を歪めた。初めて血のにおいに気が
ついたのだ。
 ・・・怪我のない者を数える方が早かった。退避することで手一杯だったのだろう、治療す
ら始まっていず、中には手足のあちこちから血を流している者や、意識がないのか二人がか
りで抱え上げられぐったりしている者達の姿もあった。 三人ががりで抱え上げられている
一人の兵士の片足がなく、三人目が傷口の上部を両手で締め付けて圧迫止血を施そうと奮闘
しているが、それを嘲笑うかのようにズタズタの傷口から鮮血が滴り落ち続けているさまを
見たアシュレイが青ざめ、次の瞬間怒りを爆発させた。
「・・・・・!」
 アシュレイの戦闘霊気(バトルオーラ)の反応して周囲の大気がバチバチ音を立てた。間
近で見る王族の霊気のすさまじさに兵士達が一斉におののいたその時。
 まるでその瞬間を待っていたかのように、地表から瓦礫を弾きあげて魔族が伸び上がって
きたのだった。

「・・・出た!」
 もはや執務そっちのけで遠見鏡に張りついていたティアが叫んだ。その声に、南の太子が
散らかしてくれた書類を分類し直していた桂花が駆け寄ってきて共に覗き込む。
 ―――黒々とした広くて平らな頭部、それに続く三段階にわかれた胸部には剛毛の生えた
オールのような三対の足が生えている。そしてそれに続くのは10から先は土煙にまぎれて
見えない環節の結合が連なる長い腹節。
 その、流線型の長大な姿―――。
「・・・やはり、人界の水棲昆虫にそっくりです。・・・大きさの違いさえのぞけば、ですが」
 体長は15メートル。瓦礫の下にある残りの腹部を考えれば、20メートルを超すかもし
れない。
 桂花の隣でティアも目をこらす。
「信じられない・・あんな巨体、持ち上げるだけでも・・ ―――アシュレイ!」
 巨虫はその巨大な姿形に似合わないひどくなめらかな動きで、上空に集結しているアシュ
レイ達に向かって伸び上がったのだった。

 地中から伸び上がった巨虫の姿を、はるか前方に柢王は認めた。
「クソッ!間に合うか?!」
 さらに加速した柢王は、ふと違和感を感じた。
 ―――何かを突き抜けたような感覚があった。
 それは、彼の友人が彼の恋人と大事な友人達だけが通り抜けられるように設定した、その
特殊な結界を通り抜ける時の感覚と同じモノだった。
「・・・・ッ?!」
 それと同時に柢王は息苦しさを感じた。
 周囲の大気が一段と重みを増した、そんな感触だった。
 妖気がまとわりついてくる。濃霧の中に立っているようなその感触に、柢王は嫌悪の証と
して眉をひそめた。
(―――あのデカ虫の放つ妖気かよ? ・・・にしては広範囲すぎないか? ・・一瞬だったが、
あの、突き抜けるような感覚・・・ まさか結界?・・いや、ティア以外にこんな広範囲の支配
領域を持つ結界を短時間で張れるヤツなんかいるわけが―――)
 高速で飛ぶことに全力を注いでいるため、とぎれがちになる思考に苛立つ柢王の視線の先
で炎が上がったのは次の瞬間だった。
 

 伸び上がってくる流線型の巨大な魔族の姿を見て恐慌状態に陥った兵士達の恐怖に歪ん
だ声を背後に聞きながら、悪夢のようにギラギラと黒い巨大な大顎を持つ巨虫に向かって飛
び込んでゆきながらアシュレイが叫んだ。
「てめえぇぇぇぇ! よくも!」
 アシュレイの右てのひらに白熱した炎が吹き上がった。それはアシュレイの霊気で精製さ
れ収斂された、凄まじい力を持つ炎だった。
 アシュレイはそれをそのまま巨虫目がけて放とうとした。
「よせ!アシュレイ!」
「!」
 背後からの声と同時に、アシュレイのてのひらの間に収斂されつつあった炎が身をよじる
ようにして消えた。
 次の瞬間、アシュレイと巨虫の間に文字通り暴風と共に突っ込んできた柢王が巨虫に向か
って収斂させたかまいたちを放ったが、その表甲に悉く弾かれてしまった。しかしその衝撃
と暴風の圧力にさすがに驚いたのか、巨虫は素早く身を翻して地中に潜った。
「くそ!あの程度じゃだめか!なんてぇ固いヤツだ!」
 弾きあげられる瓦礫の破片を巧みに避けながらアシュレイの隣に浮かび上がった柢王が
舌打ちした。同時にアシュレイが吼えかかる。
「柢王!てめえ さっき俺に何しやがった!!」
「お前の手元の酸素を抜き取ってやったのさ! 酸素がなきゃ火は燃えないからな!」
「この非常時に何て事しやがるんだ!馬鹿野郎!」
 さらに吼え懸かるアシュレイに、負けじと柢王も声を張り上げる。
「兵士達が近くにいただろうが!第一、瓦礫の下に生存者がいるかも知れないってのに、
確認もせずにこんな至近距離でぶっ放そうとしてやがった馬鹿が何言いやがる!」
「だから、ギリギリまで魔族に接近してから炎を出そうとしたんじゃねえか!それを邪魔し
たのはお前の方だろ! つーか! また馬鹿って言いやがったな!」
「魔族を見たら頭に血がのぼっちまうその癖をいい加減なおせよ! お前マジで危なかっ
たんだぞ!それとも何か、お前を酸欠にさせて化けモンの口ン中に落としてやった方が良か
ったか?! そーすりゃ馬鹿が治ったかもな!」

「・・・いつもあんな感じだったんですか?守天殿・・」
「・・・・聞かぬが花だよ。桂花・・・」
 会話が丸聞こえの遠見鏡の前で、桂花が脱力し、ティアは椅子に座ったまま天井を仰いで
嘆息していた。
「昔から、戦いの最中だってのに現場そっちのけで言い合うことなんか、あの二人にはしょ
っちゅうだったよ。・・・そのくせ いざって時は息ぴったりなんだからね」
「・・・・・」 
 桂花は、ティアが再び小さくため息をつくのを聞いた。


No.35 (2006/11/03 22:28) title:火姫宴楽(7)
Name:花稀藍生 (p1071-dng34awa.osaka.ocn.ne.jp)


 グラインダーズが柢王にエスコートを申し入れた日からきっかり7日後、グラインダー
ズからの極めて丁寧な内容の書状を託された(ふくれっつらの)アシュレイの案内で、柢
王は採寸のために一度だけ南領に訪れた。
 南領の離宮の一室でグラインダーズの丁重な出迎えを受け、アシュレイにからかわれつ
つ、柢王は如才のない態度で頭周りから足首周りにまで至る細かい採寸を耐えた。
 採寸の中休みで、柢王はアシュレイとグラインダーズとお相伴に預かるデザイナー達と
テーブルを囲み、よく冷えた後味がすっきりとする香草入りの清涼飲料水と香辛料の良く
効いた甘味の強い南領の菓子をつまみながら、とりとめのない話をした。
 デザイナー達は良く笑い、たくさんの話題を提供したが、どういった仮装衣装になるの
かについては何も言わなかった。ただ笑って当日のお楽しみと言っただけだった。
 柢王は終始おとなしい態度でほとんど何も聞かなかったが、採寸が終わってから、デザ
イナー達へ3つだけ条件を出して帰っていった。
 曰く、
 補正下着の類は一切駄目!
 ヒールの高い靴も却下!
 肌も極力見せないこと!
 だった。
 いっそ思いっきり大胆な仮装にしてやろうと考えていた(何のことはない。単にまだ何
一つ決まっていなかったのである)デザイナー達は足下をすくわれた形になり、「なぜ
〜?!」と半泣きになる中、「やっぱり男の子さんですわね」と、 柢王と同じくらいの歳
の男児を子に持つデザイナーがくすくす笑いながら頷いた。
 その隣で、グラインダーズもくすくす笑っていた。奇しくも柢王が示した条件は、グラ
インダーズがデザイナー達に事前に提案した衣装と条件がほとんど一致するものだった
からである。
「・・・では、私のアイディアどおりに進めてちょうだい」
 くすくす笑うグラインダーズに、デザイナーの一人が、デザイン画を見ながら言った。
「・・・姫様、本当によろしいのでしょうか? こう言っては何ですが、前回に比べると面
白味に欠ける感は否めません。」
「いいのよ。今回は奇をてらう必要はないのだから。」
 前回のアシュレイと揃いの鳥の衣装は、立体感や羽の動きになめらかさを見せるため、 
最後の最後までデザイナーとパタンナー達が額を付き合わせて喧々囂々しながら作り上
げた良いものだった。 しかし今回は豪奢さこそあれ、本当に「ただの服」なのだ。デザ
イナー達としては腕の奮いどころがないので、がっくり来るのは仕方ないことと言えた。
「・・・なんだか今回のお題は、いまいち主体性がありませんわね。何だか意味合いが広す
ぎて曖昧ですわ。そもそも仮装向きのお題ではありませんわ」
「そうね でも」
 グラインダーズは肩に降りかかった髪をかき上げながら挑戦的な笑みを浮かべた。
「いろんな意味に取れるからこそ やりやすいって事もあるのよ」

 その夜、グラインダーズの寝支度を手伝っていた彼女の乳母が、ふと何かを考える仕草
をして問いかけてきた。
「姫様、そろそろではありませんか?」
 グラインダーズは下腹部に手をやり、わずかに考え、そして頷いた。
「・・・そうね。そろそろ来るわ」
 憂鬱な顔をして、グラインダーズは頷いた。月に一度訪れる「アレ」だ。始まれば文殊
塾を2.3日休まねばなるまい。腹が立つくらい毎月正確に訪れるたび、憂鬱になる。
 乳母は、それはどんな女性も大なり小なりそんなものですよ、と慰めてくれるが、グラ
インダーズの憂鬱に拍車をかけるのは、毎回それが訪れるたび、初めて血を流した頃に起
きたあのことを思い出してしまうからだった。

 ・・・その日は なぜだか 朝からイライラしていた。 
 それは文殊塾の武術の時間に小休止を言い渡した武術師範が、汗をぬぐうために場を離
れたわずかな時間のことだった。 子供達が大人のいない間に悪ふざけをするのはいつも
のことだ。数人でふざけあいながら長棒を振り回す男児の棒先が、たまたま近くを歩いて
いたグラインダーズのとりまきの女児の肩口をかすり、その痛みに女児は泣き出した。
 それを見たグラインダーズが、その男児に棒先を突きつけて謝罪を求めた。それが発端
だった。
 その男児はグラインダーズよりも年長で、体も大きかった。自分よりも小さな、しかも
女児の権高な言葉と棒先にカッとなったのだろう。侮辱の言葉を吐きながら、男児は突き
出された棒先を横合いから打ち落とした。
 ・・・痺れる手を、呆然とグラインダーズは見つめた。力一杯握りしめていたはずの棒は
グラインダーズの手を離れて地面に落ち、甲高い音を立てて転がっている。 女児達の悲
鳴と、どっと男児達が周りで囃し立てる声に、カッと頭に血が上るのをグラインダーズは
感じた。
 やれるものならやってみろとこれ見よがしに棒先を繰り出してくる男児に、とり落とし
た長棒を拾い上げてグラインダーズは打ちかかった。たちまちのうちに打ち返される棒先
の鋭さに長棒を握る手が痺れ、足がもつれかかる。
「・・・・・ッ!」
 ―――悔しかった。 女だからとか、そう言われて悔しかったのではなく、本当に力で
は叶わなくなっている自分の力が悔しかった。
 負けたくないと、この時、初めて痛切に思った。
 だから、本来避けられるはずの棒先を避けずに、わざと顔で受けたのだ。頬を薙ぎ、鼻
先をかすめた棒先にしぶいた血に驚いたのはグラインダーズではなく、相手の方だった。
ここまでして勝ちたいという、負けず嫌いというよりも、もはや意地としか言えない感情
を自分か持っていたことにも少し驚いたが、その動揺の隙をついて相手をたたきのめした
事についてはグラインダーズは今でも後悔していないし満足している。
力で勝てないのなら、相手の虚を突く勝ち方もあると分かったからだ。
 ・・・しかしその後がいけなかった。グラインダーズは南領の王女、相手は貴族の子息だ
った。文殊塾から城に帰り、グラインダーズが乳母に小言を言われながら、それでも勝        
ったという満足感に密かにひたりながら擦りむいた鼻先と頬の再手当と鼻血で汚れた衣
装の着替えをしている時に、息子の首根っこを掴んだその父親が、父王に謝罪の面会を泡
食って申し込んできたのだった。
(・・・どうして子供の喧嘩に親が出てこなければならないの?!)
 乳母の制止の声を背中に聞きながら、ワンピースタイプの肌着一枚の姿でグラインダー
ズは部屋を飛び出した。午後の日ざしが差し込む回廊の美しいモザイク模様を描き出すタ
イルの床の熱さを素足の足裏に感じながら謁見の間へと走る。
 謁見の間の扉に向かうよりも、謁見の間の隣室である控えの間を通り抜けるほうが、父
の元に早くたどり着ける、と判断したグラインダーズは控えの間に飛び込んだ。
 彼女の父親はちょうど控えの間から進み出て、床に頭がつくほど平伏している親子の前
に立って、彼らに頭を上げるよう促しているところだった。
「父上!」
 娘の声に父親は振り向き、控えの間から走り出ようとしている娘の姿を認め、その格好
に目を見開いた。
 グラインダーズの着ているなめらかな肌触りの裏地がつく白い肌着の表地には、布の色
と同じ色の糸でびっしりと刺繍がされている。その豪奢なつくりのそれは一般市民の晴れ
着にも相当するものだった。
 だが肌着は肌着であり、そして、断じて王女が人前にさらして良い姿であるわけがなか
った。
「 一国の王女がそのようななりで人前に姿を見せるでない!引っ込んでおれ!」
 叩き付けるような大音声だった。 そのすさまじさに頭を上げかけていた親子は再び平
伏し、グラインダーズは思わず足を止めた。
 数歩で控えの間の入り口まで戻った父親に、その肩からむしり取ったマントをかぶせる
ように投げつけられ、立ちふさがるように自分に背を向けたその背中は、なぜだか異様に
大きく見えて、自分の言葉など届きもしないように思えて。
「あ・・・」
 立ち竦んだところを追いついた乳母達に抱えるようにして連れ戻された。体を二つに折
って足に力を入れて抵抗しようにも、足先から力が抜けていって、声が喉から先に行かず、
きれいに磨かれた床と引きずられる自分の足先ばかりが目に入って、ひどく惨めだった。
 ・・・その足先に 赤いものが滴滴と落ちて流れ落ち、かかとに引きずられて床に赤い線
を引くのを見た時、堰を切ったようにグラインダーズは自分の声を喉から迸らせた。
 悲鳴だった。


No.34 (2006/11/02 09:11) title:白い花
Name:モリヤマ (i125-201-153-71.s02.a018.ap.plala.or.jp)

 
 バヤンは武人のわりに文学を好んで読む男だったし、四年前に亡くなったチンキムの愛読書は唐の太宗と臣下との政治論議をまとめた『貞観政要』だった。
 チンキムの残した大量の蔵書のうち、フビライの許可を得てバヤンに譲られた書物の中に、唐代の小説家、段成式の『酉陽雜俎』全三十巻があり、それを譲り受け拝読したバヤンが、その中の一篇を是非にとカイシャンに贈ってきたのは自然なことだった。
 
 
「桂花……」
 カラコルムから届いた本の話を早く桂花にしたくて、カイシャンは走った。
「桂花…っ!」
「どうしたんですか、カイシャン様」
 いきなり宮廷内の廊下で大声で呼びかけられ、驚いて桂花は足を止めた。
「月の桂樹の話を知ってるか?」
 弾む息でそう尋ねられ、桂花は「いいえ」と答えた。
「バヤンからチンキム様の本が届いて、それを読んだんだ」
「読めましたか?」
「…まだ少し難しかったけど、おもしろかった」
 子供の満足げな顔に、桂花も微笑んで返す。
「それで?」
「月には桂樹がある」
「ええ……」
「月の桂樹は五百丈もあって、斬っても傷つけても、すぐにその傷口がふさがるんだ。それで、桂樹は『再生』や『不死』を象徴するようになったんだって」
 
――― 再生?
――― 不死?
 
「だから、」
 
――― だから?
 
「同じ名前の桂花がいるから、ずっと陛下はお元気でいられるんだ!」
 
 ……誇らしげなその笑顔がにじんで映るのはなぜだろう。
 この子は、自分を慕ってくれている。
 わかっている。
(だから…)
 だから、その説話を知って、嬉しくてすぐに自分の元に走ってきたのだろう。
 
「……桂花?」
 名前を呼ばれたが、桂花はカイシャンの顔を見ることができず、前へと足を踏み出した。
「桂花?」
「……お茶を淹れますから、一緒にいかがですか?」
「うんっ!」
 宮廷には、桂花用に整えられた小部屋がある。
 その部屋へと向かう一歩一歩を踏みしめる。
 歩く。
 呼吸をする。
 話をする。
「カイシャン様…」
「なんだ?」
 嬉しそうに自分を見上げてくる子供。
(……この身体も、斬られても傷つけられても、傷口はすぐにふさがるのです。痛みもなく、元に戻るのですよ…)
 なんの感慨もない、不死の身体。
 それでも、手ばなすことのできない生。
 吾こそが、あなたの完全な「再生」と「不死」を妨げている。
 あの人の右腕を奪い、作られた人形を糧にし質にされ、あなたの肉体も魂も、本当の意味での再生も不死もない、……ありえない事態を招いてしまった。
 
(吾こそが………)
 
 後悔しているのだろうか。
 しても詮無いことなのに。
 ただ、自分にはそれしかなかった。
 その道しか、なかった。
 後悔も罪も、だから吾だけのもの。
 あの人形のような柢王にも、あなたにも、なんの責任も咎もない。
 
(……あるとすれば、吾を置いて行ってしまった男の傲慢さが許せない)
 
「桂花?」
「カイシャン様は、不死をお望みですか?」
 カイシャンの顔は見ずに、前を向いたまま問いかける。
「俺だけが長生きしたって仕方ない」
「は…。ませたことを」
「だったらおまえはどうなんだ」
 桂花に子供扱いされ、少しむくれたようにカイシャンが尋ねる。
「吾は……。そうですね。吾も同じです。ひとりでは生きていけませんから」
「………」
「……カイシャン様?」
 いきなり熱い手に腕を取られて、視線を下げ子供を見る。
 声の感じで、今までずっと見上げるように自分に話しかけていた子は、うつむいていた。
「カイシャン様…」
「桂花は寂しいのか?」
「……は?」
 そう真剣に問いかけてくる子供のほうが寂しそうに見えた。
 それでも桂花を気遣うような声音の子供に、なぜか無性に愛しさが募る。
「いまは一人じゃありませんから…」
 寂しくないですよ、と言外にほのめかすと、子供は安心したように顔を上げた。
 
 
 数日後。
 宮廷内に住むことを断り続ける桂花に、フビライが用意した館が一般居住区にある。
 そこにカイシャンから手紙が届いた。
 
――― 秋になって白い花が咲いたら、一緒に見に行こう。
――― 橙色に比べたら香りは少し弱いけど、俺は白いほうが好きなんだ。
 
 読みながら、まだ幼いカイシャンに、文字とは、手紙とは、と説いたことを思い出した。
 口にできぬ想いを伝えるものだと、そう教えた。
 人の生は短い。
 終わると分かっているものに、心を残してはならない。自分がつらいだけだ。
 それでも……。
 桂花は刹那の幸せを噛み締めるように、カイシャンからの手紙を胸に抱いていた。
 
 
 
 
 一般に木犀と言えば、銀木犀を指す。
 金木犀は銀木犀の変種で、オレンジ色の花をつけ、その香りは銀木犀を凌ぎ、夏の梔子と並ぶ。
 銀木犀の中国名は桂花。
 白い花をつけ、漢名を銀桂と言う。
 

 
 
 


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