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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.168 (2007/12/26 17:37) title:永遠の時
Name:未来 (softbank219172066006.bbtec.net)

誰も訪れない地の果てで、泣いて泣いて涙が枯れるまで泣いた。
やがて涙も出なくなったころ。
涙と一緒に悲しみ以外の全ての感情を失ってしまったかのように、心の奥にはもう何も残ってはいなかった。
愛する人の魂を持った命は全力で生きていて、新しい時を紡いでいる。
それを見るたびに愛する人は永遠に失われ、今自分の腕の中にいる彼は決して自分が愛した人ではないということを思い知る。
吾に“永遠”を教えてくれた人…。
その永遠は今、吾の目の前に絶望となって広がっている。
あなたがいない世界を生きていくこと…。
それは永遠より長く、言葉では言い表すことが出来ないほど悲しい。
吾に永遠を教えてくれた人はいなくなってもなお、こうして永遠の時を示す。

もしも あの時 あなたと出逢わなかったら。
もしも あの時 あなたの手を取らなかったら。
もしも あの時 あなたを 愛さなかったら。

吾は今、こんなに悲しく孤独な思いはしなかったのだろう。

だけどあの時
あなたと出逢わなかったら。
あなたの手を取らなかったら。
あなたを 愛さなかったら。

“永遠”を知ることも、“絶対”を信じることも、自分を、誰かを愛することも出来なかった。
生まれてきた喜びを、生きてきた強さを認めることが出来なかった。
そうして吾は気付くことが出来た。愛する人との出逢いを否定することは今の自分を否定することだ、と言うことに。吾の中のあなたを、あなたの生き方を否定することだ、と言うことに。
出逢わなければ良かったなんて、決して思うことは出来ない。
あなたに逢えて、あなたを愛せて、あなたに愛されて…良かった。

泣いて、泣いて、泣いて。遥か昔に枯れ果てたはずなのに。
紫微色の頬を涙が流れ落ちた。


No.167 (2007/12/13 14:43) title:PECULIAR WING 11 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

TURBULENCE

 滑走路の向い側のアラート・ハンガーのシャッターが上がり、そこから尖った機首と慌しく動く整備士たちの姿が見える。軍の人たちも
いっせいにそちらを振り向いた。
 が、パイロットが営倉からそこへ向うというなら、先程のようにさっさとチェック・インして即座に離陸、とはいかない。アラートの
せわしさを尻目に、ジープの無線からは、先発機と官制とのやり取りが続けられている。
『320、P地点より北上中、あと7分でターゲットと接触予定』
『コントロール、了解。ターゲットは針路340方向より南下中。機種不明、速度約1・2M。接触予定空域にタービュランス、
風速250ノット』
『了解』
 答えるパイロットの声はくぐもってはいても落ちついていた。秒速125mの風が吹く空域にも怯んだ様子は、少なくともその声には
ないように思われる。官制も同様に冷静で、もう一方の無線ではイルカ・チームへの着陸指示が出される。
 エマージェンシーは、その人の器量が試される時だ。驚いてもいいが、慌てふためいたらパイロット失格。だからそのキビキビとした
やり取り自体はアシュレイには意外ではないものの、緊張が忍び寄ってくるのは仕方がない。旅客機なら絶対に飛ばない気流の中へと向う機体、
そして、それがそうと承知で飛ぶはずの機体……と、パイロット。
 Tシャツの背中に汗が伝い落ち、実際には五分にも満たないはずの時間が永遠のようにすら感じられるそのアシュレイの側で、
ティアは険しいような不安なような、複雑な思いを宿した面でアラートの方を見つめている。
 と、無線から落ちついた声が、
『アラートよりコントロール、680、パイロット、チェック・イン』
 アシュレイはハッと瞳を上げた。
 と、いきなり凄まじいエンジン音が響き渡る。耳を劈くようなその音に混じって、様々な人が先程の作業同様、慌しく機体の最終チェックを
する声が無線越しに聞こえる。油圧、オイル・タービン、火器官制システム、排気、立て続けにOKの声が聞こえるそのなかに──
『680、スタンバイ完了』
 醒めた声が、耳朶の奥に低く響くのが聞こえた──。
 隊長が、マイクを掴む。落ちついた声で、
「氷暉、聞こえるか」
 無線の向こうの声はかすかにこもりながらもあの、腹立たしいような投げやりさで、
『……聞えてますよ』
「偵察機が無事に飛べるならおまえは援護だ。それが不可能ならおまえの判断で対応して構わん。だが、度は越すな。目的を達成したら
速やかに帰還しろ。この前のような真似をしたら後がないぞ。わかったか」
 飛ぶこと事態が危険な空に出ていく相手に指示する隊長の声も静かだが、当人の声といえばさらに輪をかけ、無感情に、
『了解──』
 面倒そうに答えると、話は済んだとばかり、官制に離陸を求める。と、官制もすぐに『クリアード・フォー・テイク・オフ』のコールを返す。
 エンジンの音が鋭く響いて、格納庫から銀の機体がゆっくりと姿を現してくる。きらきらと日差しをはね返す機体の翼の下には
大きなミサイル。鋭く尖った機首が滑走路に進入してくる。
 鋭角に、天を仰ぐように起こされた機首。銀に輝く機体の腹にはクリスタルの国旗と680のナンバー。風防に虹をたたえたコクピットに、
ヘルメットをつけた完全武装のパイロットの姿。
 ここからではその顔などわかるはずもないのに、アシュレイにはあの醒めた目で自分を見下ろした冷たい面が、いま視界が黒と青との
二色に分かれた世界を睥睨しているさまが見えるようだ。
 離陸スタッフの腕が大きく振られる。フラッグがたなびく。あの低い声が無感動に、
『680、テイク・オフ──』
 言うや否や、機体が銀の軌跡を残して、熱に煙立つような滑走路を加速していく。耳を塞いでも響く鋭いエンジン音。速度が増して、
タイヤが軋むいやな音が混じる。銀色の機首が引き起こされる。引き起こしが早い、まだ滑走路は半ばだ。車輪が浮かんで、
後方のバーナーが焔を上げた。
 瞬間──ギュウンッと、鳥肌が立つような音に天界航空一同は思わず身をすくめた。と、次の瞬間にはもう、機体は銀の光の矢を貫くように
一直線、空の彼方に飛び立っている。鼓膜を破りそうな轟音。後に浮びあがる白い水蒸気のライン。ゴゴゴ、ゴォンと降りて来る音を
待つより早く、青空に光る銀の点はきらめきだけを残して、完全に視界から消え去っていた。
 脳が、視界の出来事を理解する、遅れた数秒──
「なん……だっあれっっ!!」
 ぼんやりとつぶやきかけた柢王の声が、後半で跳ね上がる。信じられないように鋭く空を振り仰いだ。
 離陸時はどんな飛行機でも機体が重い。だからパイロットによっては離陸時のほうがはるかに着陸時より難しいという人もいるくらいだ。
滑走路いっぱい加速しながらエンジン全開、向かい風に乗って機体を浮かせるのが飛行機の原則で、いくらバーナーがあるとはいえ、
いきなりあんな角度で飛べるなど──
「あんなの、初めて見た・・・…」
 ティアがぼうぜんとつぶやくが、それはアシュレイだって同じだ。あの一見無茶な着陸の時も思った。でも、いまもまた思うしかない。
あれはうまい、うまくないの問題ではなく、もう、奇跡だ。同じ着陸を見たはずの空也と航務課スタッフもふたたびあぜんと空を眺めている。
 と──、彼方を、睨むようにしていた柢王の唇にふしぎな笑みが浮ぶ。その笑みのまま、
「──あれがヴィルトゥオーゾ、か……。よぉっくわかったぜ」
 桂花を見るのに、桂花も静かな笑みを宿して、
「一見の価値のあるフライトでしょう」
 まなざしを空に向け直したふたりに、アシュレイは、胸につきあげるものを感じて、息を飲んだ。
 旅客機のパイロットとファイターは、求められるものが違う。あんな鋭角的な離陸は旅客機には不可能というよりしてはならないことだ。
その理解で不要なものは取っ払い、ただ打ちのめすような技量には腹の底から感心し──それでも、勝気な瞳に笑みを浮かべて、
空を見ているその姿。
 それは背中に数百人の命を背負う旅客機の機長の正しいプライドだ。
 優れたパイロットに会えば誰でもそうなりたいと願うし、憧れもする。だが、その賛嘆から来る悔しさも負けず嫌いも自分自身と
挑むためのものだ。腕も誇りも高くて結構。だが、旅客機の機長は絶対に後ろの命のことは忘れない。自分がひとりで飛ぶ翼ではないことを
忘れたりしない。うちのめされるべき場所があるなら、その場所は決して間違えない。 
 だからこそ──
(もっとうまく、ちゃんと飛べるようになろうって、努力できるんだよな──)
 ファイターとは違うスタンス、違う視点で、自分の腕を鍛えようと思えるのだ。
 アシュレイの、波打っていた心臓に、新たに熱いものが流れる。それはあの高高度のコバルトの色を初めて見たとき、初めて
『クリアード・フォー・テイク・オフ』のコールを、その耳に聞いたときの気持ちに似ていた。視界がふいにあざやかに、全てが鮮明に
見え始めたような驚きに、胸をときめかせたあのときの、あの気持ちに──
 だが、アシュレイがその気持ちをふたたびしっかりと味わう前に、無線から聞こえる声が、アシュレイを現実に引き戻した。
『アルファ・フライト、クリアード・フォー・アプローチ』
『ラジャー! アルファ・フライト、アプローチ』
 空の彼方がきらきらと輝き、イルカ・チームが隊になって姿を現す。滑走路を今度は横側から降りて来るらしい。隊長がアシュレイたちに言った。
「ジープに乗ってください、管制塔に向いますから」
 もたもたしていられない天界航空一同は、軍の人を加えて盛りだくさんの狭いジープに無理やり乗り込み、滑走路際のコントロール・
タワーへと向った。
 走るジープの中で聞える無線は、先発機と官制との交信。
『320、ターゲットをレーダーに捉えた』
『コントロール、ラジャー』
『機影2機、シグナル、ゼロ。これより接近する』
『コントロール、ラジャー。ターゲット後方よりアプローチせよ、120度よりガスト、風速245、パランスを崩すな』
『ラジャー』
 落ちついたやり取りに、しかし、軍の人たちが険しい顔をする。旅客機だろうが戦闘機だろうが、ふつうは機体の側面に大きく
国名と機体ナンバーが書かれているもので、それがないということは故意にそれを隠して飛んでいると思うのが妥当だ。隊長がマイクを取って、
官制に告げる。
「Cチームの機体とパイロットをスタンバイさせろ」
 官制が了解と答え、ふたたびスピーカーから声が響く。
『チャーリー、パイロット、チェック・イン。ハンガー、チャーリー、スタンバイ』
 言うまでもなくこの場合のチャーリーはC、ブラウンではない。と、つっこむ余裕もない天界航空一同はおのおの真顔。
「…大丈夫かな」
 ティアが険しいような表情で滑走路を振り返る。その横で、アシュレイも眉間に皺を寄せて空を仰いだ。
『320よりコントロール、ターゲット、インサイト。F16、2機。国籍機体ナンバー不明、火器搭載はここからは確認できない。交信する』
『コントロール、ラジャー』
 偵察機が相手機を目視できる範囲まで近づいたらしい。旅客機でよその機体が見える範囲にいるのは原則空港上空のみ。目視150m以内に
誰か飛んでいたらその時点でニア・ミス、の世界を厳守している旅客機機長に、機体側面見える近場に国籍もわからない戦闘機を見る
パイロットの気持ちは──まあ、この前経験したといえばしたが、だからよけいに、心拍数が高くなる。
 が、無線から聞こえる声は落ちついていて、
『前方を飛行中のF16に告ぐ。ここから先はクリスタル・アイランドの領空である。国籍と機体ナンバーを明らかにし、すみやかに進路を変更せよ』
 おもねる響きのかけらもないその警告は、自分がひとりのパイロットである前に、国の護りの最前線がここにあると思い知らせるかのようだ。
が、そんなラインに出てくる相手も腹は据わっているはずで、反応しないのかできないのか。
『繰り返す、F16、すみやかに進路を変更せよ』
 二度目の警告をしたパイロットの声が、官制に続けて、
『コントロール、アンノウンは進路を変える気配がない。軽く追い上げてみるか』
 落ちついた響きで言うのに、官制も、
『了解。風が乱れてきた、気をつけろ。いま680がそちらへ向っている。五分以内に合流するはずだ』
 と、パイロットの声は笑って、
『ヤツなら五分も必要ないが、たまには空振りしてもらった方がいい』
 と、連れの機体に、相手機の後ろ側につく指示を出す。
 ジープが高くそびえるコントロール・タワーの下に着いた。わらわら降りた天界航空はほっと息をつく。隊長がゲートを開く間にも、
無線の中ではパイロットたちが国境際をうろつく相手を追いまわしにかかる。そんなうろつき、どこの国でも月に一度はやっている、
というのが本当かどうかはともかくとして、時速1Mに近い速度の戦闘機が上に下にと機体を返し、
『しつこい奴らだな、よし、廻り込んでテールに着け!』
 開いたゲートに天界航空一同がなかへ入ろうとした時と、その声が響いたのは同時だった。
『タービュランス!!』
 うわあっ、とパイロットの驚いた声が響く。ガガガガガガ…とすさまじい音が無線から響く。官制の声が、
『320、385、応答せよ!』
 鋭く問うのに応えるものは、翼が軋むようないやな轟音、無線のノイズ、パイロットの押し殺したような声。
 天界航空一同は、その場に立ち尽くして息を飲む──


No.166 (2007/12/13 14:34) title:PECULIAR WING 10 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

UNKNOWN

 ビィーッ、ビィーッ、ビィーッ! と、鋭い音が辺りに響き渡った。
 ハッと顔を上げたアシュレイたちの耳に、敷地のあちこちにあるスピーカーから緊迫した声が届く。
『スクランブル! スクランブル! 洋上チェック・ポイント・ビクトリーにアンノウン2機! 高度1万フィート、防空エリアに向け
南下中! スクランブル要員は直ちに配置につけ!』
 激しく点滅する赤い警告灯。軍の人たちがいっせいに無線を取り囲み、
「コントロール! 演習中止だ! ドルフィンを降ろせ!」
「第二ラジオをアラートに合わせろ!」
『コントロール! アルファ・フライト、緊急発進発生! ヘディング0、2500に下降し指示を待て!』
『アルファ・フライト、ラジャー! ヘディング0、2500!』
 ラジャーと、初めてチームの声が重なったと思う間に、戯れていたイルカたちはダイヤモンドにピシリと編隊を組んで、リーダーの機を
先頭に翼を揃え、一直線北へと向って飛んでいく。そして、
『アラート! コントロール、320、366、エンジンスタートします』
 聞きなれない声がもうひとつの無線からそう言ったと思うと、耳を劈くようなすさまじい音が響き渡った。アイドリングの機体の揺れを
そのまま表わすようなその地鳴りさながらの轟音に混じって、
『機体を廻せ!』『パイロット、スタンバイОK!』『油圧チェック!』
 大勢の人が口々に叫ぶ声が聴き取れる。
 アシュレイはそのさまにあぜんと息を飲む。
 自分の機ならともかく、軍でエマージェンシーを体験するなんて予想もしていない。ついいましがた、聞いた話を実感するような出来事に、
心拍数がどんどん上がっていく。が、スクランブルに対応している人の邪魔をしてはならないのはルール以前の話だ。とっさに掴んでいた
手首から、視線をティアの顔に向けると、そのとまどうようなまなざしに小さくうなずいて、手を引っ張った。
 ともかくジープの側を離れよう。そう思ったのはアシュレイだけではないらしく、柢王も桂花の背を押してこちらへ来るし、
緊張顔の空也とスタッフも同じく。
 辺りには、ドドドドド……と、天地を揺るがすような音が轟いている。無線からだけにしてはあまりに近くて大きい。知らず輪になった
天界航空一同はそれぞれに緊迫顔を見交わしたものの、会話するのも絶叫を要するエンジン音にただ辺りの動きを見守るだけだ──。
 どの国にも、ここからが自分の国だという空の領域があり、そのギリギリが防空エリアと呼ばれている。が、現実にはそのかなり手前の
空域にそれぞれチェック・ポイントと呼ばれる場所があり、正体不明の機体がそこに近づけば必ずレーダーで捕縛される仕組みになっている。
 旅客機はかならず事前にフライト・プランを官制に出すし、原則その通りに飛ぶのが基本だが、それほどの高度を飛ばない、ごく私的な
飛行機だったりすると、プランを出さずに飛ぶこともないではない。そのこと自体は違法ではないのだが、そうした機体は関係者から
『存在していない機体』だとみなされるから、迷子になっても墜落しても誰も探してくれないし助けてもくれない。
 『UNKNOWN』──国籍不明機、と呼ばれるのはそういう機のことも多い。が、敵国機が認識信号を出さずに飛んでも同じだから、
迎える国はともかく偵察機を出す。それが先程の指令『V地点に国籍不明機、スタンバイ要員は配置につけ』だ。
 それは無線が命綱のパイロットなら誰でも聴き取る程度のことで、事実、アシュレイもサイレンの中でも聴き取れた。が、非常事態に
慣れていない──というより、その手元に来た時には大事件になっているしかないティアは不安そうにきれいな顔を曇らせている。
アシュレイは、思わず強くその手首を掴んだ。こちらを見たティアの瞳に小さく頷く。と、ティアも頷き返してくる。
 エンジン音が次第に高く鋭くなり、軍の人たちの無線を囲んで話しているその声すら聞き取れなくなる。と、滑走路のちょうど真向かいにある
鈍色の屋根の格納庫のシャッターが開くのが見えた。そこからは黒く塗装された鋭い機首の戦闘機がゆっくりと姿を現してくる。
とたんに切り裂くようなエンジン音が響き渡る。思わず天界航空一同は耳を塞いだ。
 高く光るコクピットにはすでに完全装備のパイロットの姿。ごく短いタクシー・ウェイを滑走路へ出てくる機体の周囲には黒いツナギに
イヤホン姿の整備員が駆け足している。黒いグローブを嵌めたパイロットの手がかれらに向って合図を繰り返す。エンジンの音が一際甲高く轟き、
尖った機首の前方にいた離陸スタッフが鋭くその手のフラッグを振った。
 と、機体の後方のバーナーが赤く光り、機体が加速していく。ギィーーーンと鋭い音を立てて黒光る滑走路を過ぎ、視界の端で、
ドオーン! と、火を吹いたと思うと真っ直ぐに上昇する。その後から続いて二機目も発進し、すぐにふたつの機体は翼を揃え、
白い筋を残して、一直線に雲の彼方に消えて行った。その後には地鳴りのような音が響いて、天界航空一同は再び身をすくめた。
 それが遠雷の響きくらいに遠ざかるまで、息をつめてその場に立ち尽くして──
「……さすがに速いですね」
 最初に耳から手を外して言ったのは桂花で、同じく、柢王もやれやれとばかりの顔で、
「ったく、マジでありえねぇよな。何分だ? 五分もかかってねえぞ、いまの離陸まで」
 呆れたように首を振る。
「ね、いまの領空侵犯じゃないよね」
 ティアが声をひそめて尋ねた。辺りにはようやく静けさが戻り、ジープのところからの声も聞こえる。と、柢王が笑みを見せて、
「まだだろ。あの勢いで行ったら絶対入る前に駆けつける。つかさ、俺らだって国境際でちょっと風避けてさ、寄り過ぎたかなぁって
思ったとたんに『どこへ行く!』だもん。ほんっと、ガラスばりみたいなもんだって、最近の空はさ」
 ごく軽やかな口調で言ってのける。
 実際にはそれ以上の可能性もあるとわかっているはずだが、かれの大事なものの優先順位は明確。自分でどうするでもないトラブルより
身内の安心の方が大事。事実、その言葉に、ほっとしたように肩の力を抜いたティアは、アシュレイと目が合うと恥ずかしそうに笑って、
「驚いたよ。理屈でわかっていても経験するのは違うもんねぇ」
 その言葉にアシュレイはどきりとした。先刻の隊長の言葉が頭をよぎる。
 と、その隊長が一同のもとにやって来た。変わらぬ落ちついた声で、
「皆さん、驚かせてしまって申し訳ありませんでした。残念ながら本日の演習は中止になりました。皆さんにはわざわざお越し頂いたのに
誠に申し訳ないと思います」
 謝るのに、ティアが代表して、いいえと首を振る。礼儀正しく穏やかな笑みを見せて、
「とてもすばらしいフライトを見せていただきました。本来、無理なことを通してくださったことをありがたく思います」
 答えるのに、隊長も微笑んで、
「そう言って頂けたことをありがたく思います。いま迎えのジープが来ますから、司令塔までお送りしましょう」
 言ったところへ、通信していた制服将校が、鋭い声で、隊長、と呼んだ。思わず、天界航空一同様もその後に続く。と、将校は
こちらには全く構わず、隊長に向って、
「一万フィートは現在、強いタービュランスだそうです。偵察機はターゲットの側面からアプローチしますが、かち合う辺りが最も
危険と推測されます」
「ターゲットの進路は?」
「ターゲットは進路を変更していません。約1M、旅客機ではありません」
「なら、コントロールの指示に従わせろ。後は現場で判断するしかない。それと、アラートに680はあるか」
 アシュレイは目を見張る。
「第4ハンガーに格納されています」
「スタンバイさせろ」
「了解しました。──パイロットも、ですか」
「パイロットも、だ」
「……ちょっ・・…・」
 アシュレイは思わず口を挟んだ。
「あいつが飛ぶんですか」
 叫んだのに、隊長はこともなげに、
「非常事態ですので。戻ればまた営倉に入れます」
「でっ、でもいま上空は乱気流だって──」
 タービュランスは上昇気流と下降気流がぶつかりあう激しい気流の流れで、空の上では最も危険な風のひとつだ。下手にぶつかると
旅客機でも操縦不能になるほど強いこともあり、縦横斜めどこからでも襲って来るので予測しにくい。
 そんな空に、と思わず言ってしまったアシュレイに、隊長はごく落ちついた顔で、
「だからですよ、機長。氷暉なら無事に戻るとは言えませんが、他のパイロットよりはうまく飛ぶでしょう。営倉にいるパイロットを
飛ばせるだけの理由にはなると思います」
 その言葉に、アシュレイは素手で心臓を掴まれたような気持ちになる。
「墜落、するかもしれなくても……ですか──」
 尋ねると、相手はやはり鋼鉄の穏やかさで、
「相手機が乱気流で引き返すなり落ちるなりしてくれればいいと、願って待っているわけには行きませんからね」
「──……」
 そこへジープが一台やって来る。隊長が、ああと笑みを浮かべ、一同に言った。
「迎えがきたようです」
「俺はここにいます!」
 アシュレイは叫んだ。えっ、と一同が驚く。
「あいつが飛ぶなら降りて来るまで俺はここにいます!」
「アシュレイ! 何を言ってるの、君!」
 驚いた顔のティアに、アシュレイは瞳を向け、
「俺はあいつには貸しがあるから──あいつがちゃんと…また、バックレないで降りて来るまで、俺はここで待つから。だから
おまえたちは先に──」
「なに、あいつって誰のこと?」
 と、航務課スタッフが、ティアに何事か囁いた。ティアが目を見張る。後ろにいた空也も柢王たちに事情を説明したらしい。ティアが
まじまじとアシュレイの顔を見る。そして、
「それなら、私もここに残る」
「えっ?」
「言っておくけど、これは命令だからね、アシュレイ。君ひとり残るなんて認めない。私たちと行くか、一緒に残るかしかないよ」
 敢然と、言い切るティアに、アシュレイは瞳を瞬かせた。と、
「おまえら、ここ自分ちじゃねぇってわかってんのか」
 柢王の呆れたような声に、ハッとふたりは顔を見合わせた。赤面し、アシュレイが慌てて隊長に視線を戻すと、隊長はなにか面白がるような
目をしてそのさまを見ていた。そして、
「お招きした理由は、ファイターがどのようなものか見て頂くためでしたね。──いいでしょう」
「ほ、本当ですかっ」
「ただし、ここでは長時間の待機には向きません。680が離陸したら官制塔へ向っていただきます」
 えっ、と天界航空一同はふたたび驚く。
「なぁ、これって親切って域だと思う?」
 柢王が桂花の耳に囁く。その苦笑いに近いまなざしが、みんなの疑問を代弁している。
 が、ともあれアシュレイはホッとした。隊長の思惑などいまはどうでもいい。危険な空を飛ぶとわかっている相手が無事に降りて
来るまで見届けられるなら──
 と、そこへ通信係が告げた。
「隊長、680スタンバイができました──」


No.165 (2007/12/08 23:32) title:宝石旋律 〜嵐の雫〜(17)
Name:花稀藍生 (p1068-dng31awa.osaka.ocn.ne.jp)


 ―――――突然だった。

 己の中に押し寄せてきた力の奔流に、氷暉は全身を硬直させていた。
 耳を聾する水の音。地を削り、巨岩を押し流し、全てを粉砕しながら―――氷暉の思考を
ぐずぐずに押し潰しながら流れてゆく 激流――――――
 力を通すための管の役割として配置された時から、ある程度の覚悟はしていたつもりだっ
たが、氷暉は己の認識の甘さを呪った。 ―――圧倒的な力だった。 氷暉の中に流れ込み、
あふれ、奔流となり、全てを押し流してゆく。 息すら継げない。 そこには慈悲も許容も
ない。
 氷暉の腕の中の水城は、黒い水が流れ込んできた瞬間に気を失った。 意識を空にした方
が力を流しやすい。女というのは本能的に賢くできている。 ・・・氷暉はなまじ意識がある
だけに、 激流のただ中に立つの木のように、 自我を保とうと耐える苦難を強いられてい
る。
(・・・だが、今さら意識を手放したところで、ただ押し流されてしまうだけだろう。)
 そうなれば、次に目覚めた時に自分は自分で在ることができるのか。
 氷暉は恐ろしかった。 それゆえに耐え抜くしかなかった。
 腕の中にある妹のかすかな体温だけが、氷暉をつなぎ止める全てだった。

 瞳を見開いたままの氷暉の目前を―――映し出される魔刻谷の深紅の光景と、境界の光景
のさらにその向こう ―――ありとあらゆる光景が 泡沫(うたかた)のように現れては消
えてゆく―――・・・
 見知らぬ男の顔 女の顔
 笑う顔 怒る顔 泣き顔 
 若い者 老いたる者
 見知らぬ風景 聞き慣れぬ言葉 どこか懐かしい異形の神々
 笑い声 雨上がりの匂い 音楽 土の匂い 剣戟 祈りの声 花の香り 睦言 
(―――これは黒い水に溶け込んだ記憶か)
 その思考すら、引きちぎるように押し流される。
 自我を保つので精一杯だった。
 いや、そもそもこれを見ているのは自分であるのか。
 ――――― これは誰の思考であり 記憶であるのか。
 弦をつま弾くこの指は 剣を握るこの手は 赤子を抱くこの腕は 肩に食い込む天秤棒
の重さは 背で冷たくなった老母の軽さは 床を踏みならす絹の靴を履いたこの足は
 ――――― これは誰の肉体であり 感覚であるのか。
 氷暉は魔刻谷の底にいながら ありとあらゆる過去の場所を見、黒い水に溶け込む全ての
思考と感覚を共有していた。 
「・・・・・ッ!!!」
 ―――ふいに氷暉の眼前から、泡沫の記憶の光景が消え失せ、天界の境界の光景だけが
はっきりと映し出される。 水の流れは止まらない。 氷暉の見ている光景は水の流れであ
り、 水の映し出す光景であり 、氷暉の意識は水の流れと同化し、氷暉は意識は水の流れ
のひとしずくでありながら、水の流れ全体の動きを認識していた。―――そしてそれらは 
その流れは 目指す場所へと たどり着く―――――
 ―――――――― 一つの流れとなって、結界へと流れ込む ――――――――
 たちまちのうちに天界の地に染み込んだ黒い流れは、その地に散らばる、かすかな妖気を
放つ小さな小さなカケラを探り当てた。
 ―――水の流れは止まらない。
 氷暉は境界の光景を見、小さなカケラに力を注ぎ込みながら――― 一つの小さな流れが、
奔流から弾き出されるようにして別の場所に向かうのを、同時に見ていた。
 森の上空を飛び―――広い庭―――高い建造物の―――バルコニーの―――開かれた窓
の―――(不思議なことに 窓の向こうの光景は、輪郭の全てが曖昧に見える)―――白い
服 白い髪の―――――(これだけははっきりと見える)紫色の瞳が 驚いたように こち
らを向いた。 
  
   
 ―――――最初に聞こえたのは水音だった。
 波立ちながら押し寄せてくる水の音。
 それもあり得ない方向から。
 バルコニーの方角から。
「・・・・・ッ?!」
 バルコニーを振り向いた桂花は、森を越え庭を飛び一直線に地上よりはるか高みにある執
務室に流れ込んでくる一筋の水の流れを―――見たような気がした。
 それは鳴り響く水音による錯覚だったのかもしれない。
 しかし桂花は、周囲の景色を歪ませ水の流れにそって泳ぐ水蛇のようにゆらぎながら、バ
ルコニーを越え、執務室に流れ込んできた、それを確かに見た。
 ―――そして それは 一瞬にして桂花を押し包んだ。
(―――――・・・!!!)
 息をつぐ事すら出来なかった。
 桂花を押し包み、流れ込んでくる 圧倒的な 力―――
 人の声 水音 咆哮 水音 歓声 水音 呪詛 水音 神楽 水音 
 個は全であり 全は個であった。
 桂花は それを見た。 氷暉が見ている同じものを 見た。
 訳が分からぬまま 己が何を見ているのか解らぬまま それを見た。
 ――――― おしよせる みちる あふれる ――――――――
 ・・・ ――― ・・・ 人人人 魔魔魔 。 人界 魔界 それらすべてが―――――桂花の
中に、凄まじい勢いで、流れ込んでくる―――――――!
(喰われる―――!)
 思考を浸食される。
 感覚を浸食される。
 それは 己を生きながらにして喰われてゆくに等しかった。
 声をたてる事も出来ず 立ちつくしたまま ―――その おそろしさ おぞましさ
(やめろ!)
 桂花が恐怖を感じ、渾身の力で目をきつく閉じて耳を塞いだその時、突然それは桂花を解
き放ったのであった。いや、解き放ったのではなく、弾くように飛び離れたような―――
「・・・ッ!」
 呪縛が解けた瞬間、桂花は膝をついていた。 空気が喉の奥に流れ込んできた。 
 冷たい汗が背中をつたうのがわかる。立ち上がろうにも体が震えて止まらない。
「桂花!」
 守天が隣で自分の名を呼んでいる。肩を掴んだ手が温かい。己の名を呼ぶその声と肩から
伝わるその温かさが、桂花の恐怖をわずかに和らげた。
 ・・・恐怖が和らげられる事により、思考が戻ってきた。
 流れ去る光景の中でかいま見えた――――
(・・・あれは、境界の)
 柢王がいた。 南の太子がいた。 そして地中に散らばる小さなカケラが――――
(・・・なぜ、あんな光景が・・?)
 わからない。わからなかった。
「・・・守天殿、・・遠見鏡を・・!」
 境界にいる、彼らの無事な姿さえ確認できれば、この恐ろしさは消えるのだろうか。
「遠見鏡?――――あっ?!」
 境界の光景が映しだされた遠見鏡を振り返った守天が、小さく鋭い驚きの声を立てた。
肩を支える手に力がこもる。
 桂花はのろのろと顔を上げ、遠見鏡を見た。そして力尽きたかのように瞳を閉じた。
(―――いいや、消えたりなどしない。)
 何一つわからない。それがおそろしいのだから。
  
    
 そして境界。
「―――馬鹿野郎! 半分は俺と遊べ!」
 青い細い稲妻が柢王の両手から放たれた。長く綱のように一直線に伸びた稲妻は、巨虫の
体に触れた瞬間そこから木の根のように細かく分裂し、動きを封じるべく二頭の巨虫に絡み
つく。
 たちまちのうちに全身に絡んだ稲妻により動きを封じられた巨虫は、柢王の引く腕の力に
よって、地響きを立てて横倒しになった。
「・・・さすがに、重いな」
 巨虫二頭を引き倒した柢王が、腕に青白い稲妻を鎖のように絡みつかせたまま息をついた。
 霊力しだいでどのような力業も出来るとは言え、さすがにきつい。
柢王が咳き込んだ。
(ちくしょう!この空気!)
 空気が重い。 熱があるせいもあるが、この空気を吸い続けていると、体まで重くなって
くるような気がする。
 土埃の立ち上がるその向こうで軽々と宙に舞うアシュレイをちらっと見上げた。
(何であいつは 平気なんだ?)
 水音は、まだ続いている。
 柢王はかすかな額の痛みに顔をしかめ、手を額にやろうとした。その時。
 ―――突然、水音が激しくなったような気がした。
 いきなり巨虫が動き出した。腕を引かれ、体ごと前に引きずられた。
「・・・・っ!」
 柢王は体勢を立て直し、霊力を両腕にこめてさらに引こうとした ―――その腕その体を
さらに引かれる。
 両肩に引き抜かれるような衝撃が走った。
 柢王は顔に叩き付けるような風圧を感じた。
 青白い細い稲妻の縛鎖を全身に絡みつかせたまま、二頭の巨虫は身をくねらせながら地を
這うように泳ぎだしていた。
 それは、腕に稲妻を絡みつかせたままの柢王もろとも、すでに二頭相手に闘っているアシ
ュレイ目指して一直線に突き進んでいる。
「・・・この・・・っ!」
 ブーツの踵が地を削って砂埃を上げる。
 巨虫二頭に引きずられながら柢王は上空を見上げた。 炎を身にまとい、躍り上がる二頭
の巨虫の連携攻撃を流れるようにかわしながら斬妖槍をふるうアシュレイの姿が見えた。
 アシュレイは強い。3頭ならば、身が軽く勘のいいアシュレイなら凌ぐだろう。
 ―――しかし、4頭もの連携攻撃は、いくらアシュレイでも凌ぎきれるとは言い切れなか
った。
「・・・・・ッ!!」
 アシュレイに負担をかけるのも足手まといになるのも論外だ。 何よりも己自身の武将と
しての矜持がそれを許さない。
 何としてでも この二頭はここで止めなければならなかった。
 柢王は両腕に力を込めた。引きずられてゆく体勢のまま、片足を上げて思いきり打ちつけ、
地面にかかとをめり込ませて体を一瞬固定した。 
 両腕に凄まじい負荷がかかった。 巨虫二頭分の重みとスピードをほとんど両腕のみで支
えるのだ。耐えきれず両腕の筋繊維のあちこちが引きちぎれる音がした。 脳天にまで来る
激痛に柢王は歯を食いしばった。 痛い。だがまだ動く。 構わずさらに腕に力を込めると
渾身の力で柢王は腕を後ろに引いた。
 両腕に絡んだ稲妻が負荷に耐えきれずに腕に食い込み、血をしぶかせる。 骨が軋む感触
があった―――そしてそれらの感覚が一瞬にして消え失せた。
 腕にかかる全ての負荷が消え失せた瞬間、頭上が暗くなった。 顔を上げた柢王の前方に
直立する二本の巨大な塔があった。それが柢王に向かって倒れかかってきている―――
 それが二頭の巨虫だということに柢王はようやく気づいた。
 あまりにも巨大だったため、認識が追いつかなかったのだ。
 急激に後ろから引かれた力によって 力の拮抗に負けた巨虫達がもんどりうってのたう
ちながら 柢王の両側に地響きを上げて地に倒れた。
 暴れる巨虫に稲妻をさらに絡ませ、二度と動き出さないよう地に縫いつけながらさらに締
め上げる。
「・・王族をナメてんじゃねえぞ!」
 さすがに息の上がった柢王がそう言い放ったその時。
 背後の瓦礫が轟音を上げて跳ね上がった。
 振り向く間もなく黒光りする長大なモノが身をくねらせて飛び出てきたのは次の瞬間だ
った。


No.164 (2007/12/06 14:37) title:氷砂糖
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 浴室で、髪を洗おうとしていたアシュレイが体をのりだして鏡をのぞきこむ。
 頬にすり傷があることに、今はじめて気がついた。
「・・・しみるまで全然、気づかなかった」
 その呑気な言いように氷暉が笑う。
《どこもかしこも敏感だ、なんて恋人に言われてるくせにな》
「う、うるさい!これくらいのかすり傷、いちいち気にするようなヤワじゃないんだっ」
 私生活のほとんどが筒抜け状態のまいにちなのだ、わめきたくもなる。
 氷暉のからかいに腹を立てたアシュレイがガシガシ髪を洗っていると、そんな洗い方ではダメだとまたしても口を挟んでくる。
「いちいち細けーこと言うな。武将の価値が髪で決まる訳じゃねぇだろ」
 キッと鏡の中の自分をにらむといつの間にか、すり傷が消えていた。
「あ・・・サンキュ」
 怒っていたかと思えば素直に礼を言う。その単純さが愉快だ、飽きない。
《お前はもう少し自分の体を丁重に扱え》
「自分の体をどう扱おうと勝手だろ」
 髪にまだ泡が残っているというのにタオルを取ろうとするアシュレイにため息をついて、氷暉は浴槽の湯を彼に放った。
「なんだよっ」
《まだ泡が残ってる》
「お前〜・・・髪に泡が残ってるくらい―――」
《お前の体は俺のものでもある・・・・・本来の体はもう無いからな》
 氷暉の声がいくぶん暗くなった気がしてアシュレイは言葉に詰まってしまう。
《自分がどんな体つきでどんな顔だったのかさえも、思い出せなくなる時が来るかもしれん》
「・・・氷暉・・・・・、お前ってあんがい記憶力ないんだなっ」
 からかい口調ではあったが、アシュレイの本心など手にとるように分かってしまう氷暉のこと。そんな誤魔化しは通用しない。
(すぐ騙される)
 たまに、こうして共生相手の心に揺さぶりをかけておく。アシュレイの性格を見切っている氷暉は、自分の存在を主張する術を熟知していた。
 反対に、氷暉の本心を読むことができないアシュレイはすっかり反省モードとなり、その後かつてないほど丁寧に髪を洗い流したのだった。

《――――なんの真似だ?》
 小振りのキャビネットの上に、見覚えのある姿がフォトフレームに収まっている。
「こ・・・これは、俺の共生相手がどんな奴だったか忘れないように描かせたものだ」
(また、意味のないうそを・・・・しかしいつの間に?)
・・・・・そういえば数日前、一時的に記憶がとんでいた日があった・・・・どうせまた守天とよろしくやっていたのだろうと思っていたが、どうやらそういうわけではなかったようだ。
《なんだ、お前も人のことを言えない脳ミソだと認めたのか、感心だな・・・・俺はもっと品のある顔だったと思うが》
「そーかぁ?人相のわるさを的確に捉えた最高傑作じゃん。今探してる極悪魔族だって言って、描かせたんだ」
 言いながら姿絵を手にとるアシュレイ。
《・・極悪・・・・。まぁ、その仕上がりなら許容範囲だが・・・・ここに置いておくのは問題じゃないか?》
「なんでだよ?俺が使ってる部屋になにを置こうが文句を言われる筋合いはないぜ。それともお前がいやなのか?」
《俺はかまわないが、こんなものバレたらお前また―――――》
 いきなり黙り込んだ氷暉にアシュレイが問いかけようとすると、ノック音と共に返事を待たずドアが開いた。
 ここでそんなことをできる人物は一人しかいない。そう、ティアだ。
「アシュレイ、いる?君の好きなお菓子が――――・・・・・」
 後ろ手でドアを閉めた恋人が一瞬で不機嫌になったことは、アシュレイにもわかった。
 部屋の温度がいっきに下がった気がしてアシュレイはブルッと体をふるわせる。
「――――――なんなの、それ」
 ティアの冷たい視線が自分の胸元に刺さっている。
 つられて視線をうつすと、うでの中に氷暉の姿絵が。
「ア!」
 ようやく氷暉の言いかけた言葉を理解したアシュレイだったが、後の祭りだ。
 頭に血がのぼった恋人に組み敷かれて必死に言い訳を並べている武将をジッと見下ろす氷暉。
《バカな奴・・・・》
 他人が自分のためを思い、何かをしてくれるということ――――そんなことは、アシュレイに出会うまで・・・今の今まで経験がなかった。
 この気持ちをどう表現すれば良いのか氷暉には分からない。分からないが、下にいる守天と交代したい気分だ。
 自分が存在できないはずの天界で生活をしたり、共生した体で同族と戦ったり、本当に全てが新鮮なことばかりで。
魔族の敵=たいくつ。
好物=刺激。
この砂糖のような武将といると、そのどちらもが適度に満たされる。

守天に放り出されたフレームの中の自分が、心なしか笑みを浮かべているように氷暉には見えた。


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