投稿(妄想)小説の部屋

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No.397 (2001/12/27 02:50)投稿者:有世

優しい手

「絹一、帰ってるのか?」
 シンと静まり返った室内に声をかける。
「真っ暗にして、何企んでんだ?」
 明かりの落とされたリビングに人の気配は感じられない。
『今日は残業も無いですから早く帰りますよ』
 出掛けに鷲尾に帰宅時間を聞かれて絹一はそう答えていた。
 その言葉を示すように、玄関には絹一が履いて出た靴がきちんと揃えられて並んでいる。
 着替えの為に向かった寝室にも、絹一の姿はなかった。
 Tシャツとスウェットに着替えた鷲尾がキッチンに向かうために寝室を出ると、和室の引き戸が開いた。
「何だ、そっちに・・・」
 振り返るとパジャマ姿の絹一が、少し熱を帯びた赤い顔で立っていた。
「どうした」
「だめです、それ以上近づかないで下さい」
 絹一の背後に見える薄暗い和室には布団が敷いてあり、さっきまでそこで眠っていた痕跡がある。
「風邪か」
「ん、会社早退させられました」
 だるそうに引き戸に身体を預けている絹一を、鷲尾は取り敢えず和室に追いやった。
 布団の上に座り込んだ絹一は、ニ三度小さく咳き込んだ。
「何で和室でなんか寝てるんだ」
「・・・」
「医者は? 行ったのか?」
「・・・」
 答えないが、表情を見れば医者に行っていない事は分かる。
 横になってろ、と絹一を布団に寝かせて鷲尾はリビングに置いてある救急箱の中の体温計を取りに行った。
「で、何で和室なんかで寝てたんだ」
「・・・一緒の部屋にいたら感染すから・・・・・・鷲尾さんには感染したくなかったんです」
 再度の質問に、最初は答えたくなさそうな表情だったが、答えろよという鷲尾の瞳に負けて、布団を口許まで引き上げて聞こえないかもしれない小さな声で呟いた。
 差し込んでおいた体温計がピピッと鳴ったので抜き取ると、デジタルの表示は38度5分を示していた。
 完全な風邪だな、と鷲尾は額に浮いた汗で微かに湿った前髪を退けて額に手を当てた。
「無理して残業ばっかするからだ」
「ごめんなさい、自己管理が出来てなくて・・・」
 熱で潤んだ瞳が鷲尾の顔を見て自嘲したように笑う。
「馬鹿・・・こういうのは、身体が休みたいって言ってんだから休め」
 枕元に座った鷲尾のスウェットの膝を、布団から手を出した絹一がそっと掴む。
その仕草に鷲尾は、熱がある時にそんな瞳と仕草を見せるのは反則だぞと、心の中で思い、病人相手に煽られそうな自分に苦笑した。

 発熱による発汗でベトつく身体に絹一が目を覚ます。
 あの後すぐに眠りに落ちて、どれくらい眠っていたのだろう。
 部屋の中が微かに湿り気を帯びて暖まっている。
 起き上がると額にいつの間にのせられたのか、濡れたタオルが落ちた。
 部屋の隅には加湿器が置かれていて、仄白い蒸気が部屋を満たしていた。
 熟睡していた間に鷲尾は随分と絹一の具合を心配してくれた事が分かり、思わず微笑んでしまう。
「起きたか?」
 絹一が起きた気配を感じ取ったのか、鷲尾が和室を覗きに来た。
 手には湯呑みの乗ったトレーを持って。
「ほら、暑いから気をつけろよ」
「しょうが湯? ・・・いい匂い」
 湯気をふうっと一吹きして、そっと湯呑みを口に運ぶ。
生姜とハチミツの合わさった匂いが何だか懐かしくて温かい気持ちにしてくれる。
「それ飲んだら、着替えてもう少し寝てろ」
「・・・はい」
鷲尾はまた絹一の額に手を当てて、あんまり変わらないなと独り言のように呟いた。

 眠りの奥深くに沈んでいた意識が、少し上がった熱による体の重さで引き戻される。
 寝返りをうちたくても、身体を動かす機能がどこか別の場所にあるみたいに絹一の思い通りにならない。
 冷やりとした感触が額に触れる。
 びくっとして、熱で重い瞼を少しだけ引き上げると、鷲尾の顔が間近に見えた。
「悪い、起こしたか?」
 絹一は小さく首を横に振る。
「・・・・・・きもちいい」
 鷲尾の顔を確認した事でほっとしたのか、また眠りに引きこまれそうな絹一が嬉しそうに呟いた。

 汗を拭いてくれる────手
 こんなに優しい記憶は知らない。
 なのに懐かしくて安心できる。

「鷲尾さん・・・きっと鷲尾さんのお母さんは風邪ひいた時はこんな風にしてくれたんですね」
 布団を掛け直している鷲尾に絹一が話かける。
「・・・ああ、そうだな」
 少しだけ照れくさそうにした鷲尾の表情に、絹一は安心した表情を浮かべた。
「病人は甘えてもいいんだぞ、何かして欲しい事あるか?絹一」
「・・・・・・・・・ないです。ないけど・・・言いたい事はあるかな」
「言いたい事?」
 聞き返されて絹一は小さく首を縦に振る。
「好きです、鷲尾さん」
 熱に浮かされた本心なのか、熱に惑わされた言葉なのか・・・。
 それだけ言うと絹一はすとんと眠りに落ちてしまった。
 突然の告白に鷲尾は呆気にとられた。
 ずるいぞ絹一、と、もう聞こえてはいないであろう相手に向かって鷲尾は笑う。
 そして、その告白に答えるように熱で少し乾いている唇にそっと触れた。


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