投稿(妄想)小説の部屋

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No.227 (2001/04/09 05:48) 投稿者:とし

Precious Snow

 大通りから一本入った裏通り。すっかり寝静まった住宅街の夜道は暗い。
 儚げな粉雪が風に舞い散っている。
 東京ではこれが最後の雪になるだろう。寒の戻りだと、天気予報が言っていた。
 肩が触れ合うようにして並んで歩いていても、温もりが少し遠い。
(…健さんは寒くないのかな?)
 そっと横目でうかがうと、健にはすぐ気づかれて、ぐいっと肩を抱き寄せられた。
「ちょ…ちょっとっ。健さんっ」
 誰か通りやしないかと焦って抵抗すると、ますます腕の中に抱き込まれ、小さく笑った声が落とされる。
「シ〜ン、こんな時間に歩いてる奴はいねぇから恥ずかしがンな」
「でもっ」
「なんだぁ? てーこーしてあおってンのかな、シンちゃんは。んん?」
「あおってませんっ! もうっ」
 からかいのような本気のような言葉に諦めたふりをして、でも本当は、慎吾もそう思っていた。
(誰もいないし、寒いから…いいよね)
 誰にともなく言い訳して、今度は自分から、もう少しだけ身体を寄せた。
(あったかい…)
「うわあっ!! 健さん、何するんですかーーーっ!?」
 いきなり耳を舐められた。ゴシゴシ擦って、慌てて逃げようとするけれど、がっちりはまった腕の中から逃げられない。
「だから誰もいねぇって。耳が冷たそうだから、ちっとあっためてやろうとしただけじゃねぇか」
 ニヤニヤ笑った顔で言われても説得力はない。
 だいたい、舐められて湿ってしまった耳はもっと寒い。でも、それを言ったら今度は何をされるかわからない。
(…あっ、そうか。こういう時は肘打ちすればよかったんだ)
 今さらのように抵抗術を思いついても、そこまでするつもりはもともとなかった自分にも気がついていて、なんだか少しため息をつきたくなった。
(俺って流されやすいのかなぁ? …っていうか、めちゃくちゃ弱いんだよな、健さんに……)
 そんな慎吾に気づいているのかいないのか、健は、慎吾の髪にふんふんと鼻を寄せてくる。
「んー。雪の匂いがすンな。おまえの髪」
「雪に匂いはありませんよ」
 すっかり脱力してどうでもよくなっていたけれど、一応、否定はしておく。
「じゃ、シンの匂いだ。いー匂い♪」
(冗談じゃない。妖しげなセリフ断固反対!)
「俺に匂いなんかっ。シャンプーの匂いですよ、きっと」
 健の目を睨んで、きっぱり否定した。
「残ってっかよ。こんな時間まで。それに、俺がシンの匂い間違えるわけねぇだろーが」
「さっきは雪の匂いって言ったくせに」
「ああ。それはシチュエーションってやつだな」
「なんのシチュエーションですか!?」
 イヤな予感がする。
「そりゃー、おまえ。ムードを高める…」
「ムードなんかいりませんっ!」
「だよなー。シンは女じゃねぇもんなぁ」
 にっと笑った唇が迫ってくるスピードは速かった。
「け、健さ…んっ」
(ここは道! 道端だってばーーーーっっ!!)
 ジタバタしても、首に巻きついた腕に頭をホールドされて逃げられない。
(ああっ!! しかも、ここって、街路灯の真下じゃないかっっ。誰か通ったら丸見えっ!)
 必死に顔をそらすと、ほとんど健の顔に占領された視界の隅で、金色の髪の上の雪がキラっと光った。
「あ」
(初めてだ……)
 ――健と見る初めて雪。
 愕然と固まった慎吾を、健が逃がすはずはない。
(健さん…)
 今度は素直に目を閉じて、自分からも腕を回した。
 考えてみれば、この冬が、健と一緒に過す初めての冬だった。
 出会って最初の冬は、自分が飛び出したせいで別々に過し、その次の冬もその次の冬も…自分のせいで別れ別れに……。
 やっと一緒に過せるようになったのに、忙しない日常に流され――。
 初めての冬だと、思いつきもしなかった。
 去年の五月に再会し、甘い言葉の裏で冷たく拒絶され…決定的に切られてしまうところだった。それを必死に引き止めた、あの気持ちは何処へいった?
(俺は…傲慢だ)
 唇の熱を分け合いながら、慎吾は少し泣きたくなった。
「てめっ! 最中にナニ考えてんだ!?」
 唐突に唇を離した健に、ベシッと頭をはたかれた。
「…なんだ? そんな顔して…」
 いぶかしげに開かれた唇が、誤解して謝罪の形になる前にと、慌てて慎吾は首を振った。
「違う。健さんと一緒に雪を見るのは初めてだって思ったから、俺……」
 驚いたように一瞬見開かれた健の目が、やわらかく細められた。
「そっか。そーいやそうかもな…」
 が、たちまち、からかい顔になった。
「で、感激して、こ〜んな顔になっちまったんだ。シンちゃんは」
 それは半分しか合っていない。
(ごめんなさいって、謝らなきゃ)
 でも、次の言葉を続けられない。
 今この場で急に謝るのも変な気がするし、どう切り出せばいいのかもわからない。
 それになにより、今の今まで気づかなかった自分が、どうしようもなく情けない。
(俺はいつも、気がつくのが遅いんだ……)
 そして、伝えるのも下手だ。
 もどかしく白い息だけが唇からこぼれ、想いは言葉にならない。
「…シ〜ン。いつまでもそんな顔してっと、ここで襲うぞ」
 物騒な科白を吐きながら、ツンツンと、健は慎吾の頬をつついた。その眼差しは、ひどく優しい。
『…泣いたら襲うからな』
 そう言われた時以来、抱かれたのは身体ではなかったと、感じたことがいったい何度あっただろう? 何度も何度も救われて、どれだけ一緒にいたいと思っていたか。なのに――!!
 言葉は、涙と一緒に流れ出た。
「俺…俺っ、さっきまで気づかなかったっ! 健さんと雪を見るのは初めてだってっ。……一緒の冬も初めてなのに…それも…忘れてた…っ! ごめんなさいっ!! ごめんなさい……っっ」
 もっと謝りたいのに、涙につまって続けられない。
「ばーか。冬なんて嫌でもまた来るし、雪もまた見れンだろ、一緒にさ」
 健の手が涙を拭ってくれる。
「…でも、“初めて”は一回きりだ」
 健との時間を、ないがしろにしていた自分が許せない。
「あのな、シン…」
 こつんと額をぶつけ、目と目を合わせて健が続ける。
「“初めて”よりも“これから”のほうが大事だろーが。初めての雪よりも、もう何度目かもわからねぇような雪のほうが、一緒に見る価値あるンじゃねぇ? ん?」
 思いがけない言葉に涙が止まった。
「……健さん、それ、約束?」
「あ?」
「ずっと俺と一緒に雪を見てくれるって、約束?」
「…さぁな。シンはどー思う?」
 そう言って笑った健の顔は、夢ごと愛してくれると言った日の笑顔だった。
(健さん……)
 何もかもを赦して、これからも傍にいると、ずっと見守り続けると、はっきり口にはしなくても、そう言ってくれているように思えて、唇も身体も動けない。
 慎吾の目は、健の目を離れられない。
 にじみそうに眩しくて。
 痛いくらい安心で。
 息をするのさえ忘れていたかもしれない。
「…シン」
 健の顔が、ゆっくりと寄せられてくる。
 街路灯が二人を照らしている。
 名残りの雪が二人の上に舞い落ちる。
(……冬が終る前に、健さんと一緒に雪を見られて良かった)
 慎吾の頬に落ちた雪が、ほんのりあたたかくとけていく。
(あぁ…)
 この次の冬もその先の冬も、雪はきっとあたたかい。
 健が傍にいてくれるなら――。
「約束だよ、健さん」
 ぎゅっと強く抱きついて、慎吾は直接、健の唇にささやいた。

                               <End>


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