投稿(妄想)小説の部屋

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No.423 (2002/03/01 00:07)投稿者:じたん

素直な唇 続・On Valentine's Day

 ダイニング・テーブルに頬杖をついて、目の前の絹一をそれとなく見つめる。
 じっと見つめてしまえば、今の俺の気持ちはバレてしまうだろうから。
 少し酔いのまわった様子の奴の視線にうっかり捕まりそうになるたび、視界に映るコスモスに視点を定める。
 そんな俺のことを少し睨みながら、それでも微笑みかけてくる絹一に、不本意にもどきりとしながら・・・

「鷲尾さんって、ホント・・・悪ガキだったんですね」
「そっか?」
「そうですよ。そんなこと、普通の人はしません」
 そう言いながら小さな頃の俺のことを想像したのか、絹一は小さく吹き出した。
 楽しそうにくすくす笑って、涙の滲んだ目じりを指先でそっとぬぐう。
 そうやってひとしきり笑ったあと、それを見ていた俺と視線が合った途端。
 絹一はおかしくて仕方がない、とばかりにまた吹き出した。
 ・・・案外、笑い上戸だったんだな。こいつは。
「も・・・、お腹・・・痛い」
「笑い過ぎだ。・・・ったく」
 そう返しながら目の前の器を重ねて、俺は立ち上がった。
 食事のあとついつい話し込んでしまい、気が付けばリビングの時計はもうすぐ11時を知らせようとしていた。
 いい加減、かたづけちまわないと。
 明日は平日だから、絹一は仕事だ。
「ほら、いい加減に笑いやめって。俺が洗ってる間に、風呂済ましちまえよ」
 いつもより甘い空気の流れる夜に、柄にもなく照れ臭さを感じて、俺はわざとそっけなくそう言いながらシンクに重ねた器を運んだ。
 やっとどうにか笑いをおさめた絹一の視線を、先ほどのように背中で感じながら、それでも俺はそれ以上の言葉を重ねるつもりはなかった。・・・いや、重ねられなかった。
「・・・鷲尾さん?」
 たとえ、途端に不安そうになった絹一の声を聞いたとしても。
「・・・ごめんなさい。・・・怒ったんですか?」
 答えられるわけがない。屈託なく笑うお前が可愛いだなんて。
「馬鹿。そうじゃない」
 言えるわけがない。そんなお前が。
「だったら・・・なんです?」
 堪らなく、愛しいだなんて・・・
「・・・いいから。さっさと風呂に入って来い」
「鷲尾さんは?」
 少し安心したような声で・・・その証拠に、今度は少し甘えを滲ませながら、絹一が俺の背中に額を摩り付けてくる。
 アルコールはまだ食前酒しか口にしていないというのに、いつもより早く酔いがまわっているような感じだ。
 これでは冷蔵庫で出番を待っている今夜の主役達が登場する前に、絹一は眠っちまいそうだな。
 毎年、決まり事のように絹一と過ごすバレンタインの夜に必ず飲む酒。キール・ロワイヤル。
「・・・なに考えてるんですか」
 一瞬、親父の事に想いを馳せていた俺を責めるように、いつのまにか腹に回されていた絹一の腕に、ぎゅっ、と力がこもる。
 その、相変わらず骨っぽい絹一の手首を見下ろしていた俺は、初めてこいつと過ごしたバレンタインの夜の事を思いだして、ふいに笑ってしまった。
 まるで絹一のためにしつらえたかのようにピッタリとはまっていた、ダイヤのブレスレットの事を。
 風呂から上がった後、それ以上の事はなにも言わずに、香水を付けてくれた絹一の手首のブレスレットを、俺は黙って外してやった。
 絹一にソイツを贈った男には気の毒だったが。
「なぜ笑うんです・・・?」
「いや、なんでもない」
 背中に唇を押し付けながら話している絹一のくぐもった問いかけに、今度は悪戯っぽい声で俺は答えた。
 腹に回されたままの絹一の左手首を掴むと、口元まで持ち上げ、そこに唇を寄せた。
 記憶にあるダイヤモンドの後を辿るように、ゆっくりと等間隔に唇をつける。
 俺の背中に張りついている細い身体が緊張しているのがわかる。・・・顔が真っ赤になっているだろう事も。
 そんな絹一をこのまま楽しむのもいい、と思いはじめた時。
「・・・お風呂、入ってきます」
 そう言いながらも自分からは決して離れようとしない絹一に。
 やめてと言わないのは、ずるいと思わないか? とからかう口調で本心を告げようとした途端。
 意地悪・・・と甘い声で背中に悪態を残し、逃げるようにバスルームに向かわれてしまった。
「・・・まったく。プロの女より、よっぽど・・・」
 男を翻弄してくれる・・・と、俺は小さく苦笑した。

 いつもより長い風呂から上がってくると、絹一は暫らくの間、俺を無視していた。
 しかし怒っているからではない、という事は奴の相変わらず赤くなったままの顔を見ていればわかる。
 だからすっかり長い髪を乾かし終えてパジャマ姿でソファに座り込んだ・・・そう、ソファに座り込んだ絹一に俺も無言でシャンパン・グラスを渡すと、少し離れた並びに腰を降ろしてから、煙草に火を点けた。
 そんな俺を今度もじっと見つめてから、絹一は両手で持ったグラスのふちにそっと口をつける。
 ボルドー色のカクテルを少しだけ口に含んでは、ゆっくりと喉の奥に流し込むのを繰り返している絹一をそっと見ながら、俺は自分のグラスを半分まで空けてからテーブルの上に置いた。
 その隣にすっかり空となったグラスを並べて置いてから、絹一はまた俺の方に視線を向けてきた。
 でもそれもほんの一瞬のことで、絹一は俺のグラスの残りも一気にあおってしまうと、元の位置に戻した。
 そして今度こそ、俺の目をじっと覗き込むように見つめてきた。・・・俺を逃がさないように。
「・・・あの夜を繰り返すことは、俺には出来ません」
 言葉より雄弁なその、酔って潤んだ瞳がどれほど来るかなんて、お前にはわからないよな。
「あの頃と同じ気持ちにも、戻れません」
 だから燻らせているだけだった煙を、俺は肺に深く吸い込む。
「・・・でも、そう思ってるのは俺だけ・・・なのかな」
 あなたはなにも・・・と切ない続きを言わせる前に、俺は煙草を灰皿に押しつけた。
 そのまま腕を伸ばして絹一の手首をつかむと、自分の方に引き寄せた。
 久しぶりに胸に抱いて改めて思った。
「・・・お前、痩せ過ぎだぞ」
 それから。
「・・・・・」
 吐息だけの俺の告白に、長い髪の合間から覗く白いうなじがうっすらと紅を敷く。
 目にしたそれにまるで舞妓のうなじに筆で紅を引いたような気になりながら、俺はそれもいいと思っていた。
 初々しいその姿も。芸妓のような無意識の妖艶さも。
 俺だけに見せるのなら・・・と。
 ・・・でも。
 お前が素直になればなるほど、俺は自分が翻弄されているのを自覚せざるをえないんだ。・・・かなり不本意だが。
 でもそれも仕方ない。・・・だから余計に本心を口にする気になれないんだ。
 まだ自分の気持ちに途惑っているお前には酷かもしれないが。
 だが本当は言わなくても、お前にはもう、わかっているんだろう・・・?
 ・・・その証拠に。
「・・・今夜はなんでもします」
 どんな女にも言わせなかったセリフを、あっさりと口にする。そして俺にも・・・
「本当に何でも・・・か?」
 言うつもりなどなかった言葉をあっさりと口にさせる。
 そして駄目押しに、どんな我侭だってきいてあげる・・・と囁く唇は再び、いとも容易く俺に白状させるんだ。
「じゃあ・・・俺を抱いて眠ってくれ」
 ・・・してはみたものの、やはり照れ臭いから。
 今夜は俺より先に眠っちまわないでくれよ? と、わざといやらしく笑って絹一にさりげなく仕返ししてやってから。
 明日は送ってやるから、と本気で囁いた俺に帰ってきたのは、明日はお休みだから・・・という、この上もない甘い告白。
 俺はとうとう落されてしまったような気分で、絹一の髪に指を絡めた。今だうっすらと紅いうなじに滑らせ、引き寄せる。
 素直に応えてくる絹一に捕まりながら、俺は最後に思った。
 一年に一度ぐらい、俺が甘えてもいいよな・・・と。


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