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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.84 (2007/02/12 14:48) title:Colors 2nd A Glaring Star 
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

『ピカピカするもの全てが金だとは限らない──(セルバンテス)』

「あ、アシュレイ」
 手を上げたティアにアシュレイはおうと答えて微笑んだ。機長の制服はリゾートには若干暑いが、ティアや山凍部長に
至っては艶やかなブラック・フォーマル。ティアは爽やかなのに、なぜ部長は暑苦しく見えるのか。
 他の機長たちは時間まで好きにしてもらって、御前での食事は満足にできないかもしれないから、軽食を取ろうと言う
ティアの提案に、アシュレイは感心した。さすがオーナー、みんなに気配りだ。
「でも、すごいよね、みんなリゾートなのにスーツ持参だもん。タイを借りたらいいだけだったよ。用意いいよねぇ」
 感心したティアの言葉に用意のない新米機長はぐっと来たが、自分は仕事だと言い聞かせる。ブラックフォーマルなんて
冠婚葬祭しか着たことない事実は忘れる。
 じゃ行こうかと、連れ立って奥のレストランに向かいかけたアシュレイは、ふと足を止めた。
(あれ?)
 いまの──ホテルマンに案内されて客室に向かう大きな帽子姿の女。顔は見えないがどこかで会ったことあるような……。
「アシュレイ、どうしたの?」
 ティアの声ではっとしたアシュレイは、まあいいかと首を振った。もしかしたらCAかも知れないのだし。

「柢王、支度はできましたか」
 すでにブラックフォーマル艶やかな桂花に聞かれて、鏡の前、タイと格闘していた柢王はまだっと叫んだ。もともと、
柢王は制服以外の正装が好きではない。しかも日焼けした首にカラーがすれて痛い。と、
「見せてください」
 桂花が柢王の首筋に手を伸ばす。細い指が器用にタイを結んで、きれいな蝶のできあがり。何事にもすばらしく有能。
しかも何事も見逃さない。
「カフス、外れかけていますよ」
 そのクールな横顔を鏡越しに見ながら、カフスを直す柢王は苦笑いを浮かべた。
 コーラル・コーストには昼過ぎまでいて、食事がしたくなってから街へ出た。他愛もない話をたくさんして、髪や唇にも
触れて、いままでで一番親密な時間をすごせたと思う。
 でも話さなかったこともある。昨日の夜の驚きも。そして、これからのことも。
(俺のこと、必要だと思ってくれよな)
 誰かの過去やその時々の気持ちの全てを、振り返って共有することはできない。だから、求めることができるのは未来。
共に手を携えて歩く未来だ。
 生きている。いま、ここにいる。それを実感させてくれるあのコクピットでの高揚。それと同じだけの高揚と、そして翼を
休める鳥のような安心とを、自分が桂花に与えることができるなら、きっと、この先も退屈なんかさせなくてすむから。
 生き方の軸を変えて示してくれた態度に、言葉だけで応えることなどできない。だから、鏡の前、呟く言葉は、
自分への決意表明だ。

 リムジンに乗り込もうとしていたティアの腕時計の留め金が壊れた。それを見たアシュレイが段差を跨ぎ損ねてドアに
頭をぶつけた。それを助け起こそうとした山凍の袖のボタンがブチッとちぎれて転がった。
 立て続けの光景に、現実的だが縁起担ぎのパイロットたちが心で呟く──『不吉』。

 美しい蝋燭の光が、濃紺の星空の下、白亜の王宮を浮かび上がらせる。
 濃い花の香りにむせ返るような中庭。その庭に面した大広間に案内される一同は、水晶張りの床に光が乱反射する
廊下に目をやられていた。
 しかも、従僕の案内に従って大広間のドアが開け放たれたとたん、一同の喉に声にならない悲鳴が上がった。
 そこはまるでまばゆい光がハレーション! 水晶張りの床と鏡張りの三方の壁に照り返す大シャンデリアの蝋燭の光が
洪水のように視力を奪う、パイロットたちのデンジャー・ゾーン。
「おお、待ちかねていた。入りなさい」
 陛下のお言葉に、ティアは勇気を出して率先垂範。目に星散る勢いに耐えながら進み出、
「陛下、本日はお招きをまことにありがとうございます」
「おお、ティアランディア殿、カルミアが待ちかねていたぞ」
「ティア兄様っ」
 金銀刺繍の衣装がシャンデリアに呼応する陛下の隣り、第一殿下のカルミア王子がティアに微笑みかける。この王太子は、
ティアをいたくお気に召したらしく兄様呼ばわりだが、殿下を溺愛なさっている陛下はお気になさらない。覚悟を決めて
オーナーの後に続いた一同をご覧になられると陛下は微笑まれ、
「これはようこそ、わが国に。あなた方のこの国での飛行を心から楽しみにしています」
 ありがたいお言葉に天界航空一同は恭しく頭を下げた。自分の影を見ていたら目が休まる。この手があった。
「中庭に軽くつまむものを用意させてあるゆえ、そちらへ行こう」
 月明かり照らす美しい庭には潅木、鮮やかな花々。テーブルに並べられた色鮮やかな手の込んだ料理が食欲を誘う。
視力の危機から解放された一同は安心して、陛下と殿下のなさるご質問に答えながら和やかにすごした。
 話も盛り上がり、皆が食べ物に手を出し始めた頃、ふいに陛下がおっしゃった。
「おお、そうだ。ティアランディア殿、今夜はたまたま島に来ていた冥界航空のオーナーも招いたのだ。同業者でもあるし、
これから将来的に手を携えてやっていってもらいたいと思っての」
 その言葉に、ティアと、背後にいたアシュレイ、少し離れたところで風に当たっていた柢王と桂花が瞳を見開く。
「め、冥界のオーナーですか」
 聞きかけたティアの言葉が終わらぬうちに、
「久しぶりだな、ティアランディアくん」
 振り向いたアシュレイが、あああっと叫ぶ。
「昨夜の変な奴ーっ!」
 その言葉に一同の目が向いたが、見たら最後、逸らせないものがそこにいた。
 威風堂々、身震いしたくなるような美男。だけにそのデンジャラスな格好はアドレナリンを増加させる。
 なぜに金髪ふたつ結び? 鎧ですかと聞きたくなるスパンコールぎらつく黄金の上着に赤のシャツ、ポケットチーフは
ターコイズ! アイラインぱっちりの金黒色の瞳はあやしく輝き、赤い唇はグロス艶やか。思わずオー・レ!と
声かけたくなる。漂う香りまでラフレシア的濃度で牛を興奮させそうだ。
 唾液こみ上げる一同をよそに、陛下とティアが落ち着いた声で、
「よく来られた」
「これはオーナー、ご無沙汰しています」
 喋ってるよっ! 驚愕する一同を、しかし、冥界航空オーナーの瞳は見ていない。美しいものを偏愛しすぎて変質者に近い
との噂通り、そのぞくぞくするようなまなざしはティアと桂花に釘付けだ。
「この度は路線開通おめでとう、ティアランディアくん。前途有望で羨ましい限りだ」
 てらてら光る唇がそう微笑んだ瞬間に、陛下が積もる話もあろうとカルミア殿下を連れて移動なさったのは間違いなく避難。
他メンバーもほっとした顔で陛下を迎える。盾のなくなったアシュレイと柢王が慌ててティアと桂花の傍に張り付く。
 業界有数の色々な意味で切れ者オーナーに、免疫あるティアは既に見ないフィルタースイッチオン。落ち着いた顔で頭を下げた。
「ありがとうございます。この路線ではぜひとも先達としてのご指導をお願い致します」
「それは嬉しい言葉だ。君のところはいいパイロットが揃っている。特に──」
 舐めるような視線を当てられた桂花もフィルターがあるのか冷静に、
「ご無沙汰しています、オーナー」
 たとんに、冥界オーナーの顔色が変わる。子犬に飛びつく犬好きのように、
「正装姿も美しいなぁ! ほらこっち! アップで撮るからねーっ」
 いきなり懐からデジカメ取り出しズームにするのに、柢王が顔色を変える。
「やめて下さいっ!」
 オールレッド! 全身で桂花を庇う勢いに、冥界オーナーが不快そうに眉をひそめる。
「ティアランディアくん、この男は誰かね。私が家族に会うのを邪魔してくれるようだが」
 聞くのはあくまでティア。筋金入りの美のマニア。心臓が三m後ろにあるアシュレイの隣で、ティアがため息ついて、
「うちのパイロットです。ところでオーナー、私も桂花もこちらでお会いするとは思いませんでしたので驚きました。
なぜここへ?」
 まさか計画的犯行かと疑うティアに、オーナーは微笑んで、
「この先に路線を開くのでね。用が済んでついでにここの様子も見に寄ったのだよ。そうしたら昨夜桂花を見かけたのだが、
部屋がわからなくてね。ここなら会えるかと」
 その言葉にアシュレイと柢王があっと言いたげな顔をした。アシュレイのは「あのうろつきはそのせい」の「あ」、
柢王のは「あの驚きはそのせい」の「あ」だ。
「なにせうちで突然辞表を出して去っていってから、顔も見せてくれないので心配していたのだよ」
「ご心配かけて申し訳ありません、オーナー」
 ねちっこい視線に桂花が冷静に頭を下げる。と、オーナーはフラッシュ炸裂。
「やめて下さいって言ってるでしょーがっ」
 敬語は使っても追い払う気満々の柢王に、冥界オーナーも黙っていない。
「私は君の撮影はしてないぞ、どきたまえっ」
「いきなり撮影なんかする方が間違ってんでしょーがっ」
「美を解さん若造だなっ、この高度な芸術意識がわからんのか!」
「へえっ、変態でも年食ってる自覚はあるんだなっ」
 バチバチバチバチ! 火花飛び散る対立はまるで前世の敵同士のようだ。その後ろで桂花は無表情。アシュレイがそれに
感動する。こんな奴ムシできるなんておまえすごすぎるっ。
「ティアランディアくんっ」
 あくまで邪魔する気の柢王の態度に、冥界オーナーが叫ぶ。はいっと向いたティアに、
「ティアランディアくん、もともと桂花がそちらに移ることは李々の一存で決めたことだ。私は後から聞かされて承諾
するしかなかったが、桂花の幸せを思って黙って出したのだよ、それは承知だね!」
 承知ではない。ティアは心で首を振る。
 冥界オーナーがその養子扱いの桂花の天界航空への移動を認めたのは、その限りなく変質者に近い鑑賞と写真攻撃に飽き
足らず、遠くに行かせたくないからと内勤に回そうとした人権及び経費度外視の暴挙に、桂花の将来を案じた奥さんの英断を
止められなかったからだ。『婿養子』。それは時にただの養子より無力。
 が、あくまで美にこだわるオタクは悪びれず、
「それなのに桂花の側にこんな馴れ馴れしいパイロットがいたら心配するじゃないかっ。うちの桂花につきまといでもしたら
どうしてくれるんだねっ」
「あんたが言うかっ!」
 冥界オーナーは叫んだ柢王を無視、桂花を向き直り、
「ねえ、桂花、おまえもそろそろうちに戻りたいんじゃないかね。飛びたかったら自家用ジェットを買ってあげるから
戻っておいで。それにこの前おまえの写真をDVD全十巻にまとめたから大画面で見られるんだよ! あ、ホームシアター
でもいいねぇーっ」
「って、どんだけ暇なんだ!」
 ゆーかDVD十巻ってどんだけの写真? 叫んだ柢王に、ティアも雲行き怪しいと見て取って、
「口を挟むようですが、オーナー、桂花はうちで歓迎されていますし、職場環境も良好だと思います」
「こ、こいつはうちの優秀パイロットなんだからなっ」
 アシュレイも口を挟む。どもったのは桂花を褒めるのにとまどったせいでビビッたからではない。いや、確かに得体が
知れなくて気味悪いが、相手はパイロットを勝手な理由で空から降ろそうとした奴だ、負けてたまるか。
 一同揃っての反論に、冥界オーナーの瞳がすっと無機質の色を浮かべる。変質行為以外は有能、それを示すように、
「ではどうあっても桂花を私に戻すのは嫌だと?」
 桂花が初めて瞳を上げた。ティアも警戒の色になる。切れ者でキレ者相手に理屈は通じない。取り成すように、
「返す返さないの問題ではありません、オーナー。桂花は実際にうちのパイロットですから」
 言ったティアに、そのキレ者の瞳はあやしくきらめいた。気味悪いほど優しい声が、
「では、そのことを、法廷で争ってみるとしようか──」


No.83 (2007/02/12 14:48) title:Colors 2nd Floating Along
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

『夢は飛ぶことに人を慣らす──(J・コクトー)』

「よ、アシュレイ、ティアはどうした?」
 まばゆい光差すテラスのテーブルにいたアシュレイに柢王が尋ねた。半そで綿パンの機長は気楽ななりだが、待機の
機長もTシャツ短パン、いつでもそのままビーチへどうぞだ。
「なんか山凍部長と出て行った。またすぐ戻るって。おまえこそ、あいつは?」
 桂花、だがアシュレイはまだ名前で呼べない。が、柢王はわかっているので、
「まだ寝てる。起きるまでおいとこうと思って」
 昨夜、目を覚ました後の桂花が再び目を覚ましたかは柢王にはわからない。ただ柢王が起きた時にはよく眠っていたし、
身支度しても目覚めなかった。ふだん眠りの浅い桂花にはないことだ。路線訓練の疲れも出る頃だろし……。
(昨夜のあれ、結局なんだったか教えてくんねーもんなぁ)
 驚いた顔のわけ。あんな驚いた顔をするからには、何を見間違えたかでいいから知りたい。
(ま、いっか。起きてから聞けば)
 心で呟き、肉を噛む柢王に、
「あ、なぁ、柢王……」
「んー?」
「俺、昨夜、変なもん見たんだけど……」
「変なもん?」
「なんかすごい服着た変なやつ。廊下のとこでうろうろしてた」
「なんだそれ、変質者か?」
 尋ねた柢王はなぜか背筋に悪寒を覚えた。今日も気温は最高100℃くらいまでいきそうなのに。
「俺が声かけようとしたら走って逃げてったけど、やっぱ警察呼べばよかったかなぁ」
「でも回廊だろ? 客じゃねぇか? たまたま迷ってたとか……回廊は暗いしさ」
「でもサングラスしてたぞ。帽子も被ってたし」
「それは……」
 暑くてネジが外れた人だろうか。それとも初めから外れている人。考え込むアシュレイを前に、柢王の背中にはまた
わけのわからない冷や汗が流れた。

 ふたりは食事の後、ホテルを一周して、水晶を使った工芸品店やクラフト作成の建物にも行ってみた。民族館で美麗な
民族衣装を見ている途中で、ティアが戻ってきた。
「ああ、柢王、ちょうどよかった。桂花は?」
 尋ねたティアに、柢王はまだ寝てると答えた。ティアは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐにあああと頷いた。奥深い答えだ。
「じゃあ、桂花にはおまえから聞いてほしいんだけど、今夜の王宮での歓迎パーティーね。陛下がよければ機長たちも
招待したいとおっしゃって。オフなのは説明したんだけど、聞いてみてくれと言われたんだ。そんなに長い時間は取らない
はずだし、桂花が行くならおまえにも来てもらうけど……」
 でもいやだよね、ふたりでいたいよね。ティアのまなざしに柢王は苦笑する。行く方がティアのためにはなるだろう。
それに、オプションの柢王には決定権がない。
「聞いてみる。でも、あいつが嫌だって言ったら、悪いけど、カンベンな」
 微笑んだ柢王に、ティアはすまなさそうに頷いて、
「うん。本当に無理しなくていいからね。他の機長にはいまから聞くんだけど、アシュレイ、君は来てくれる?」
「え、俺、スーツとかないぞ?」
「うん、君は制服でいいよ。陛下はパイロットに会いたがっていらっしゃるし。誰もシャンデリアほど目立てないし」
 なんでも王宮は床総水晶張りの美麗な建物らしい。
「あ、アシュレイ、街に行くって言ってたよね? 街で一緒にお昼できるかな」
「ああ、いいぞ。おまえが用済んだら電話くれたら」
「うん、わかった。柢王には後から電話するからね」
 ティアはそう告げると、一度部屋に戻る、と去っていった。
「忙しそうだな」
 見送った柢王に、アシュレイが頷き、
「旅行部門の企画もあるんだと。ティアのやつ、自分こそ休めばいいのに」
「それができないのがあいつだよな」
 それに暇ができたらおまえの便で日帰りするし。柢王は心で呟いたが、言わず、
「んじゃ、俺そろそろ部屋に戻るし。水と生物に気をつけろよ、アシュレイ。暑かったらちゃんと日陰入って休めよな」
「わかってるって。んじゃ後でな、柢王」
「おう、後で」

                        
              * 

 赤いトロッコ列車が海岸線をゴトゴト走る。海風に長い髪がなびくのを頬で感じる距離感に、柢王はご機嫌だった。
 柢王が部屋に戻った時、桂花はもう起きていてシャワーの後だった。
 ティアの話をすると、返事は『行く』。それがティアの役に立つなら──他の機長も同様だろう。オーナーがスタッフ
思いならスタッフもそうなる。予想していた柢王にも異議はなく、ふたりは桂花が着替えて食事してからホテルを出た。
 目的地は真っ白な砂浜が目にまぶしいコーラル・コースト。
 この島は大抵そうなのだが、ここも伸びた椰子の木が風に高く葉を揺らすほかに視線を遮るもののない美しい浜辺だ。
足元に崩れていく白砂。透き通る海。突き抜けるような完全な青空を背景に、沖へ行く白い客船が切り絵のごとき
鮮明さで浮かび上がって見えるのが奇跡のようだ。
「さっすが路線で来てただけのことあるな。ここってまだメジャーじゃないんだろ」
 海岸に降り立った柢王が、瞳を輝かせて尋ねた。うーんと伸びをすると肺いっぱいに潮の匂いがする。桂花はそれに
穏やかに、
「吾も話に聞いていただけです。海岸にはあまり来ませんでしたから」
「へぇ? でもここって中二日くらい飛ばねーんじゃないの? その間ずっとホテルか街か?」
「ホテルも設備がいいところはいいですからね。あとは文化的な施設があれば見に行ったり」
「そういうの、好きなんだ? ま、海は誰かと来た方が楽しいよな。特にコ・イ・ビ・トと」
 柢王は笑って、桂花の唇に触れた。人目がないので何をしてもいいようなこの開放感がまさにリゾート。
「うわ、すげぇ、底が見える」
 海底にくずおれていく砂の流れさえ見える。透明度が高い。きらきらと日差しをはじく水面が水晶のようだ。
「あー、やっぱ泳ぐ支度で来ればよかったかなぁ」
 波打ち際でくやしそうな顔をした柢王に、桂花が笑って、
「ではどうして泳ぎに行くのは嫌だと答えたんですか」
「え、だっておまえの肌人に見せるのやじゃん。つか、ここでだったら見せてくれていーけど。俺しかいねぇし」
 奔放男の期待に満ちたまなざしに、クールな恋人の答えは肩をすくめる、だ。柢王は笑って、
「けど、このまま見てるだけもつまんねーし。おまえ、裾あがらねーの?」
「これ以上はムリですね」
「ふくらはぎか。んじゃ、わかった。ちょっと髪前に流して。あ、おまえは俺の首に手まわしてくれてたらいーからさ」
「え…柢王っ」
 桂花が声を上げるのも構わず、柢王は桂花の体を腕に抱え上げた。靴を脱ぐとそのまま海に入っていく。バシャバシャ
音が立ち、水飛沫が上がる。桂花があぜんと目を見開く。
「すげー! 見ろよ、桂花、俺の足元まで透けて見えんぞっ」
 嬉しそうに叫んだ柢王は、桂花の体を傾げてその足元も海につけようとして気づいた。
「なんだよ、心配しなくたって落とさねーって。つか、もうちょっとしっかり掴まっててくれたら楽だし、嬉しいけど」
「……あなた、本当にこわいもの知らずですね──……」
 桂花が、信じられないと言いたげな声で言った。初めて聞く声だ。それに初めて見る顔。柢王は笑って、
「んなの子供ん時からよくやってたぜ? ティアんちの池でアシュレイと鯉取ろうとしてすげぇ怒られてさ、一週間くらい
出入り禁止にされたよ。天気いーしさ、帰るまでに乾くって。つか、リゾートだし、誰も気にしやしねーって!」
 悪びれずに宣言する柢王に、桂花はあきれたような目をしていたが……。
 ふいに、その紫の瞳に笑みが宿る。それが顔いっぱいに広がって、笑い出した桂花に柢王が目を見張った。が、それもすぐに頬を紅潮させた輝くような笑顔に変わった。
「すげぇ…! おまえ、笑った顔ものすごい美人だし!」
 歓声を上げて、海水を弾き飛ばしてぐるぐる回る。

「うっわ、砂だらけだなー」
 砂浜に腰を下ろした柢王は、足から腰からまといつく砂に嫌な顔をしたが、隣の桂花は笑って、
「あたりまえですよ、あれだけ濡れたら。本当に、驚かされる人ですね」
 手を伸ばして柢王の頬についていた砂を払った。一度満開の笑顔を見せた美人は、肩の力が抜けたような優しい顔だ。
柢王はその顔を見つめ、そして、その頬に手を伸ばした。
 沈黙が続いた後で、
「潮の味がしますよ」
 柢王も笑い、
「リゾート風味ってとこだな。つか、ほんと、おまえの笑顔、腰が抜けそうだった。やっぱここ来てほんとによかったよな」
「そんなにふだん笑っていませんか」
 桂花が面白がるように尋ねた。柢王は砂に寝転がるとその顔を見上げて、
「笑ってねーんじゃねぇけど、今日みたいに声立てて笑ったことないじゃん。ま、あんま会えねーから見れねぇだけかも
しんねーけど」
 笑っていてくれると、自分を信じてくれているようで嬉しくなる。カッコよくない言葉は省いた柢王に、桂花は笑い、
「あなたといると退屈しないですよ。いつも予想外ですからね」
「なんだ、その愛情こもらねぇコメントは? つかおまえでも退屈とかすんの?」
 冗談のつもりで聞いたのに、答えは意外にも、
「していましたよ、ずっと」
「ずっと?」
「特にやりたいこともないし、関心のあることもないし、退屈してた、ずっと」
「飛ぶ、までは──?」
 尋ねた柢王に、桂花は頷き、
「でも最初は…李々に恩返しもしたかったし、他にしたいこともないから飛んだ、ようなものでしたけれどね」
「ああ、前に恩返すためにパイロットになったようなもんだって言ってたもんな。でも、好きなんだろ、飛ぶのは。
おまえのフライト、ただやってきた奴の飛び方じゃねぇもん」
 伺うようにそう尋ねると、桂花は静かに頷いて、
「好きですよ。コクピットにいると自分がいるべきところにいると思える。あそこにはいてもいいと思える」
「コクピット以外、居場所がなかったってことか、それ」
 柢王は眉をひそめたが、桂花は穏やかに、
「そこまで突き詰めて考えたことはなかったですけれどね。李々の家での生活は、よくしてもらったし、大事にもして
もらったし、感謝もしてる。ただ、自分がいるべきところとは……たぶん、思えていなかったんでしょうね」
「重みがないとどっか行きたくなる……前におまえ言ってたよな。飛ぶことは自分を繋ぎとめる重さだって。それって
そういうことか」
「さあ、そんな風には……。時々どこかに行きたい気もしたけど、それも特定どこかじゃないし、切望していたわけでも
ないし。ただ、もし飛ばなかったら──退屈に耐えられなかったと思います。ありきたりに暮らすことに、たぶん、
耐えられなかった。パイロットにはないことですからね、それは」
 他人事のように言う桂花の横顔を、柢王は見つめた。
 胸のなかに、薄い氷の花を抱くように──。誰にも心に触れさせない、誰の腕も求めない。その突き放した完全さのままで、
いようと思えばきっといつまでもいられただろうに。
「どうしました、柢王?」
 ふいに、抱きしめた柢王に、桂花が尋ねる。柢王はその潮の匂いのする髪に顔を埋めてささやいた。
「ありがとな、俺のこと受け入れてくれて」
 生き方を変えるのは楽なことではない。
 礼儀正しい他人行儀。断崖に咲く花のようだったこのパイロットは、かわし続ける気ならきっといまでも、自分を
迷路の入り口さえわからない場所に立たせておくことができただろうに。
 受け入れて、初めての笑顔を見せてくれた。たぶん誰にも言わないことを教えてくれた。そしていまここにいてくれる。
腕の中に。
「ありがとな、俺とつきあってくれて」
 ささやく言葉と共に抱きしめる腕に力を込めると、紫色の瞳が一度見開かれ、そして、優しい苦笑いで桂花が答える。
「可愛いこと、言わないで下さい」

     


No.82 (2007/02/08 15:40) title:Colors 2nd.  Moonstruck
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

『天災は忘れた頃にやって来る──(寺田寅彦)』

 薔薇色だった空がオレンジ混じりの濃い紫に包まれる時刻。
 中庭にぽっこりとした証明が点り、プールサイドのレストランにざわめきが宿る。満天の星空の下のそのレストランの
席で、ティアとアシュレイは柢王たちが戻るのを待っていた。
 緑豊かなホテルは、桟橋を渡って突き出した小島のような敷地全てを使った高級リゾート。花咲き群れる中庭をクロスする
回廊で白い翼を広げたような客室の棟にたどり着く。部屋の広さは異なってもどこからでも海に行ける。水着のまま気楽に
寄れるレストランや乗馬コースやマリンスポーツの施設の他にも民族的な小博物館もすぐ側にあって、ホテルだけでも
十分に楽しめる造りだ。
 旅行部門の兼ね合いもあって、ティアが視察がてらに選んだホテルだ。ハネムーナーなら絶対喜ぶ天蓋つき花びらを
散らしたベッドのスィートもある。もっとも天界航空のハネムーナーたちはティアが電話した時には街から戻る途中だった。
ずっと遊んでいたらしい。
(意外だったなぁ。柢王絶対桂花のこと押し倒してると思ってたのに)
 禁欲生活強いられているくせに、電話の声は楽しげで、それが恋に落ちた人の姿かと思う。それに比べていくらか
わかりにくくはあるものの、桂花の薄紙を剥がすようにその内側の優しさや誠実さを現してきた変化も。
 いままで一人で立ってきた人が背中合わせに立つような何がしか。機内で話す二人を見ていてティアはそう感じた。
その『何がしか』がはっきりとわかる『何か』になったら、柢王も愚痴は言わなくなるだろう。
(そのためにもおまえの席を用意したんだから、しっかりやってよね)
 心の中で親友にエールを送ったティアは、もうひとりの大事な親友に目を向けた。
 ホテルに戻ってすぐアシュレイのフライトの話を聞いた。頬を高潮させて話す姿に嬉しさと同時に責任も感じたのは
当然のことかもしれない。パイロットたちは常に客席にはわからせない困難を背負って誇らしげに飛ぶ。
 いいわけなし、結果が全て。その重さはティアには共有できないものだけれど。
(君たちがいるから、私もがんばれるんだからね)
 夢をわかちあうことは、同じキャンバスを彩ることだとティアにはわかる。同じカラーは持てないし、誰かの輝きを
真似することもできないけれど、ともに描くそのキャンバスを広げ、刺激しあい、今までに見たことのないひとつの絵を
作り上げていくのだと。
 アシュレイの桂花へもフライトの話をしたいと言う気持ちも同じことだ。礼も言いたいのだ、ちゃんと。なのに
口には出さず、テーブルの下でつま先だけがそわそわしているのがとんでもなく可愛いっ。
(もー君ったら意地っ張りの癖してそういう一途なことが君なんだからーっっ)
 奥歯かみ締め、頬染める天界オーナーは友達だけにどこの機長と同類。盲目ではないが、極めて近視的。
 と、
「わりぃ、待たせたなっ」
「すみません、遅くなって」
 柢王と桂花が連れ立ってやって来た。
「なに、どうしたの、柢王そんなに日焼けして」
 驚いて尋ねたティアに、
「いや、街がすげー面白いのな。屋台とかあってさ。ぶらついて、海出て水上飛行機で島渡ってさぁ……」
 答える柢王の横に腰を下ろした桂花が、アシュレイの顔を見て尋ねた。
「どうでした?」
 水を向けられたアシュレイは嬉しそうに瞳を輝かせて答えた。
「ああ、おまえが言った通りだった。街が近くてすげぇ迫力あったしどきどきした。あんなの初めてだ」
「いい着陸でしたよ。天気がよくてよかったですね」
「ああ、ほんっと楽しいフライトだった。監査も受かったし。おまえのおかげだ──サンキュ」
「あなたの実力です」
 ティアが柢王に笑顔を向ける。柢王も微笑んで頷く。と、礼が言えてほっとしたらしいアシュレイがふたりの顔に
気づいて頬を赤くした。
「なんだよ、おまえらっ。さっさと注文するぞっ」
 メニューを取り上げるのに、柢王も笑って、
「そーそー、腹減ったし、乾杯して、たらふく食おうぜ。アシュレイの奢りでな」
「な、なんでおまえのまでっ。俺はこいつに世話になったからその礼には喜んで奢るけど、おまえただの旅行じゃないか!」
 叫んだアシュレイに柢王も眉を上げ、
「おまえな、俺がどんだけあれこれ我慢したと思ってんだ? 桂花がおまえのために時間費やしてっから俺なんかメールの
返事だって貰えなかったんだぞ?」
「そんなことは俺が知るかっ。大体、大の男がメールなんかでやり取りしてるなんて情けないぞ、柢王っ」
「おまえだってティアとしてんだろーがよっ!」
「俺とティアはたた゜親友としてだなあっ」
「あーもーいーから二人ともっ! 桂花、好きに注文しちゃって」
 放っておいたら遠慮なしバトルになりそうなふたりにティアが叫んで、桂花に頼む。桂花は冷静に、
「はい、オーナー」
 メニューを取り上げかけた。と、ふいにその瞳がはっと見開かれる。虚を突かれたようなその表情に、
「メールだって電話だってこいつバカみたいにしてんじゃねーかっ」
「こいつがバカなのは俺のせいじゃないだろっ!」
 言い争っていたふたりも、私のことっ、と憤慨しかけたティアも桂花の方を見た。
「どうした、桂花」
 尋ねた柢王に、桂花がはっと瞳を動かした。
「桂花、どうしたの」
「なんか珍しいモンでもいたのか」
 首をかしげたティアとアシュレイに、ああと呟く。その頬に苦笑いが浮かんだ。
「すみません、いま幻を見た気がしたので」
「幻?」
「ええ、すぐに消えましたから見間違いでしょう。それで、皆さん、何を召し上がられるんですか」
 落ち着き払ったいつもの顔になって尋ねた桂花に、一同は怪訝な顔はしたものの、
「俺、フカヒレな、アシュレイ」
「だからおまえには奢らねーって」
「わかったよ、経費で出すから決めようよっ」
 それぞれがオーダーを決め始める。

「あなた、ものすごく眠いんでしょう」
 回廊を手を引かれて歩きながら桂花が尋ねた。濃い花の匂いが潮風に乗ってただよっている。
 夕食の間はアシュレイのフライトの話やティアの王宮での歓待、柢王と桂花の見てきて街の様子など、話は盛り上がり
楽しい時間が過ぎた。が、さすがに柢王は眠くなったらしい。かくんとテーブルに突っ伏しそうになったのを見て、お開きに
なった。
 ティアは更にアシュレイのフライト談義を聞くようだ。二人してラウンジに去って行った。
 会社の用意した部屋でなく、自分のスィートに桂花を導く柢王は笑って、
「すげぇ眠い。昼間遊びすぎたからよけいな。でもアシュレイの監査も受かったし、ティアの仕事も順調そうだし、
街も面白かったし、いい一日だったから盛大に盛り上がって終了するべきだろ、おまえとふたりで」
「そんなに眠くて、ですか」
 桂花が苦笑いする。柢王は笑って、
「フライト中に寝たこたないから心配すんなって。それにおまえだってよく眠れるから。保証する」
「本当に大丈夫ですか」
 はかるように、聞かれて柢王も足を止める。月光にきらめく紫の瞳を見つめ、
「無理すんなって言ってくれる気なら頼むから拒むなよ。拒まれたらぜってー眠れないから。それに朝起きる寝方だったら、
絶対リカバーできるから、信用しろよ」
 落ち着いた、優しい声でそう言った後、柢王はふと口調を変えた。
「つか、俺のことより自分のこと心配しろよ?起きらんねぇのおまえだぜ?」
 挑むように笑ってみれば、苦笑い見せていた美人の瞳が真っ向見上げ、
「それは、どうかと?」
 ダイナマイト級の笑みに心臓破裂の柢王は、四の五の言わずにショート・カットで部屋へ直行だ。

                      *

 山凍に明日の予定を確認に行くティアと別れて、アシュレイは部屋と向かっていた。
 アルコールの酔いとわくわくしたフライトの名残か気分が高揚して雲の上を行くようだ。桂花にも礼ができたし、ティアも
喜んでくれたし、柢王も褒めてくれたし、アシュレイとしては最高の夜だ。
 あとは帰りも無事にしめくくるだけ。自分へのご褒美として明日は市内を見に行こうかな。そんなことを考えながら
歩いていると、ふと、前方にあやしい人影を発見した。
(なんだ、あれ)
 客室に向かう中庭の回廊あたりに、男がうろうろしていた。長い金髪、目深にかぶった黒い帽子。こんな時刻に
真っ黒なサングラス。しかも、回廊の柱に擦り寄るようにして身を隠し、辺りをきょろきょろ伺っている。
(酔っ払い? 夢遊病? ジャンキー?)
 もしもしどうしましたと声をかけるべきか、もしもし警察ですかと電話すべきか。呼ぶなら救急車かパトカーどちら
だろう。頭でピカつくオレンジライトに、そっと男の背後に近づいた。
 と、気配でか、男が振り向いた。
 お互いに、びっくりして立ち尽くすこと三秒。アシュレイの見張った瞳に映る豪華絢爛刺繍入り赤シャツに黒パンツ、
持っているのは紫の上着!
 と、いきなり男がダッと走って逃げた。思わずビクっとしたアシュレイは、そのブーゲンビリアの残像かという後姿を
あぜんと見送るしかない。
「な、なんだ、あれ……色盲か?」
 夜風に乗ってただよう残り香まで、ねっとりと暑苦しい──

「眠れねぇ?」
 かすかに身を起こす気配に、柢王が眠たげな瞳を上げる。
「起こしましたか」
 桂花が静かな声で尋ねる。柢王は枕に頭をつけたまま、
「なんか、おまえが起きた気がしたから。つか目覚められるとちょっとショック。絶対目が覚めないようにがんばった
つもりだったのに」
 かすれた声を出す。桂花はそれに落ち着いた声で、
「目が覚めるのはいつもですよ。それに潮の音もするし。あなたこそ、ちゃんと寝たらどうです?ふざけてないで」
 差し込む月光に淡い金を刷いたようなシーツの中、腰にかかる柢王の手を外そうとする。
「眠れないならいくらでもつきあうって意思表示だろ……」
「これ以上つきあうことはありませんよ。目が覚めなくなるから。さあ、目を閉じて」
「おまえ…さっきどっか行こうとしたろ? 俺が目開ける前」
 柢王の腕が桂花の腰をしっかりと囲う。どこにも行かせないように。見上げる瞳はいまにも眠りに引き込まれそうなのに、
聞き出す意思だけ機能している、
「なあ…気になることとかあるなら、何でも言えよ。大したことじゃなくても……俺は知りたいから、おまえのことなら
どんなことでも」
 桂花がそれに苦笑いする。意識が後ろに引き込まれそうな眠りの中で目を開けていようとする柢王の瞳を覗き込む
ようにして、
「水がほしかっただけですよ。暑かったから。いいからもう眠って」
「うそ、つけ。おまえ、いまだって体温……低い、のに」
 不服そうに呟いた柢王は、だが、桂花が頭を落ち着けると安心したように目を閉じた。すぐに規則的な寝息が
聞こえる。その肩に頬をのせた桂花は、しばらく、金色の闇が踊る室内を眺めていたが……。
「おまえのことならどんなことでも知りたい…か」
 その面にふしぎな表情が浮かぶ。
 そして、かれはそのまま瞳を閉じた──


No.81 (2007/02/06 15:26) title:禁句
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)


 さらさらと水の流れる音が聞こえる昏く冷たい地下の闇。
 死者たちが偽りの生を与えられる黒く謎めく湖の水。
 冥界は、肌をしとらす霧の中、今日も美貌の主の見えざる手に支配されている。
 暗闇に浮かぶその滴るような容貌、黄金の髪。無慈悲を刷いた金黒色の瞳は支配者の愉悦をたたえて崇める者たちを
睥睨している。
 幾度殺されようとも蘇る冷たい生を与えられた者たちは、その美貌の主の命を受け、地上に現れ、様々な、
絵物語の一端を彩る。そのタペストリーの全貌は被支配者にはわからない。おのれが織り成すパーツの図柄さえ、
かれらは知らない。全ての絵柄は昏い企みに酔いしれる美貌の主の胸のうち。
 その企みを口にしようとしたならば、すぐさまおのれが灰と化して消滅することを被支配者たちは知っている。
『全ての声は、地下にある限りわれに届く』
 暗闇に妖しく佇む美貌の主の言葉通り、死者たちの命運は常に主のもの。生ではない生、偽りの命。だが命に
執着する者には、夢だろうが真だろうが生きていることには変わりがない。それゆえに死者たちは主の逆鱗に
触れぬよう、常に恐れ、注意を払っている。
 だが、ふいに、なにゆえと思われる時でも死者たちの偽りの肉体が一瞬にして灰と化す時がある。
 それは、
『おい、今日の肉はうまかったな、あれはどこの肉だ』
『ああ、鹿のヒレ肉……』
 シュボッ。
『なんとそのような非礼なことがっ』
 シュボッ。
『この鍋はどこに置いたらよいのか』
『ああ、炉辺に──』
 シュボッ。
 居合わせた人間たちが驚くのも当然だが、死者たちはもっと驚く。いまのはなにゆえにっ。見えざる支配者の
冷たい怒りの理由が知れぬかれらは恐れおののき、口を慎む。それでもときたま、
『ウサギは耳をつかんで捕獲──』
『カタツムリの触覚は伸縮自在だなぁ』
 など日常会話の中で消されていく仲間の姿に戦慄する。そこには一体どのような秘密があるのだろーかっ?

 秘密ではない。『耳に関する78項目の禁言』のうち、『ヒレ』と『ロバ』とが冥界の二大禁句であるのは、
知る人なら皆知っている。ただ口に出したら塵になるから他の者に伝えようがないだけだ。『ウサギ』や『ミミズク』も
同様にデンジャラス。『伸縮自在』も時に際どい。
 ましてや『頭隠して耳隠さず』とか『王様の耳はロバの耳ぃ〜』など、ナノ単位のチリと化す大罪である。

 水の流れる昏い地下。
 そこでは今日も、主の地獄耳にまつわる禁句を口走った者たちが、名簿から消されてゆくのであった──


No.80 (2007/01/31 22:05) title:二分小説 〜紅激白辛〜
Name:花稀藍生 (p1027-dng36awa.osaka.ocn.ne.jp)


 ゴリゴリゴリゴリ・・・
 床に膝をついて薬研(やげん)でさまざまな植物を干したものをゴリゴリと一心にすりつぶしてい
る桂花の背中に、柢王はおそるおそる問いかけた。
「・・・も・猛毒でも作ってんのか?桂花」
 呼びかけられた桂花は「何を馬鹿なことを言っているんですか」とでも言いたげな視線でちらりと
振り向いて柢王を見、さっさと作業に戻った。柢王は冷や汗をかきながらゆっくりと桂花の横に回り
込む。
(こ・怖えぇ〜〜・・・)
 ・・・何というか、目が怖い。というか背中に殺気が漂っている。 場所が場所でなければ、ついに自
分の女遊びに耐えかねた桂花が猛毒を作っている現場に鉢合わせた・・・としか考えられなかったかも
しれない。
 ―――そう、場所が天主塔の大厨房でなければ。
 薬研ですりつぶしたモノを桂花はスプーンですくい上げ、横に置いた紙の上に落とす。20センチ
四方の小さな紙の上には、今まですりつぶしたスパイスが小さな山となって積まれていた。
「そんなちょっとの量で大丈夫なのか?」
「量が多ければいいというものではありません」
 柢王の問いかけに振り向きもせずに桂花は返す。右手を伸ばして持ち込んだ袋の中から干した植物
を2.3個つかみ取り、薬研に放り込んですりつぶし続ける。
「おい・・・さっきの・・・・」
 薬研に放り込んだそれが、蛍光グリーンと紫と蛍光ピンクのまだら模様をしたイボイボの突起を持
つ実であったのを見て、柢王が慌てる。どう見ても魔界植物だ。
「毒性はありません」
 何の感情も込めずに言い放つ桂花に、柢王は冷や汗をかきながらゆっくりと後ずさった。

 ・・・そして、桂花が薬研を扱っているその反対側の調理台の前で、火にかけられた大鍋の中身をかき
混ぜるアシュレイの姿があった。
「・・・・・・アシュレイ・・」
 彼から少し離れたところからアシュレイを見つめるティアの瞳に涙が浮かんでいるのは、額に汗し
て料理を作る恋人の横顔に感動しているからだけではない。
 アシュレイの周りには何やら赤い靄のようなモノが立ちこめている。そしてそれは、まちがいなく
彼がかき回す鍋から発生しているのだった。
 大厨房は天主塔始まって以来2度目の避難勧告。最後に出た料理長は厨房を振り返って目尻に涙を
浮かべながら悄然と去っていった。
 大厨房にいるのは、アシュレイ、桂花、ティア、柢王(五十音順)の四人のみ。
 そしておそろしく広い厨房に立ちこめるのは、強烈激烈苛烈にスパイシーな匂い。
 ・・いや、もはや匂いという次元ではなく すでに目に来ている。だからティアは泣いているのだっ
た。そして、露出している肌がピリピリしている。
 ティアはハンカチで目元を押さえながらゆっくりと後ずさった。

 ・・・事の発端は霊界から遣わされた天主塔の監査人に対し、意趣返しとしてアシュレイが手を加えた
激辛料理についてだった。 愛妻料理を味わえたティアはご満悦だったが、その後の処理に追われま
くった桂花はいい迷惑だった。
 その話をたまたまティアが二人のいる前で蒸し返してしまったのだ。ティアがまたアシュレイの手
料理を食べたいと言った時に、桂花が体調を崩されてはたまらないと止めたのがアシュレイの癇に障
ったらしい。 その後はおなじみの罵詈雑言の嵐、そして、
「てめえは 根性が曲がるほど苦い薬しかつくれねえだろうがっ!」
 と、アシュレイが言い放ったこの言葉が桂花の逆鱗に触れた。あとは売り言葉に買い言葉、最終的
には守護主天を巻き込んで激辛料理対決を行うことになってしまったのだった。

 そうして彼らは大厨房の端と端の調理台に陣取って激辛料理対決をしている。
 ・・・といっても、公平を期すために料理長が自らダシをとったブイヨンスープに季節の野菜の角切り
を加えて煮込んだものをつかうから、彼らはそれにスパイスを加えて調味すればよいだけだ。
 ―――よいだけなのだが。
(うわああああああぁぁぁぁぁ・・・・・)
 内心で悲鳴を上げるティアが見守るその目の前で、アシュレイは実に無造作に真っ赤な粉末が入っ
た袋(業務用1kg)を逆さにしてその中身を全部大鍋の中にあけた。
(・・・アレ入れるのって、確かコレで3回目・・・)
 ・・・3kg+α(王家秘伝のスパイスだそうだ)ものスパイスを投入され、もはや煮えたぎるマグマ
の様相を呈した大鍋の中身は、新たに加えられた粉末をゆっくりと飲み込み、赤い蒸気を噴きあげた。
「おい! トロいやつだな! まだかよ!」
 鍋のふちをお玉でガンガン鳴らしてアシュレイが桂花に怒鳴る。
 すりつぶしたスパイスの山が盛り上がる紙を慎重に持ち上げながら桂花がうるさそうに言った。
「こちらもコレを入れれば終わりです」
 ・・・ここでようやく桂花が自ら調合した調味料を小鍋の中に投入した。
 投入したその際に、ジュゥーッ!という音を立てて、煤煙とも噴煙ともつかない真っ黒な蒸気が小
鍋から噴き上がったのを、ティアと柢王はしっかりと見た。
 鍋の中身はあっという間に黒緑色に変じ、周囲に強烈激烈苛烈にスパイシーな匂いをまき散らし始
めたのだった。
 ・・・・・厨房内の空気は赤とも緑とも灰色とも言えない摩訶不思議な色になった。壁際に伏せてある竹
製の蒸籠は真っ黒に変じ、野菜はしおしおとしなび、卵は真っ赤に染まって表面が溶けかけている。

 もはやここまで来ると激辛料理も猛毒と大差ない。

 ・・・ゆっくりと後ずさり続けていたティアと柢王の背中が当たった。二人は顔を見合わせた。
「・・・どうしよう。確実に死人が出ちゃうよ、コレ」
 涙目のティアが言うのに、冷や汗をかき続けている柢王が言った。
「・・・いや、死人云々以前に、・・・誰が喰って、誰が判定すんだ?」

 ティアと柢王は青ざめた顔で視線を交わした。 そしてゆっくりと2.3歩後退すると、回れ右し
て入り口に向かって猛ダッシュをかけたのだった・・・


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