投稿(妄想)小説の部屋

ここは、みなさんからの投稿小説を紹介するページです。
投稿はこちらのページから。 感想は、投稿小説専用の掲示板へお願いします。

No.215 (2001/03/14 09:28) 投稿者:皐月

ふたりのかたち(後)

 絹一の暗い顔が目の前にはりついたままでも、体はいつもどおりに動く。何気なく歩いていても部屋には辿り着く。それだけ繰り返し互いの部屋を行き来しているということだった。
 部屋の前に着き、いつものように鍵を取り出しドアを開ける。ここまではいつものとおりだった。
「お…っと」
 いつもと違うものが一つ。出る時にはなかった靴がそこにはあった。絹一の靴だ。
「こっちに来てたのか……」
 通りで帰ってこないはずだ。しばらく前からいたのだろう、部屋も適度に暖まっていた。
 が、人の気配はしなかった。
「絹一?」
 声をかけながら入ったリビングでは、ソファで絹一が横になっていた。絹一が部屋を借りたばかりの頃、電気が通るまで絹一が使っていたソファだった。
 寝不足だと分かる薄いクマが目の下にあったが、それでも穏やかな寝顔だった。
 待っているうちに眠ってしまったのか、それともケットを抱いているあたり初めから眠るつもりだったのか。ケットは寝室に置いてあった。鷲尾のプライヴェートルームに入ってまでケットを持ってきたということは、相当眠かったのか…。
 どちらにしろ、眠っている絹一を見てほっとしたのは事実だった。ずっと目の前をちらついていた哀しい表情も、今はもう消えた。
 積極的に助けることはしなくても、こんな眠りならどんなことをしてでも守ってやりたい。穏やかな眠りは、絹一だけのものではなく鷲尾のものでもあった。
 この様子ならこれから外に出る気はないのだろう。絹一はラフな格好をしていた。
 鷲尾も着替えようと、絹一を起こさないよう静かに動き出す。寝室に入りゆっくり着替え、1本だけ煙草を吸う。目に止まるのは、3ヶ月前からこの部屋の住人になったナイトスタンド。優しい、絹一らしい光は、鷲尾のお気に入りとなった。
 寝室から戻っても、絹一の静かな寝息は続いていた。
 ソファの背から手を伸ばし、片側の髪を梳く。
 何度かその感触を楽しんでいると、ようやく絹一が目を覚ます。
 少しだけ眉を寄せ身じろぎ、開いた瞳が鷲尾を認め、絹一は体を起こした。
「あ…。すみません、俺……」
 いかにも寝起きらしい、無防備な顔だ。母猫にもたれ眠っていた小猫が、目を覚ました時のような…。
「珍しいな、おまえにしては。徹夜でもしたのか?」
 乱れた髪を撫でととのえながら、鷲尾は優しく問う。絹一が合鍵を使うことも、ましてや鷲尾の留守にソファで眠ることも、ほとんどないのだ。
 「いえ…。あの、鷲尾さん、いつ帰って来たんですか?」
 少しためらって否定したあと、寝顔を見られていたことに気づき赤面しながら、絹一も問い返す。もちろん、あなたのことを考えていたら仕事が思うように進まなくて徹夜した…、などとは言わない。
 「さっき。帰って来てすぐにシャワー浴びたから、20分くらい前だな」
 鷲尾がシャワーを浴びたのは朝だ。髪が乾いているあたり不自然なのだろうが、寝起きの恋人はそこまで気づかない。プレゼントを取りに行っていたことも内緒だ。
 互いに、こんな小さな嘘はしょっちゅうだった。
 嘘だと気づいても、問い詰めるような無粋なまねはしない。それくらいの、喧嘩の種にもならない優しい嘘だ。
 しかしたいてい気づくのは鷲尾で、絹一は騙しているつもりでも実は騙し返されていることが多い。騙されてやることも、鷲尾の優しい嘘だった。

「どうせ外に出る気はないんだろ。なにか作るか?」
 今からゆっくり作ればちょうど夕飯時になる。少し早めでも、そのあとゆっくりできる方がいい。明日はまたそれぞれ仕事だ。
「なんでもいいですよ」
 ゆっくり眠れたらしい明るい声が、冷蔵庫に顔を突っ込んでいる鷲尾に投げられる。
「なんでもいいって……、おまえ、全部俺に作らせる気だな」
 そんなことないですよ、と返された声は、鷲尾の言葉をしっかり肯定していた。
 冷蔵庫を閉め、苦笑しながら戻ってきた鷲尾は、絹一の隣に腰を下ろす寸前、ポケットから小さな箱を取り出し絹一の膝の上に落とした。
「なんです…?」
 不思議そうに瞳を向けてくる絹一に、いいから開けてみろと促す。
 シンプルな包装を解くと、出てきたのはブルームーンストーンのピアスだった。
「これ…、おそろいの…」
 驚きと困惑の入り交じった顔で、たっぷり数秒間、絹一は鷲尾の顔を見つめた。
 「バレンタインのお返し」
 片目を瞑ってきれいなウィンクを寄越し、鷲尾は絹一が今しているピアスを外しにかかった。まだ驚いている絹一は、鷲尾のなすがままだった。
「すみません、俺、なにも…」
 ホワイトデーはバレンタインのお返しをする日、ということはもちろん知っていたが、鷲尾がこんなプレゼントを用意してくれるとは思いもしなかった。絹一の方は、今回プレゼントを渡すことなど考えてもいなかったのに…。
「おいおい。プレゼントってのは、もらったら申し訳なさそうな顔じゃなくて嬉しそうな顔するもんだろ」
 外したピアスはテーブルに置き、柔らかい耳に唇を落とし甘噛みする。夕飯を作る気はなくなったらしい。指先は耳にとどめたまま、唇が弱い場所を辿り始める。
「ありがとうございます…」
 ざわざわと背中を這い上がってくる見知った感覚に、吐息とともにその言葉だけを返す。前に体を重ねたのは10日ほど前だ。感覚を思い出すのはた易かった。
「さすがに5つも同じ石だとしつこいかとも思ったんだけどな。ピアスかカフス、どっちかとタイピンを合わせればいいだろ」
 おそろいのピアスとタイピンとカフスボタン。
 クリスマスにタイピンとカフスボタンを選んだ時、本当はピアスも一緒に贈ろうかと思ったのだ。ピアスはセットの中には入っていなかったが、店に頼めば揃いの石でピアスを造ってもらうこともできた。しかしそうすると箱の中には5つの同じ石が並ぶことになる。セットで合わせられるものがあれば便利だが、さすがに5つも同じというのは鷲尾の美的センスに適っていなかった。大げさな贈り物も好きではない。
 ただプレゼントしたあとで、いつも身につけられるものはピアスの方だと気づき、失敗したと思いながらも、また贈ればいいではないかという考えに辿り着いた。同時に、いつも身につけて欲しいなどと思う自分にも苦笑がもれる。
 そうして結局、絹一のもとには同じ石が5つ揃った。
「鷲尾さん…。まだ明るいですよ…」
 きれいに服を剥がされながら、外の明るさに一応の抵抗を示す。
 薄青のピアスは、とうに絹一の耳に飾られている。
 思いがけないプレゼントへの驚きは、もううれしさに変わっていた。
「ご飯、作らないんですか…? 俺も手伝いますよ…」
 心地よい快感が、鷲尾の触れているところから流れてくる。唇の温度も手のひらの優しさも、うっとりしながら受け止める。
 激しい快楽より、こんな穏やかな揺らぎの方が、恋人を近くに感じる。
 なにも考えられなくなる前に、もう少しこの幸せに浸っていたかった。
「ねぇ、鷲尾さ…」
「黙れって」
 熱中し始めるのは、鷲尾の方が早かった。

 終


この投稿者の作品をもっと読む | 投稿小説目次TOPに戻る