投稿(妄想)小説の部屋

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No.385 (2001/10/06 22:02)投稿者:じたん

 スーツと言ったら決まってグレーか紺しか持っていない絹一に、たまには違う色のものを着てみたらどうだ? と何気なく言ったらあいつは、見立てて頂けませんか、と珍しく甘えてきた。
「全部任せるか?」
「ええ」
「じゃあ・・・今週の土曜日はどうだ?」
「お願いします」
 わかった、と返事をしながら二本目のビールの缶をあけた俺を横目で見ながら、絹一は着替えるために寝室に入って行った。置いてある自分の服に手早く着替えてからキッチンに戻ってくると、キッチンに立っている俺の横に並んで、作りかけのサラダのプチトマトを摘んで、自分の口の中に放り込んだ。
 ・・・珍しいな、ホントに。
 絹一にしては行儀の悪い行為だったから、俺は少し意外そうな顔で隣の彼を見た。
「珍しいとか思ってます?」
 考えていた事を言い当てられて、俺は少し面食らった。
「よくわかったな」
「それも珍しい。・・・でしょう?」
 そう言ってクス、と小さく笑う。
 ・・・最近、少し鋭くなったな、こいつ。
 今度は何も返さなかった俺にかまわず、絹一はメインをよそう皿をテーブルから取り上げようとダイニング・テーブルの方を振り返った。それにつられてビールを置いた俺の首に、するりと絹一の両腕が絡んできた。そのまま引き寄せられる。
「珍しいついでに・・・」
 悪戯っぽい唇が重なる直前、囁いた。

 オーダーにはカスタム・オーダー、イージー・オーダー・・・最近ではパターン・オーダーとも言う・・・といろいろあるが、ブランドであるなしといった事も含めて納期はどれもそう変わらない。だいたい1月半から2ヶ月が目安といったところだ。それでもかっちりとした英国のテーラーなどは仮縫いを何回も行うから、縫製の進み具合によっては少しかかる場合もある。それは忙しい絹一には無理だろうから、俺は銀座にあるフランスのテーラーを選んだ。24時間フル稼働のビジネス・マンのいる日本では最近珍しくもないが、ここは基本的に採寸した後、型を起こす前に直断ちした生地を組み立ててから初めて仮縫いをするので、きちっとした型紙を起こしてから生地を裁断するやり方よりも、店に通う数は少なくて済む筈だ。
 それに、筋肉質だが細い絹一の身体はただでさえ骨っぽく見えるのに、それを強調するようなラインはどうかと思ったのだ。その点、ここのオーダースーツは上品で柔らかなシルエットが出るので、あいつにはいいと思う。
 俺の名前であらかじめ電話連絡をしておいたので、待たされる事もなく俺達は奥の部屋へ通された。完全なオーダーは初めてだという絹一は、楽しそうだったが少し緊張していた。・・・基本的に身体に触られるのが嫌いなんだよな、こいつは。でも仕方ない。採寸しなければスーツは出来ない。
 職人が手際よく絹一のサイズを測っている間に、彼の生地をいくつか選ぶと、俺は自分の生地も選んだ。せっかく来たのだ。丁度いい。俺もシャツを二枚ほど作る事に決めると、さりげなく注意を配っていた店員にいつもの襟型とカフスで、と頼んだ。
 俺が最終的に絹一に選んだ生地はキャメル素材のもので、とても手触りがいい。仕事中は厳しい顔つきになるのは当然だが、絹一は根を詰めると何だか近寄りがたい雰囲気になるからな。こういった柔らかな明るい色味のものは、少しでもそれを和らげてくれるだろう? 比較的肌の白い絹一には似合う色だしな。それに、以前見たドレス・スーツほど派手ではないし。これだったら十分、ビジネス・スーツとして通用するはずだ。スタイルはシングルの三つボタン。定番のベーシック・デザインだ。・・・まあ、無難なところで。
 店を出て少し遅い昼食を取るために近くのレストラン・カフェへ入った俺達は、それぞれ注文をした後、外の通りを歩く買い物客の姿を、何とはなしに見ていた。
 晩夏の太陽が照りつける外は暑くて、歩いてる人間は皆、汗をハンカチでふきながらの急ぎ足だ。でも、今は8月の終りだから、出来上がる頃にはすっかり秋で、スーツを着るにはちょうどいい気候だろう。
「出来上がるのがすごく楽しみです」
 食事の前に運ばれてきたアイス・ティーにストローをさして一口吸った後、絹一は嬉しそうに微笑んだ。
「そうだな。何度作っても、それは変わらないな」
「ありがとうございました」
「どういたしまして。・・・仕上がりを見る時は、俺も行くから」
「いいんですか?」
「最後まで見届けないとな」
「優しいですね。・・・嬉しいです」
 そう言って俺をじっと見詰めた後、切れ長の目を細めて悪戯っぽく微笑む。・・・まただ。
 こんな人前で珍しいぞ・・・と言ってやりたいが。少し意味深にも取れる眼差しから目がそらせない。
 珍しいのは、こんなふうにいやに素直なところもそうで。・・・俺を真昼間から誘惑してくるのもそうで。
「・・・明日は休みなのか?」
「ええ」
 だから今夜の食事は、俺におごらせて下さいね・・・と絹一は澄ました顔でそう告げてきた。
 そう、告げてきたんだ。・・・という事は。ようするに・・・俺にご馳走してくれるというワケで。
 少し目を伏せてアイス・ティーにさしたストローにまた口をつけた絹一から、俺は視線を外に向けた。

 熟練した職人による仕立てはやはりいいもので、仮縫は一回、それもほんの数分を要しただけだったと絹一に聞かされた時に、彼の満足そうな顔を目にした時は、やはり俺も嬉しかった。
 10月初めの土曜日。すっかり涼しくなった銀座を行き交う人々は、もう本格的な秋の装いで、プレゼントを買ってもらいに行く子供のような顔をしている絹一の隣を歩きながら、俺はどうしても笑ってしまう自分の顔を隠すのにかなり苦労した。
 店について早速試着した絹一を、離れたソファに座って眺めながら、俺は少し違和感を覚えていた。
 背中が少し緊張してるんだ。それに・・・何だか肩に力が入っている。少し辛そうに見えなくもない。
 腕を上げたり、後を振り向いたり、少し屈んでみたりと、色々な姿勢をとってみても身体を締めつけずラクに動けるのは、さすが腕のよい職人による厳しい仕事の賜物で、それには絹一もかなり感激したようだ。
 ・・・が。やはり後から見ると、少しぎこちないように見える。それには仕上がりを見ている職人も気付いているようで、さりげなく肩周りを見ている。しかし、これは採寸ミスだとかの問題ではないだろう。
 しなやかな絹一の身体を包むスーツ・・・特にジャケットにシワ等はよらないし、綺麗なラインが出ている。
 だから・・・多分。
 職人が絹一に断って少し席を外した時、俺はソファから立ちあがって彼の後ろに近づいた。
「鷲尾さん?」
「いいから。前、向いてろ」
 最近では複数の職人による事もあるが、ここのテーラーは基本的にひとりの職人がひとつの仕事を最後までやり抜く。だから他にいるのは店員だけで、見られていない今は彼のプライドも刺激しないだろう。
 俺は絹一の首の後を親指と人差し指でつまむと、適度に力を入れてマッサージしてやった。
 スーツは肩で着るものだ。せっかくのオーダースーツもここが疲れていたのでは、ぴしりと着こなせない。
「・・・ん・・・気持ちいい・・・」
「・・・馬鹿。そんな声出すな」
 一応声を落して言った俺の言葉に、絹一の顔が僅かに赤くなる。それを目の前の大きな姿見でさりげなく見ながら、俺はシャツの襟周りまでを揉んでやると、真面目な職人が戻ってくる前にとソファに戻った。
 俺が座ったと同時に、職人が戻ってきた。一応、型紙を持って来たらしい。最初に持って来ていなかったというのは、それだけ自負があったという事で。そんな彼の自信家な所が、俺は結構好きだった。
 待針を刺した針坊主を腕に巻き、再び絹一とスーツのフィット感を見るべく、職人は両肩の所を掴んで持ち上げたり下げたりしながら、あっているかどうか確認していた。
 でも・・・今度は。
「・・・素敵ですよ。よくお似合いです」
「ありがとうございます」
 やっと満足そうな顔をしてみせた職人に、絹一も少しホッとしたようにそう返した。
 それから本当に嬉しそうな顔で、お願いして良かったです、と熟年の職人に心からの感謝を伝えた。
 この店で俺は結構スーツを作っていたので、どうやら紹介という事で、絹一のスーツの仕上がりは通常よりもかなり早い納期だった。おりしも今は10月の頭。本当にいいタイミングだ。
 俺がオーダーしたシャツは頼んでから2週間後には出来ていたので、一足先に店に取りに来ていた。
 車は西銀座地下駐車場に停めておいたので、夕食を何処かで済ませて行くか?と訪ねた俺に絹一は、鷲尾さんの部屋で手料理が食べたい・・・と例の悪戯っぽい顔をしながらねだってきた。
 まあ・・・いいけどな。
 何だかすっかり甘え上手になった絹一に、少々甘ったるい気分を感じながら、俺達は買い物を済ませると、最後に絹一のお気に入りのシャンパンを買ってから、マンションに戻った。
 これまた絹一のリクエストだった、トマトとアサリのスープ・パスタとシーザース・サラダという組み合わせのイタリアンな夕食を済ませると、食事中から飲んでいたシャンパンのボトルとグラスを手に、リビングに移動した。
 ソファではなく絨毯の上にクッションを置いて、その上に座り込んだ絹一の隣に俺も腰を下ろそうとした時、ふと思いついて、俺はキッチンに引き返した。デザートを冷やしてあったのを思い出したんだ。
 冷蔵庫からよく冷えた巨峰を取り出すと、俺はガラスの器に砕いた氷を敷き詰めて、その上に巨峰を乗せた。どっしりと重いそれを持ってリビングに戻ろうとした俺の手元を、足音を忍ばせてやってきた絹一が後から覗き込んだ。
「デザートですか?」
「ああ。今の時期は巨峰が美味いだろ?」
「そうですね」
 氷が溶ける前に戻ろうぜ、とリビングに促した俺の腕に、絹一がそっと手を乗せてきた。
「今日はありがとうございました。・・・本当に嬉しかったです」
「どういたしまして」
「それにしても、よくわかりましたね」
「肩の事か?」
「ええ」
「ま・・・それなりに」
 お前の事は見ているつもりだからな、とは心の中で呟いた。・・・その代わりと言ってはナンだが。
「着ていて気分のいい服は、仕事の能率も上げるからな」
 それでさっさと仕事を片付けて、ここへ食事をしに来いよ・・・とさりげなく付け足した俺に、絹一が嬉しそうに微笑んだ。それから・・・やはり珍しい事に、俺の後からウエストに腕を回して背中に頬を押しつけてきた。
「そんなに甘やかすと・・・つけ上がりますよ」
 それにはやはりこたえない。それが無言のYESである事ぐらい、今のこいつにはわかるだろうから。
 その証拠に、背中が唇からもれた吐息で熱くなる。声を出さずに笑っているのがわかる。・・・ったく。
 何時の間にこんなに甘え上手になったんだ? こいつは。
 まあ・・・でも、いいか。
あの夜のお前もご馳走だったけど。リラックスしたお前を見るのが、俺には一番のご馳走だから・・・な。


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