[戻る]

投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

ここは、みなさんからの投稿小説を紹介するページです。
以前の投稿(妄想)小説のログはこちらから。
感想は、投稿小説ページ専用の掲示板へお願いします。

名前:

小説タイトル:

小説:

  名前をブラウザに記憶させる
※ 名前と小説は必須です。文章は全角5000文字まで。適度に改行をいれながら投稿してください。HTMLタグは使えません。


総小説数:1010件  [新規書込]
[全小説] [最新5小説] No.〜No.

[←No.146〜150] [No.151〜155] [No.156〜160→]

No.155 (2007/09/24 23:15) title:On Your Marks 2
Name:実和 (u064001.ppp.dion.ne.jp)

 行きつけのバーに集まった女友達は、それぞれ最近のことや芸能界の噂話を披露してくれた。空也も嬉しそうにモデル達と話していた。
「そういえばヘアメイクって桂花なんでしょー?彼も誘ってくれれば良かったのにー」
1人が甘えた口調で柢王を見上げた。
俺が1番来てほしかったんだ!と柢王は心の中で叫びつつ
「事務所で仕事があるからって断られちまってさ」
彼女の髪を指で撫でた。
「そーだ!この後、みんなで彼のとこに行かない?」
柢王の向かいに座っていたモデルが声を上げた。
「あー、それいいね!」
他の女性達もはしゃいだ声で賛成した。
「何だ、みんなあいつの事務所の場所、知ってんのか?」
柢王が尋ねると、皆口々にその場所や周辺の目印になる店などを言い出した。

勿論行くつもりだった。

勿論1人で。

 閑静な通りにその事務所はあった。買い物袋を提げた柢王はスタイリッシュな建物を見上げると窓から灯りが見えた。階段を上っていくとガラスのドアがあり、中を覗くと灯りに照らされて少しオレンジ色がかった白い髪がこちらに背を向けてテーブルに向かっていた。鍵が開いていたのでそっと扉を押すと、夜の静寂にカウベルの軽やかな音が響いた。白い髪が振り向くと、柢王は袋を持った腕を上げて軽く振って見せた。
「陣中見舞い」
「飲んでいたんじゃなかったんですか?」
2次会をせがむ女友達を空也に任せた後、柢王はこの場所に向かった。桂花の事務所へ行く話から巧みに話題を逸らせたことと皆、酔ったこともあり、解散時にその話題は出なかった。
「もう解散した。明日も撮影だし。本当に仕事だったんだな」
「嘘かどうか、確かめに来たんですか?」
柢王はいささか剣呑な眼差しに、けろりと言った。
「つーか、こんな遅くまで仕事なんてやっぱ気になるじゃん」
「あなたって本当に変な人ですね」
「ははっ、やっぱ?」
桂花はため息をつくと立ち上がってコーヒーを淹れてくれた。今すぐ叩き出すつもりはないらしい。
「で、本当は何なんですか?」
「疑り深いなー。本当に気になったんだぜ。前にも言ったろ?惚れたんだって」
そう言うと柢王は袋をテーブルの上に置くと中身を次々と取り出した。
「ワインと、あとチーズだろ。クラッカーも買ってきたんだ」
「・・・まだ仕事中ですので」
「んじゃあ、チーズとクラッカーだけにしとくか?このコーヒー美味いな。これにも合うと思うぜ。それにこのチーズ、美味いって評判なんだ」
「彼女から教えてもらったんですか?」
「いーや、女友達」
「あちらはそう思っていないのでは?」
「んなことないって。みんな適当に遊んでいるぜ。俺はその遊び相手の1人」
桂花は信じていなかった。この男の噂は度々聞いていた。それでも今のところ悪い噂を聞かないのはよほど要領が良いのだろう。たまに週刊誌にデート写真が載って軽く噂になる程度だ。
 桂花は美味そうにコーヒーを啜っている男を冷ややかに見た。でもそんな素行で惚れただの本気だのと言われて真面目に取れるわけがない。自分の何に興味を抱いたのかは知らないが、面倒なことには関わりたくない。
 柢王はチーズを口に入れ、呑気に「やっぱ美味いな、これ」と頷いている。そしてクラッカーにチーズを乗せるとテーブルの前にじっと立っている桂花に差し出した。
「ほら、お前も食えよ。美味いぜ」
桂花は無表情でクラッカーを受け取って口に入れた。口の中にクラッカーのサクサクした食感と濃厚で微かに甘いチーズの味が広がって柔らかく溶けていった。
柢王は嬉しそうに桂花を見ていた。
「な、美味いだろ。ワインと合わせるともっといけるぜ。ワインやるからまた試してくれよ」
「頂けませんよ、こんな高価なもの」
仕事で出席したパーティで、ワイン好きの主催者が勧めてきた物と同じ銘柄だった。
「いーって、遠慮すんなよ。今度来る時まで預かっておいてくれ」
「また、来る気ですか?現場で会うのに」
「いつだって会いたいんだ。現場だけなんて足りない。ずっと一緒にいたいんだ」
何の捻りも工夫もない台詞を恥ずかしげもなく、真っ直ぐ桂花の目を見て言った。
 桂花は髪をかき上げた。
「あなたって諦めが悪いのか鈍感なのか。何でそこまで拘るんです?」
「昔から、本当に欲しいって思ったものは諦めないタチなの。でも正直こんなにホネがある奴は初めてだけどな」
「今までの彼女達もそうやっていたんですか?」
「いや、どっちかって言えば向こうから。まぁきっかけ作ったのは俺ってことが多いけど。それに関しては追う側になったことはないぜ。成り行きによってはちょっと追ったこともあったけど」
「あなたって最低ですね」
「嫌いになった?」
屈託ない表情で言われて桂花は心底呆れた。
「嫌いになるほどのことではありませんけどね。ただ、残念ながらあなたの気持ちには沿えません」
「それって無関心ってこと?」
「えぇ、具体的に言えば」
「きついなー。好きの反対は無関心だぜ」
「吾としては好都合ですね」
桂花は自分のコーヒーを継ぎ足した。柢王が「俺も」とカップを差し出してきたので淹れてやった。
柢王は天井を仰ぎ見た。
「振られたのは人生初だな」
「良い人生経験になったでしょう」
「本気で惚れたのも初めてだけど」
「人生最良の思い出の一つですね」
「おい、もう過去かよ」
柢王はがっくりと項垂れた。その様子に桂花の口元が思わずほころんだ時、柢王はがばっと顔を上げた。
「あっ、今ちゃんと見てなかった!」
「は?」
「今、お前笑ったろ?お前が笑ったとこ、初めて見た。一瞬だけしか見られなかったけど、スゲー、キレかった。なぁ、もう1回笑ってくれよ」
目を輝かして身を乗り出してくる柢王に桂花はため息をついた。全く、この男には何回ため息をつかされることか。
「何、馬鹿なこと言っているんですか。それよりコーヒー終ったでしょう、早く帰って下さい。明日も撮影なんですよ」
そう言うと桂花はさっさとテーブルの上を片付け始めた。
「えー、もう1回くらい、いーじゃんかー」
椅子にしがみ付いてブーブー言う柢王をとっとと玄関まで追い立てた。扉を開けると夜の涼しい空気と玄関脇にある鉢植えの花の仄かに甘い香りが室内にひっそりと入ってきた。
柢王は空を見上げ
「明日も良い天気かな」
と呟くと桂花を見た。
「ありがとな。突然押しかけたのに付き合ってくれてさ」
いきなりそんなことを言われたので桂花は面食らった。
柢王は優しい目で笑いかけると「じゃーな」と言って階段を降りていった。その後ろ姿をぼんやりと見送っていると、数段降りた柢王は突然回れ右で駆け戻ってきて
「なぁ!おやすみのチューするの忘れてたんだけど」
と真面目な顔で言ってきたので桂花は男の鼻先でバタンと扉を閉め、鍵を掛けた。そして振り向きもせずにキッチンへ行くと食器を洗い始めた。
「何だよー、舌までは入れねーぞー」
不穏なことをぼやきながら階段を降りていく足音が聞こえた。
桂花はふと振り向くと、テーブルの上には柢王が持ってきたワインが残されていた。冷蔵庫にしまおうとしたが、そのまま自分の鞄の側に置く。オレンジの灯りが一つついた部屋は柢王が来る前と同じはずなのに、何だか今はガランとして見える。扉を開けた時に入ってきた花の香りと夜の空気と共に子供のように騒ぐ声と、桂花の目をまっすぐ見て話す時の温かくて深い声とが、気配のように漂っているように思えた。
本当に厄介な男だ。桂花はこの夜、何度目になるか分からないため息をついた。
 食器を拭くと、桂花は柢王が座っていた椅子に腰掛けて鞄の側にひっそりと置かれているワインボトルを眺めた。

・・・本当に、厄介だ。

 次の朝、柢王は桂花の姿を見つけると「よっ、昨日はごちそう様」と声を掛けてきた。それに桂花は素っ気無く挨拶を返した。柢王はいつもと同じようにメイク中も1人で喋っていた。
 ほんの一瞬風が起きただけなのに、桂花の胸には嵐が去ったような痕跡を残していた。それなのにこの男は全く変わらないのだ。馬鹿らしい。こんないい加減な男のために気持ちが僅かでも揺れるなんて全くの無駄だ。桂花は瞳に険を宿して黒髪にワックスを付けていった。
 一方で、柢王は常にない桂花の様子を敏感に感じ取っていた。他の人間では分からないような違いだが、いつも桂花ばかり見ている柢王には大きな違いだった。
・・・チューさせてと言ったことが気に入らなかったのかな。でも、そんな程度のこと(?)で今更気分を害すようにも思えない。
とにかく昨夜の訪問が桂花の心に波紋を投げたことだけは確かだった。
 柢王は僅かに乱暴にドライヤーで髪を乾かす桂花の手を感じながら鏡越しに桂花を盗み見た。
自分でも桂花の心を揺さぶることができるらしい。
それって期待してもいいんだよな。柢王は心の中で確認する。普通なら気分を損ねさせてしまったことに落ち込むが、神経が図太いのか1本ないのか柢王の思考回路はポジティブだ。

かくしてやたらに温度差のあるメイクルームであった。

 今日の撮影は午後から外で行われた。
「はいっ、オーケー!」
監督の声で現場の空気が緩み、スタッフ達が動き始める。柢王もモニターで自分の演技を確かめていた。と、頬にポツリと雫が落ちてきた。いつの間にか雲が厚くなったと思った時、細い透明な糸のような雨がサラサラと降ってきた。スタッフ達は慌てて機材を片付け始め、出演者達もロケバスに乗り込んだり、日除けのテントの下に入ったりした。
 柢王はテントの下でコーヒーを飲みながら視線で桂花を探した。どこにいても真っ先に桂花の姿を探してしまうのはもはや癖である。桂花はもう一つのテントの下にいた。柢王は紙コップにコーヒーを入れてそちらへ移った。
 桂花は気配がしたので振り向くと、柢王が紙コップを2つ持って駆け込んできた。
「お疲れさん」
柢王は紙コップに入ったコーヒーを差し出した。いりませんと突っぱねたいが、大人気ない振舞いをするわけにもいかず桂花は黙って受け取った。撮影が続いていたら話しかける隙なんて与えないのに。どうしてこんな考えなしの味方につくのかと桂花は天を恨んだ。さらに不幸なことにこのテントの下にいたのは自分1人であった。静かでホッとしていたのに。
「昨日のことさ、怒ってる?」
考えなしは桂花の心情にまるで無頓着に尋ねてきた。
「あなたはどう思っているんです?」
桂花はコーヒーに口も付けずに冷たく聞き返した。
「俺はさ、お前と2人っきりで話ができてスゲー嬉しかったよ。現場だとゆっくり話できないし」
当たり前だ。そんな隙なぞ与える謂れはない。
「そうですか」
「でも、それだけの価値はあると思うぜ」
「そうでしょうか?」
「そうさ。少なくとも俺にとってはそれだけの価値があるんだぜ」
「あなたが吾の何を知っているんです?」
「そう、何も知らない。だからお前のこともっと知りたい。どうでもいい奴にはそんな気持ち、持たないぜ」
「吾はあなたのこと、知りたいとは思いませんけど」
「いいさ。俺が勝手にそう思っているってだけなんだから」
そう言うと柢王はコーヒーを飲んだ。
これだけあからさまに拒絶しているのに、なぜこの男は懲りないのだろう。しかも相手はトップスターだ。桂花を下ろすことだって造作ないし、それくらいは覚悟していた。普段はここまでしない。これまで桂花に近づいてきた人間は数多くいたし、しつこい相手もいたが適当にかわしてきた。自分の仕事に支障がないように。こんな人間は初めてだ。こんなにしつこくて、熱くて、真っ直ぐな・・・。
 桂花はコーヒーを一息に飲み干すと紙コップをカンと音をたてて、組み立て式のテーブルの上に置いた。
「いい加減にして下さい」
「桂花?」
訝しげに桂花を見下ろした柢王の顔を桂花はまっすぐ睨み上げた。
「あなたに振り回されるのはたくさんです」
「桂花?どうしたんだよ?」
桂花はそれに答えず、テントから走り出るとロケバスに乗り込んでいった。

― どうしたんだよ?

そんなの、こっちが教えてほしいくらいだ。


No.154 (2007/09/18 20:44) title:コー・パイ空也の小事典 ─A Dictionary of Colors ─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

高度四万フィート、快晴、自動操縦中のコクピット。

「えー、皆様、こんにちは。コー・パイロットの空也です。本日は再び、皆様に小辞典をお届致します」
「小辞典じゃねーだろ、今回。つか毎回毎回、なんでおまえなんだっつーの。それも俺ん時。俺になんか恨みでもあんのか」
うんざした顔でため息つく機長に、コー・パイは慌てて柢王を振り向く。
「俺だって志願してないですよっ。ただオーナーから提案があったとかで命令受けたんですからっ。柢王機長、なんか元気ないですけど
ごはん食べましたよね、さっき?」
「飯が俺の人生の悩みかよっ。…ったく、六日も会えてねぇのに代理で四日も出ちまうなんて呪いだろ、絶対」
低くつぶやいた機長に、人の顔色は見るが詰めの甘いコー・パイは好奇心いっぱい、
「え、それってCAのことですか。というか、それってもしかして欲求──」
ゴキッ。左席の機長が肩の関節を鳴らす。コー・パイは青ざめ、
「で、では練習をはじめます。皆様。今回は航行全体様子を交えた用例集です。まずは離着陸の様子からです」
手製のテキストを開いて読み上げる。
「離着陸はパイロットにとって最も緊張する場面だと言われ、実際その11分間での事故が最も多いという統計もあります。そのため
離着陸の間は一切の私語が禁じられています。それが『サイレント・コクピット』と呼ばれる状態ですね。そのため、打ち合わせはつねに
事前に済ませておきます。それが『ブリーフィング』です。例えば離陸時だと目的地、ランウェイの確認、飛行時間、高度、風向きと強さ、
離陸中止の際はどうするかなどを打ち合わせします」
一呼吸。つっこみがないので安堵した顔で続ける。
「離陸のシーンは柢王機長たちの研修の場面を思い出して下さい。あの時は、『VR』、つまり、ローテーションという機首の引き起こしから
始まりましたが、その前に実は『V1』と言う大切なコールがあります。これは『離陸決心速度』と呼ばれるものです。離陸時、飛行機は
エンジン全開で加速していますからいきなり止めることができません。下手にとめようとして滑走路を越えてしまう『オーバー・ラン』などの
事故を防ぐために、この速度を越えたら何があっても絶対に離陸しなくてはならない、それが『V1』です。不具合がある場合は一度離陸し、
あらためて降りてくることになります。問題がない場合は上昇しながら揚力を調整する翼、プラップを戻して車輪をしまいます、これが
『ギア・アップ、プラップ・オン』です」
息継ぎ。機長は頷いて、
「あってんな」
空也がほっとした顔で言う。
「テキスト作った甲斐がありました」
「テキスト作んねーと説明できねーことかよ、おまえには」
「つ、次は上昇中ですねっ。飛行機はタイヤが離れてから五分後には上空一万フィートにいると言われています。航行中の速度は大体
時速700kmくらい。計器のバランスが取れ、特に問題がなければその時点で自動操縦に切替えます。そのオート・パイロット、略して
オー・パイへの切替えのやり取りは、機長!」
「プッシュ・センター・コマンド!」
「ラジャー・キャプテンっ!!」
「ほんとに押すんじゃねぇーっ!」
「あああーっ、つい癖でーっ」
オー・パイが外れ、ひとしきりゆれる機体。顔色変えた機長がホイールを繰って機体を安定させる。ふたたび自動操縦。
「スタピライズドっ(機体は安定しています)」
 空也の報告に機長は鋭く、
「おまえだろ、安定してないのっ! いーからさっさと続けて終われっ」
「は、はいっ。い、いまのように、自動操縦の間も操縦者は必ず操縦ホイールを握っています。ハイテク機の自動操縦はもうひとりのパイロットと
言ってもいいほど精巧で、時にパイロットよりうまいとまで言われますが、プログラムしていない事態には対応ができません。ですから
自動操縦でできる技術が複雑になればなるほど、その機の操縦ができるパイロットの技術も高いのが当然です。いまのがいい見本ですねっ」
「実験かよっ。つかおまえ一回監査で落ちろ!」
「そんなっ、落ちたら飛べないじゃないですかっ」
「飛んで落ちるよりましだろーがよっ。あーもー、早く終われっ」
「は、はいっ。その間、コー・パイはチェックリストを出して確認をしたり、通信をしたりなど分業作業をしているのでオー・パイの間も
決して遊んでいるのではありません。通常、航空機の無線は三回線あります。ひとつは緊急事態が起きた時の非常回線。もうひとつは
管制塔からの無線。最後は会社からの無線です。パイロットはいつも耳につけたイヤホンでその無線を聞いています。そしてときおり前方を
行く機から状況を知らせる無線が届きます。それとやり取りをするのもコー・パイの仕事ですね」
話したくないのか機長は無言。
「そ、そうやって航行が無事に進んでそろそろ着陸体勢に入る頃からコクピットはまた忙しくなります。セカンドでアシュレイ機長が
やっていたやり取りは、やや特殊な場合ですが、管制塔から指示された滑走路を確認したり、地上の天候や風を知らせるリストを出して
着陸の仕方をブリーフィングします。この際、もし着陸をやり直すことがあれば、その時にどうするかまで打ち合わせをしておきます。
つねに前倒しでいろいろなことを想定してことを進めるのがパイロットなんですよ」
「コー・パイのボケまでは想定外だけどな」
機長が鋭くつっこむ。青ざめたコー・パイは咳払いし、
「そ、そしていよいよ着陸目前になると、ランウェイ、夜ならアプローチライトを探します。それが確認できると、手動に切替え、
タイヤを降ろします。そうしているうちに着陸体勢に入る高度を告げる『アプローチング・ミニマム』のコール。1000フィートの
カウントダウンを聞きながらどんどん下降していきます。地上30フィートを知らせる『ミニマム』のコールが入ると、『ランディング』の
コール。下げていた機首を起こしながらエンジンの出力を切り、時速三百q程度の速度で滑走路に滑り込みます。そしてすぐさまブレーキを
かけながらエンジンを逆噴射して、とにかく早く速度を落さないと、滑走路は3qくらいしかないですし、次の飛行機が降りてきますから、
オーバーランしないためにとにかく急ぎます」
「おまえには絶対着陸は任せねぇ」
「な、なんでですかっ!」
「ただ急ぐだけか、急げばいいのか。ピザ頼んでんじゃねえぞ」
「そんな、ピザだって、縦にしないとかコーラ振らないとかあれこれ──」
いいかけたコー・パイは機長の鉛のような瞳に凍りつく。
「そ、そうです、早ければいいわけではありません。急いでいるからといってムリしてとめようとすると摩擦でタイヤが焼き切れてしまいます。
パンクになったらそれこそ迷惑なので慎重且つ的確に減速してタキシングウェイに移動することデス」
緊張のあまり棒読みになるコー・パイに、機長は肩をすくめながらも頷いて、
「そゆことだな。やっぱおまえ、監査で落ちろ。俺が監査官に告げ口しとくから。つか、急げ急げで早い男は嫌われる」
「て、柢王機長が言うと説得力あります。…あれ? でも欲求不満ってことは、いまの彼女はあんまりさせてくれないんですか」
「ンなこた、おまえが知ったことかっ! やっぱり落ちろ! おまえは地獄に落ちてふたつ結びの変態に可愛がってもらえ!!」
「ええっ誰ですかっ、その変態って! あ、そういえば機長、最近引っ越したんですよね? それって彼女と同居ですか」
とっさに恐怖心と好奇心がせめぎあい、後者の勝ち。尋ねた空也に、恋人の顔でも思い出したか、機長はとたんにご機嫌顔で、
「まあな」
「それじゃ宅配ピザと外食の生活も終わったんですねぇ……あ、でも欲求不満ってことは、そんなに構われてな…」
「欲求不満を連発してんじゃねえぞっ、コラ!!」
「すすみませんっ、つぃいっ!!」
「つい、だぁ? パイロットに、つい、なんかねぇんだよっ。常に全てを先読むのがパイロットだろ、玄関開ける前から、待ってる
恋人の顔色ぐらいわかってんのがパイロットだろーがっ、あぁっ?」
「すすすすみません、機長っ、でもそれ先読みっていうより単なる妄想っ……」
「あーあ、なんでおまえが隣りにいんだろな。俺ももっかい、コー・パイに戻ってクールな美人と延々ふたりで飛びてぇよなぁ」
何を思ってその結論なのかいきなり大きなため息をつく機長に、コー・パイは驚いた目をしたが、
「いい方法がありますよ!」
「あ?」
「初心に戻って宅配ピザと外食生活ですよ! 炭水化物はストレスを和らげるそうですし、それでビールガンガン飲む生活続けたらきっと
コー・パイにまた──」
「それは健康診断落ちてるだけだろっ! 頼む、キャビン、このバカ非常ドアから放り出してくれーーーー!!!」
                         


No.153 (2007/09/18 20:30) title:PECULIAR WING 8 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

PREPARATION

「うわ、近くで見たら結構大きいんですねぇ」
 感心したようなティアの言葉に、軍の広報担当者が微笑んで、
「これでも当基地の機のなかでは小さい方です。正式な愛称は別にありますが、当基地では『エア・ドルフィン』と呼ばれている機体です」
 説明するすぐ先、真っ白に洗い上げたようなコンクリートのスポットで、空色のつなぎを着た整備士たちとそれより一段濃い青の
フライトスーツと漆黒の対Gスーツに身を包んだパイロットたちが、あざやかなブルーのツートンの機体を囲んでスタンバイをしている。
 朝っぱらから雲ひとつない、華氏100℃の好天気──
 ティアたち天界航空のメンバーは、朝食を済ませたあと、揃って航空ショーの訓練を見に基地まで来た。 
 迎えのジープで司令塔まで行く間、パイロットや制服軍人たちがうろつき、黄色い『フォロー・ミー・カー』と呼ばれる誘導ジープや
迷彩色のジープが走り、時折鋭い音を立てて機体が舞い上がる様は、何度来ようがめずらしい。改めて見まわす一同に、しかし、
こちらもめずらしいらしく、軍人たちも興味ありげな視線をよこす。なかには露骨に口笛吹いてよこすパイロットもいたりして、
吹かれた美人たちより、一部機長たちの口もとに微妙な力が加わる。
 司令塔にはこの前の官僚はいなかったが、隊長が待っていた。六人を見ると穏やかな顔で、
「さっそくですが、いま、機体が格納庫から出されたところです。ご案内しましょう」
 あっさりと案内される。そもそもなぜここへ来たかを考えたらあっさりしすぎる態度にも思われるが、時間厳守なのはどこでも同じらしい。
一同は来たばかりの炎天下をそのまま、じりじり暑い駐機場へ。
 そこに並んでいたのは、先日、アシュレイが遭遇した銀の機体より一回りばかり小さく、そして丸みを帯びた翼と機首がイルカのように
愛嬌のある機体たちだった。ピンと立った大きな垂直尾翼も尾びれのようで、見た感じ軽飛行機のようにも思える。が、案内されて側に
寄ると、さすがに高さもあるし、縦横が10×13m、ダンプカーを見る程度の圧迫感はある。
 その胴にかけられた梯子の上ではパイロットがこちらに尻を向けてコクピットのチェック中。誰も一行に視線をよこさないのは
無視しているからではなく、事前チェックがそれだけ大事なものだからだ。隊長が笑顔で、かれらがドルフィン・キーパーとドルフィン・
ライダーだと説明してくれる。
 もともと航空界は愛称大好き世界だ。隊長とともに案内してくれるらしい広報担当が言うように、戦闘機にも『正式な』愛称があって、
『イーグル』や『ファントム』でどこでも通じる。旅客機も、冥界航空機は官制にも『ブラック・バード』と呼ばれることがあるし、
そもそも、ジェット旅客機を『ジャンボ』と呼ぶのも愛称だ。だからこの基地ではあの機は『飛ぶイルカ』、関係者は『イルカ・
チームのみなさん』で通用する。
「身軽そうな機体ですね」
 柢王がきらきら鼻面を輝かせているイルカを見遣って言う。と、広報が笑顔で、
「速度はさほどではありませんが、機体の旋廻性が非常に高く、軽いので、高度なフライトテクニックに耐えられますよ」
「へえー」
 と、一同は感心。遅いと言っても約2M、軽いと言ってもtの世界だが、戦闘機はみんなめずらしい。アシュレイも興味津々、その
イルカたちを見ていた。
 昨夜は思ったよりよく眠れて、朝食の時に顔を合わせたティアもいつものように微笑んでいて、明確な答えはまだ出切らないものの、
アシュレイの気分ははるかに落ち着いていた。それに、この前来た時は腹が立っただけだったが、もとからアシュレイは飛行機と名の
つくものならなんでも見てみたい質だ。間近に見る機体の、旅客機とは違う姿に思わず視線が釘づけになる。
「ここにスモークがついているのですよ」
 と、隊長が翼の下の大きな排気口の右側を指す。と、そこには小さな筒のようなものが取りつけられていて、そこからスモークの
元となるスピンドル油が噴き出すと言うことだ。
 大体、航空ショーといえば、整然と隊を組んだ機体が飛行しながら色あざやかなスモークで大空に絵柄やラインを描き出すのが通例。
本当はそれをする技術の高さと一糸乱れぬフライトこそが見物なのだが、そんなものは素人にはよくわからないのは花火と同じ。
結果すばらしかったらため息つくのもまた同じだ。
「これが本日の演目です」
 と、広報が紙を渡してくれる。が、軍の人が軍で使うために書いた紙だ。
「デルタ・ループはわかる。あとレター・エイトも前に見たことある」
「キューピッドって何するの?」
「キューピッドは、宙にハートを描いた真ん中に回転しながら矢を打ち込むような軌跡を描くことですよ」
「えっ、天使の輪じゃないんですかっ?」
「って、トンビか、おまえは」
 と、トンビじゃないが輪になった天界航空ご一行さまの会話は一般人と大差ない。むしろ航空マニアの方がもっと専門的なことを言いそうだ。
軍の広報が宙を見上げて瞬きを繰り返すのはたぶん、笑いをこらえているからだ。
「点検終了です」
 イルカ・キーパーが言って隊長が頷く。ようやくパイロットたちが梯子から降りて来るのに、隊長が、
「これが当基地の第一空艇隊のメンバーです。こちらは天界航空の皆さんだ」
 その紹介に、ヘルメット片手に横一列きちんと揃ったパイロットたちはああと言いたげに頷いて、
「そちらのおふたりは昨日見かけました。後の方もパイロットですか」
 一番年齢が高そうなひとりが尋ねる。といっても三十代くらいだろうが。隊長がそれに、こちらチームの内訳を説明すると、
「へえー、その美人もパイロットですか?」
 若いひとりの驚いたような笑顔に、黒髪機長の瞳がサングラスの下で半据わりになる。が、当の美人は表情も変えず、
「四人の編隊ですか」
 尋ねるのに、隊長が落ち着いた顔で、
「しばらくは四人ですね」
 その言葉に天界航空一同はサングラスの下で視線を交わす。
 が、パイロットたちはごく平然として、まずいよなぁとか困るよなぁという気配は微塵もない。その態度にアシュレイはかすかに眉をひそめた。
 別にあのパイロットが四六時中問題起こして隊から外れるのにみんな慣れっこだとしても、もう驚いたりはしないが……。
(大体、あいつにチーム・プレーなんかできるのか?)
 エースと呼ばれるパイロットが、この隊長の言う通り、戦場を飛ばせる価値のあるパイロットなのだとしても、ショーはチームワークが
絶対で、勝手に飛んだら自分より仲間が墜ちる接近飛行だ。民間機にニア・ミスしてバックれるようなパイロットと、
(よく一緒に飛べるよな……)
 アシュレイは、機体について質問している柢王と話すパイロットたちを見つめた。それが仕事なのか、それともそのうまさを信じて
いるから平気なのか……。
 パイロットたちの顔にその答えは見つからず、視線を反らしたアシュレイは隊長と視線が合う。落着き払った榛色の瞳のなかに
なにかこちらに言いたいことでもあるかと身構えたが、隊長はごく普通に一同を向くと、
「では、そろそろ取りかかりましょう。皆さんには移動をお願いします。滑走路の側に監視スペースがありますから」
 思惑がありそうでなさそうな掴めない相手に、アシュレイは眉間に皺寄せながらも、みんなと一緒にジープに乗り込んだ。
 ゆらゆらと陽炎がゆれる滑走路。その側には確かにちょっとした公園程度のスペースはあった。が、遮るものはジープの影しかない炎天下。
パイロットたちはそれなりに涼しい格好はしているが、オーナーであるティアは薄手のシャツの襟も詰んで、帽子の下で頬がもう上気している。
 アシュレイは、ウェストバッグのなかに手を突っ込んだ。そこからタオルで包んだものを取り出すと、ティアに差し出す。
ティアがきょとんとしてアシュレイを見た。それでも、反射的に差し出した手にタオルを乗せると、
「あ、冷たい」
 驚いたように瞳を見開く。
「冷却材が入ってるから首んとこに当ててると体温が上がらない。けど、冷やしすぎたらだめだからな、たまには外せよ」
「え、いいの、だってこれ君が用意してたんでしょう?」
 ティアが尋ねるが、アシュレイは、
「俺は慣れてるからいい」
 パイロットは体については無理はしない。機外の点検の時も寒ければカイロも使うし、暑ければ冷却材も使う。だからホテルの
冷凍庫で凍らせてはいたが、持ってきたのはティアのためだ。朝食の時、ティアの格好だと暑いだろうなと思ったから。
 でもそんなことは言わないで、そのまま前を向いたアシュレイに、ティアが笑みを浮かべて、
「ありがとう、アシュレイ」
 ちょっとうるうる来た声でいう横で、パイロットたちは微笑んで航務課スタッフを見る。と、先読み業界の最先端行く先読みスタッフも
微笑んで、持って来ていた小ぶりのクーラーボックスをそっとコンクリートの上に下ろした。

 今日は通常のショーと同様、高度3000フィートで演習を行う──隊長の説明に、パイロットたちはへぇと呟いた。旅客機の
パイロットにとって対地1000mはアプローチ目前の高さだが、そもそも戦闘機は旅客機ほど高くも長くも飛ばない。音速が出せるのも
空気が濃い高さまでだし、ドッグ・ファイトと呼ばれる空中戦が行われるのも高度ではない。第一、ショーなら見えなくては意味がないから
低くて当然だ。
 別のジープでやって来た軍の人たちが、無線の用意を始める。チューニングをすませた無線から、『…アルファ・フライト、チェック・イン』
『アルファ・2』『3』『4』、と続けて短い応答が聞こえたのは、A編隊の準備が整ったという意味だ。基本的に航空界のやり取りは短く、
そして常に多国籍である関係者の誰が話しても確実に意図が伝わるようにと独自のルールがある。Aをアルファと呼ぶのもそのひとつで、
Bはブラボー。褒めてはいない。
『アルファ、エンジン・スタート』
 遠くに低く轟くようなエンジン音が聞こえ始める。無線の声が官制と交信を始めた。見晴らしのいい滑走路を見ていると、やがて
タクシーウェイから青く輝く機体が現れる。縦一列整列したような同じ間隔で滑走路へと入り、そして、滑走路上で、ひし形にピタリと静止。
 官制への離陸の要請が聞こえ、エンジンの音が高くなる。ゴォォォっと腹に響く音に、ティアたちは眉をしかめるが、軍のみなさんは平気。
離陸許可、そして、
『スモーク・オン、ナウ!』
 先刻、隊長が教えてくれた排気口から一斉に白い煙が噴き出すとともに、機体が轟音を立てて離陸を始める。滑走しながら、まず
先頭の機のタイヤが離れた、と見る間に次の二機が同じ間隔、同じ角度でその後へ、最後の一機もスムーズに続いて、ピタリと形を
保ったままで空へ昇って行く。それはさながら水辺を飛び立つ鳥のよう。決して誰も出遅れないし、ふらつかない。
 見上げる天界航空一同はその見事さにまず感心。と言っても、口をあけて見上げているのはティアだけで、後のメンバーは純粋に
職業的な感心だ。あの機種上げ何度ぐらい?とか、ギア・アップも指示なしかよ、さすが反応早いよな、とか。
 そんな野次馬たちにお構いなしに、編隊が時速800kmで縦に整列。
 いよいよショーの始まりだ──


No.152 (2007/09/15 21:30) title:On Your Marks
Name:実和 (u064217.ppp.dion.ne.jp)

天界テレビの社長室。
柢王は身を沈めいているソファをしげしげと見た。
「これ、イタリアで買ったやつじゃないよな?あれ、どうしたんだよ?」
ティアは書類から顔を上げずに答えた。
「使用禁止にしたよ。今は私のマンションにある。それは代わりに買ったやつなんだ」
「使用禁止?何で?」
「だってあれはアシュレイと私の大切な場所だもの。他の人が使うなんて絶対ダメだよ」
「大切な・・・場所?」
「ソファって狭いから少し不便だけど、でもスリリングでいいよね。たまに落っこちるけど」
ふふふ・・・とティアが幸せそうに笑うほど、柢王は顔色をなくしていった。
親友が幸せなのは嬉しいが、どうも頭のネジを1本どこかへ落としてきた様子に(件のソファの下にでも落ちているに違いないが)柢王はこのテレビ局の未来を案じた。
親友の心配を余所に幸せ一杯のティアは続けた。
「アシュレイにうちの社員にならない?て誘ったんだけど、社員になると現場で働けなくなる可能性があるから嫌だって言われちゃったんだよね。そんなの任せてくれれば大丈夫って言ったら人事にお前が口出すなって言われちゃって。まぁ、ああいう筋の通ったところが格好いいんだけど。しかも夜は可愛いし」
言うだけ言うとティアはホワンと視線を飛ばしてどこかへ行ってしまった。大方ピンクの靄のかかった昨夜の記憶の中で遊んでいるのだろう。昨日電話した時に、今晩はアシュレイとアバンチュールなんだとウキウキした口調で言われて柢王は携帯を持ったまま脱力したのだ。
 柢王はため息をついて
「じゃ、そろそろ行くわ」
と、聞こえてないだろうが一応告げて社長室を出た。エレベーターホールでティアの秘書の山凍を見かけた。あんたも大変だな、と心の中で同情して柢王はエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターを降りると柢王はそのままメイクルームへ向かった。共演者への挨拶は済ませてしまっている。以前も一緒に仕事をした人もいれば、初めての人もいる。それはスタッフも同じだ。柢王は赤毛の大道具係を思い出して笑いを噛み殺した。あのティアを壊すとは中々だ。泣く女性が何人いることか。そちらも適当に慰めておかねば。忙しい時は用事が重なるものだ。
 メイクルームの扉を開けると、ヘアメイク担当は化粧台の上に大きなメイク道具入れを開けて道具の確認をしていたが、柢王を見ると会釈した。
「もう準備させていただいてもよろしいですか?」
「あぁ。よろしく」
柢王は慣れた様子で化粧台の前に座った。青年は丁寧に柢王の髪をとかしはじめた。
柢王は鏡の中の自分を見て、何事もないような顔をしていることにホッとした。
心臓が喉から飛び出そうなくらい鼓動が激しい。思考停止の中で、繊細な手が今は首筋に触れないことをひたすら願った。
 超絶美形のヘアメイクアーティスト。
昨夜、女友達が言っていたことを思い出した。
「確かまだ俺達一緒に仕事したことなかったよな」
美容師は手を休めずに鏡越しに柢王の顔を見た。
「えぇ、初めてですね。申し遅れましたが、桂花と申します」
「こんな美人と仕事ができるなんて、この仕事やっててよかった。あんたどこの店にいるんだ?今度からそこ行こうかな」
「普段から美人とばかり仕事なさっているでしょう。それに吾は美容院ではなくて事務所に勤めていますので」
「そうか。それは残念」
もっと話をしたかったが、残念ながら2人きりの時間はここまでだった。
桂花のアシスタントが入ってきたし、共演者も来てしまったので桂花は後をアシスタントに任せてそちらへ行ってしまった。

 初日の撮影を終えて帰宅したのは夜だった。まずまずの滑り出しだ。現場の雰囲気も良いし。うまくいきそうだ。スタジオで木材をせっせと運ぶアシュレイを見つけ、柢王は「よっ、アバンチュールはどうだった?」と声を掛けるとアシュレイは真っ赤な顔で木材をガラゴロと落とした。途端に、
「えっ、アシュレイ、彼女できたのか?」
「嘘だろー」
ワラワラと寄ってきた他のスタッフ達に紛れてしまったアシュレイを尻目にさっさと柢王は休憩場所であるスタジオ隅のテーブルへと帰っていった。
「バカヤロー!柢王!!」
人だかりの中からアシュレイの怒声だけが聞こえた。
彼女じゃなくて彼氏だよなー、とはさすがに柢王も言わなかった。あれ?両方彼氏になるのか?
今日は中々楽しかった。柢王は気分良くソファに倒れ込んだ。ただ1つを除いては。脳裏に白い髪がよぎる。あのヘアメイク担当は、仕事が済むと柢王が飲みに誘う前にさっさと帰ってしまった。結局話しができたのはあの僅かな時間だけだった。
 今日一日、柢王はさりげなく桂花のことを周囲の人間に聞いていた。分かったのは、ニューヨークやパリで活躍していた李々というメイクアップアーティストが経営する、ヘアメイク事務所に勤めていること。ドラマや雑誌など幅広く仕事をしていること。柢王よりも年上であること、どうやら恋人はいないらしいこと・・・。それだけだった(とりあえず最後の項目だけ確認できたら良かったのだが)。よく桂花と一緒に仕事をしているという女優に聞いても、物静かで聡明そうな寧という桂花のアシスタントに聞いても、柢王の人懐っこさと話術をもってしてもそれ以上のことは聞けなかったのだ。皆、隠しているのではない。本当に知らないようなのだ。
 柢王は自分の頬にそっと触れた。桂花の手がここに触れた。彼の手はひんやりしていたのに、触れられた跡は燃えるように熱くなった。

ティアに呆れていたというのに。
アシュレイをからかったばかりだというのに。
「運命の出会い」なんて頭から信じていなかったというのに。

絹糸のような白い髪。宝石のような硬質な美貌。深遠な紫水晶の瞳。
その瞳の奥にあるものに触れたいと灼けるように願った。
もう認めざるをえない。

扉を開けて、彼と目が合った瞬間に。
心どころか、魂さえも奪われてしまったことを。

 1度決めてしまえば迷わず行動をするというのが柢王のスタイルだった。そしてそれは大概成功していた。しかし、今回は勝手が違うようだ。人生そう上手くはいかない。貴重な教訓である。全く恋というのは含蓄豊かだ。今までなぜそれに気が付かなかったのか。適当な恋愛ばかりだったからだろうか。そういう意味では自分は初心者なのだ。
柢王はスタジオ隅の休憩コーナーからセットを見つめながらため息をついた。柢王の悩みの種は、ヒロインのオフィスのセットの中でヒロイン役の女優の髪を直していた。どうもビギナーズラックも狙えないようだ。今日も防御壁は万年雪を頂く峰のようにそびえたち・・・、つまり内面に触れる隙間さえなかった。桂花はいつものように鮮やかな手際で柢王の支度を整えると、さっさと共演者の支度へと移っていった。メイクの最中も話はするのだが、いまいち手ごたえがない。折を見て話しかけたりするのだが、チャンス自体中々ないし、あっても反応は芳しくない。それでも諦める気持ちはどこを探してもないのだから自分でも感心する。柢王は無意識に丸めてしまっていた台本を見た。ドラマなら事件が起こって急速に距離が縮んでいくなんて展開もあるのだが、現実では望むべくもない。そんなもの待っている内に撮影が終ってしまう。そうしたら打ち上げで何とか今後とも付き合いができるようにもっていくしかないが、彼のことだから打ち上げに来ないかもしれない。今のうちに地道に気長に忍耐強く働きかけるしかないわけで。
桂花がセットから出てきて、柢王は椅子から立ち上がった。
「よ、次は俺のシーンだよな。頼むな」
「えぇ、よろしくお願いします」
桂花は会釈して仕事道具の入ったケースが置いてあるテーブルの方へ行ったが、そのまま柢王も付いて行った。
「お前って本当に上手いよな。正直こんなに上手い奴、初めてだ。事務所じゃ1番の腕だって聞いたぜ」
「オーナーには敵いません」
「でも従業員の中じゃトップなんだろ。1番古いスタッフのうちの1人なんだっけ?」
「吾と同じくらいに入った人達と大差ありませんよ」
桂花は道具を出し入れしながら柢王の方を見ずに返事だけを返した。
柢王は傍にあった椅子を引き寄せ、それにまたぐように座り、背もたれに顎を乗せた。そして桂花の顔を下から覗き込んだ。
「パリでオーナーに会って、その腕を買われて事務所に入ったんだってな」
「えぇ、あちらに住んでいた時期があったので」
そこまで言うと桂花は柢王を見下ろした。
「随分吾のことをご存知ですね」
「こんな程度で随分って言うなよ。まだまだあんたのことはたくさん知りたいのに」
「なぜ?」
「惚れたから・・・て、答えじゃ駄目?」
柢王の蒼い眼差しと桂花の紫のそれとが絡み合った。
先に目を逸らしたのは桂花の方だった。
「駄目ですね。そんな下手な口説き方じゃ」
「俺は本気だぜ」
柢王は椅子に背もたれに頬杖をついて、本気なのかふざけているのか分からない表情で言った。
桂花はメイク道具入れをパタンと閉めて腰を伸ばした。
「そうですか。トップ俳優に口説かれるなんて光栄ですね。光栄に思っていますから次のシーン、遅刻しないで下さいね」
そう言うと桂花は寧に何か指示を与えながらスタジオから出て行った。
スラリとした後ろ姿を見つめながら柢王は
「俺は本気だぜ・・・」
と呟いて、先ほどの桂花の眼差しを思い出した。思えば初めてまともに見てくれたような気がする。
静まり返った紫の瞳からはやはり何の感情も読み取れなかった。

撮影は順調に進んでいく。桂花とは何の進展もない。そんな日々が流れるある日、その日の撮影が終った後、かねてから飲みに行きたいとせがまれていた女友達数人と、人気アイドルで共演者の空也とで飲みに行くことになった。
 休憩時間、柢王は仕事が一段落ついた桂花を捕まえた。ようやく掴んだチャンスだ。ここは外せない。柢王は逸る気持ちを無理矢理抑えて桂花に声をかけた。
「今日、飲みに行くんだけどお前も来ねーか?モデルやってる俺の女友達と、あと空也も来るんだ」
2人きりと思われたら速攻で断られるかもしれないので、柢王は先にそうではないことを言った。本当は2人きりで行きたいところなのだが、この際贅沢は言っていられない。とりあえず来てくれるだけでも万々歳だ。
桂花は微笑んだ。
「ありがとうございます。空也にも誘ってもらったのですが事務所で仕事が残っているので今回は遠慮させていただきます」
何っ!?あいつ、俺に断りもなく。けれど断られたら断られたでどーしてもっと粘らなかったんだよ!と腹が立つ。
しかし柢王はそんな心情をおくびにも出さず、頭をボリボリと掻いた。
「そりゃ残念。でもそれが片付いたら合流ってのもありだぜ」
気持ちのままにしつこくするのは嫌われるもとだ。押しと引きのバランスが大事、なんて頭では分かっちゃいる。
「明日までかかりそうなので。明日は多分、事務所からこちらに来ることになると思います」
「大変だな」
疲れを微塵も感じさせず、仕事をこなしている。こんなに細身なのに結構タフなのだ。そっかぁ、タフなのか、と無意識に危ない方向に想像が行った柢王は慌てて頭を振った。
 煩悶する柢王を置いて桂花はさっさと次のシーンの準備に移っていた。


No.151 (2007/09/14 23:56) title:土産
Name:碧玉 (224.154.12.61.ap.gmo-access.jp)

「わっ」
 突然、後ろから腕をひかれ桂花はよろけた。
「柢王・・・いきなりは止めてくださいって、いつもいっているでしょう」
「冷たいこというなよ、早くおまえに会いたくて全力疾走してきたんだからさ」
 二週間ぶりに下界から戻った恋人は、甘えモード全開で桂花を抱きしめてくる。
「まだ仕事が・・・」
「そんなの後、後っ」
「でも、あと少しで」
「少しってどれくらい」
「夕方までには」
「仕方ねーな」
 柢王はもう一度ギュッと桂花を抱きしめると、やっとのこと腕をといた。
「じゃあ、その間に城に行ってくるとするか」
「蓋天城に?」
「ああ。 親父にコレ頼まれてたからさ」
 柢王は下界から持ち帰った紙袋から菓子箱をひとつ取り出した。
「・・・ちんすこう??? なんです?」
「あっちの銘菓。前に土産にやったら気に入ったみてーでさ、勿論おまえにもあるんだぜ」
「―――ちんすこう・・・がですか?」
「いや、ウチのはこれ♪」
 柢王はガサガサといくつかの菓子を取り出し、一番大きなのを桂花に渡した。
「『うなぎパイ』・・・この『夜のお菓子』ってネーミングは何ですか」
 胡散臭げなキャッチコピーに桂花は眉を寄せる。
「いいだろ、それ♪ 一発で気に入っちまった」
 柢王はケラケラ笑うと残りの菓子も桂花に渡す。
「そっちはティアにな。アシュレイからの差し入れ。アイツはあと数日あっちにいるみてぇだけど」
「こっちの箱は?」
「おっと、これは翔王、輝王にだ」
「彼等にも土産ですか?」
 驚き桂花が顔をあげる。
「食うかどうかは知らねーけど」
「あなたって人は・・・」
 菓子の中身を知って、桂花はため息をついた。
「クククッ、大丈夫。あいつらには分からねーって。これでも色々考えたんだぜ、ひよこの形の饅頭にするか、ひよこじゃアカラサマだから鳩の形のサブレにするか」
「で―――『吉備団子』ですか」
「そ♪ へーき、へーき、俺も吉備団子にまつわる話知ったの最近だしっ」
 じゃあ行ってくるわと桂花の頬に唇を寄せると柢王は紙袋を手に窓から出て行った。

「アシュレイからっ!!」
 ティアは眼を輝かせ、桂花が差し出す包みに飛びついた。
「こっ、これは!!」
包装紙を開けるなりティアが固まる。
「守天殿?」
 いぶかしげに桂花はティアの持つ菓子箱をのぞきこんだ。
「『おたべ』? この菓子の商品名ですかね」
 桂花の言葉にティアは強く頷いた。
「それは分かってる。分かってる、けどっ、でもっ」
「でも?」
「もしかしてっ・・・アシュレイが誘ってる?」
「ありません」
 桂花はきっぱり答える。
「でもっ、数ある菓子からこれを選んだのってーーー」
「偶然です」
「下界に下りて練れてきたってこともーーー」
 よほど欲求がたまっているのだろう・・・珍しく諦め悪くティアが食い下がる。
「ありませんね。柢王じゃあるまいし」
「――――――――――――――――」
 撃沈。
 有能な秘書に僅かな期待をもきっぱり絶たれ、ティアはガックリうな垂れる。
 やれやれ〜桂花は肩をすくめた。
 だが箱を手に立ちすくんでいるティアをこのままにしておくのも躊躇われ、椅子に座らせお茶をいれてやった。
「何はともあれ折角差し入れてくださったのですから一息入れましょう。吾はその間に資料をあつめてきますから。そうだ、これも宜しかったらどうぞ」
 桂花はお茶と柢王土産の『うなぎパイ』テーブルに並べると執務室を後にした。
―――ガタガタッ―――
 椅子がひっくり返る音を背にしたものの、桂花は構わず蔵書室へと足をむけた。

「よく食ったな」
 戻った柢王は減った菓子箱を覗き嬉しげに笑った。
「吾はまだ食べてません。なんてったって『夜のお菓子』ですから。 たくさんあったんで守天殿とナセル室長におすそ分けしたんです」
「そっか♪」
 何を期待しているのか、いつになく弾んでいる柢王を尻目に桂花はシラッと言い募る。
「そう、先ほどナセル室長に教えて頂いたんですが―――『夜のお菓子』って家族団らんでいただくお菓子って意味だそうですね」
「―――――へっ!!」
「ですから」
 桂花はにっこり続ける。
「今夜はいつになく中睦ましく過ごしましょう―――もちろん冰玉も交えて、ね」

―――柢王が撃沈したのは、、、言うまでもない。


[←No.146〜150] [No.151〜155] [No.156〜160→]

小説削除:No.  管理パスワード:

Powered by T-Note Ver.3.21