投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
PRIORITY
航務課スタッフが本社にかけた電話を切ったのは、空が薄いオレンジ色を帯びかけている時刻。ようやく空いた滑走路に777便を運んだ後のことだ──
航務課長との話でわかったことといえば、ティアは確かに非公式に島に来るはずだった。が、運悪く、クリスタルの王室がニア・ミスの
ことでかけてきた電話を、古くからいて、黒髪機長に『盛りだくさんで一人前』と評されている機能しない重役のひとりが取ってしまったらしい。
結果、何も知らなかった重役は大騒ぎ。挙句、王室にもティアの島行きが知れてしまいました、ごめんなさい、とのことだった。
「タイミングが悪いですね……」
しみじみとした空也の言葉に、みんなが頷く。あまりに機能していないために誰もが無視するに慣れている隙を縫って社内に
頭痛の種を蒔くノートリアス。今回もきっとみんな油断していたに違いない。
「けど、仕事で来ないってことは、ティアの奴やっぱり俺のこと見に……」
推理的中で赤くなったアシュレイに、航務課スタッフは笑って、
「オーナーとは幼馴染だそうですね。心配なさるのも仕方ありませんよ、こんなケースはめったにないですから。課長の話では
柢王・桂花両キャプテンもオーナーと同行されているそうですよ」
「えっ、だってあいつら明後日フライトじゃ……」
言いかけて、アシュレイはうなじまで真っ赤になる。
あのふたりが揃って仕事を放り出してくるわけがない。機長の立場から言えば、今回のは同情はしても駆けつけてくるような事件では
ないのだ。それが来るとしたら絶対にアシュレイを案じたティアが頼んだせいだ! 自分だけならともかく機長のシフトまで替えるなんて──
(ティアの奴、限度があるぞ──)
ただでさえ、今日は気が立っている。そのティアの行動を笑い飛ばす余裕はいまのアシュレイにはない。と、それと見たのか、
航務課スタッフは落ちついた声で、
「キャプテン。人に想われるということも機長には大切な資質ですよ。それに友達は大切なものですし」
「でも……」
自分の立場にいきなりオーナーが食い込みそうになったら、それがオフだといわれてもいい気持ちがしなくて当然なのに。言いかけた言葉を
アシュレイは飲み込む。そんなこと思うこと自体が失礼に思えるくらい、スタッフの態度は穏やかだ。だからアシュレイもこらえて、
別のことを言った。
「さっきの──あの質問をして下さったこと、ありがとうございました」
と、スタッフはまたも笑顔で、
「気になるのは当然の問いですからね。それに、航務を守るのが私の仕事です」
(偉い、よな……)
アシュレイは複雑な目でそのすっきりとした笑みを見つめた。
本当に役割に徹している人だけが、いざという時の力になる。このスタッフ、そして、アシュレイには絶対に納得できない理屈なのだが、
それをそう思われるのを覚悟で言ってのけた隊長も大佐もゆるぎなく、沈着で……。
それに比べて、自分と来たら、腹がたつのは当然でも、もう少し、なにか対応もあったかも知れないと、いまになって思えてしまうこと自体が、
なんとも悔しいような情けないような……。おまけに、ティアは自分のことが気がかりで駆けつけてくるし、柢王と桂花まで巻き添えだ。
(俺って……)
にわか、機長としても、人としても、自分が半端なような気がして、その後、空也と向ったホテルの部屋でも、アシュレイの
気持ちは曇り空のままだった──
「やっぱり来なきゃよかったかなぁ……」
ティアは呟き、ため息をついた。後悔先に立たずというが、これはまさにその通りだ。機内から本社に電話をして、重役の絡んだ
事の顛末を耳にしたティアは青ざめた。よりによってなんでそんな大事な電話を取るのだ、と叫びたかったが、会社員として考えたら
ティアの方が間違っている。
(きっと陛下はご心配なさっているだろうなぁ。それに現地も……アシュレイだって、騒ぎになったら嫌なはずなのに・・・…)
隠密に行って、アシュレイの顔を見て励まして帰る。ただそれだけのプランだったのに、王室には知れるし、隣りの島に迎えのヘリまで
用意されて明け方前に島に到着。たぶん少し休んだら現地スタッフと王室に挨拶に行って、自分がここへ来たのはトラブルに意見が
あるのではないことをきちんと説明しなくてならないだろう。
いや、説明するのは得意だし、そもそも自分が蒔いた種だ。それはいいが、
(ふたりとも、本当にごめんね……)
急だったからEクラスしか取れず、しかも機内は混んでいる。ティアの並びは柢王と桂花で、ふたりとも椅子は少ししか倒さないが、
柢王は目を閉じているし、ティアの席から見えない桂花もたぶん同じだ。寒い国から寒い祖国、そして島。気温差、時差、距離。
どれを取っても疲れることは間違いない。その上さらにまた移動と来れば、怒られてもふしぎではないのに、ティアの話を聞いた
ふたりはごく冷静。
『んじゃ、ちょっとだけ目閉じてるけど、なんかあったら言えよ』
たぶん体調管理のための休息。どこでも眠れる柢王はともかく、人前で眠らないとの噂の桂花はどう思っているのか、話すには
遠くてわからないのがよけいに申し訳ない。
「私って、バカかもなぁ……」
もう少し、なんとかしようもあったろうに、と、ティアは落ちこんでため息をついた。と──、
「おまえがアシュレイ・バカなのは子供ン時からなんだから、いまさら気にすんなつーの。それに、起きたことを悔やむより
これからどうするか考えるのが航空会社の基本だろ」
呆れたような柢王の声に、ティアは目を見張る。
「えっ、ご、ごめん起こしたっ?」
慌ててそちらを見ると、こちらを見ていた親友はちょっと眠たげだが、いつもの笑顔で、
「静止してると寝なくても疲労の半分回復するんだよ。それに目開けてるとおまえのスーツケースから漂うカプサイシンが染みるしよ。
つか、おまえよくそれ持ちこめたよな? 俺はおまえが今度はテロで捕まるんじゃないかって冷や冷やしたぜ?」
いつもと同じ。子供の時から同じ、からかうようなあたたかな声で言ってくれる。
「でも、おまえたちにムリさせることにもなったし、本当に考えが足りなかったよ……」
その優しさがすまなくてそういうと、柢王は軽く肩をすくめて笑い、
「そんなの、わかりきったことじゃんか。オーナーが1パイロットの終わったピンチに好物山ほど抱えて駆けつけるなんてよーく
考えたらできねぇっつーの。でも、おまえみたいにふだんあれこれ考えないといけない奴はさ、たまに考えなしで動くくらいで
いいんじゃねえの? それが好きってことでもあるんだしさ。ま、おまえが鳴り物入りで来ることになったら、アシュレイは怒るよな。
現場のスタッフも微妙なとこはあるとは思うし。そこんとこは覚悟して、ちゃんとわからせる努力しろよな、ティア」
にっこりと、笑う柢王に、ティアは瞳を潤ませた。
ニア・ミスの件を聞いたとき、一瞬、体から血の気が引くのが感覚としてわかった。いても立ってもいられなくて、引き出しに
確保してあるアシュレイの好物を夢中で鞄に積め込んで──きっと部長が止めてくれなければ無意識に飛んでいっていただろう。柢王たちを待つ間も心にあったのはアシュレイのことだけで……。
本当は、じっとしていたらいいのはわかっているのだけど。放っておいても、過失がなければアシュレイは普通に三日後には
戻るのだから、それを迎えてあげればよかったのだろうけれど……。
(私はパイロットじゃないから、パイロットの気持ちはわからないけど……)
力になれるなれないは別として、アシュレイがふつうでないことにあった後くらい、励ましたり、あるいは、びっくりしたねと
笑うだけでもしたかったのだ。声だけでもよかったかもしれないけれど。ふだん側で励ますことはできないから、陸にいるときくらいは
側にいて励ましたかっだけなのだ。
だが、それもやはりオーナーの立場では、短慮かもしれないと、本社と連絡した後で、ティアは落ちこんでいたのだが──
「柢王……ありがとう。おまえにも、桂花にも、迷惑かけてごめんね」
ティアは潤む瞳で呟いた。
柢王も、黙ってついて来てくれた桂花も。航務課だって部長だって秘書だって。みんなティアのことを庇ってくれている。オーナーだから
あたりまえとは思わないけれど、オーナーだから甘やかされている部分もあるのだと、ティアにもよくわかっている。
けれど──。
誰にも迷惑はかけていないと断言できる人は、きっと周りのことが見えていないだけだ。人の好意に支えられずに存在している
人などいない。だから頼ろう、とは思わないけれど、人の優しさを、ありがとうと受け取ることも、迷惑かけないでいようとすることと
同じくらい大事なのだと、ティアは会社で働くようになってわかるようになっていた。
と、人の機微には敏感な親友はいつもながらにこだわらない笑顔を見せて、
「ま、俺はおまえらのお兄ちゃんだからな」
優しい声に、ティアは泣き出しそうな瞳で、うん! と笑った。
「オーナー、眠られたんですか」
桂花が尋ねる。柢王は、ああと桂花を向き直り、
「なんだかんだ言ったって、こいつだって激務だからな。おまけにアシュレイのことでも気疲れしたろうし、少しでも休めるなら
それがベストだよな」
席に凭れてすやすやしているティアの寝顔を横目に微笑む。と、クールな美人がくすりと笑う。
「なんだ?」
「いいえ。あれこれ気を回す人なんだなと思って」
「一番気を回したい相手が目瞑ったまま沈黙じゃあな。おまえだってあれこれ言ったらティアが気遣うと思って寝たふりしてたんだろ?
あれこれ目につくのはパイロットの職業病だよ」
笑う柢王に、桂花もかすかに瞳を細める。
「でも、こうなるとアシュレイ機長はオーナーがいらっしゃることをすなおには喜べないでしょうね」
「まーなー。あいつもティアのために機長になったってとこもあるけど、だからよけいに機長として関る立場でティアに関られると
複雑だよな。ティアにその気がなくてもこれじゃ公式に行くのと同じことだし」
だからあのてんこ盛りは、とため息をついた柢王はすぐに笑って、
「ま、なるようになる。俺らは傍観してりゃいいって。それより、おまえも少し寝たら? フライト長かったんだろ?」
と、桂花は首を振り、
「人がいると眠れないので」
「俺だけいると思えばいいじゃん。俺なんかステイ先でも目蓋の裏におまえの顔が浮んで眠れねぇ……って、あれ?」
「あなたが口と目を閉じる方がいいみたいですよ?」
と、クールな美人が肩をすくめ──
瞳で笑うカップルとオーナーを乗せた機体はそろそろ星の海を行くような夜間飛行に入るところだ──
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