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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.64 (2007/01/15 00:00) title:ラプンツェル (1)
Name:モリヤマ (i60-41-188-83.s02.a018.ap.plala.or.jp)


 
 この限られた小さな部屋だけが私の居場所。
 唯一与えられた"外"を見る目で、世界を見守り、幸せを祈る。
 苦痛を取り除き、痛みをやわらげる。
 色とりどりに咲く草花、街を行き交う人々、広場で遊ぶ子供達。
 目に映る美しい風景。心和む優しい情景。
 決して触れることのできない世界。
 この世界を守ることが私の仕事。
 そのための存在。
 …それだけの存在。
 
 守天は額の印にそっと手をやり、目を伏せた。
 
 
 
 
 この世界の中央の、緑濃い森の中には白い塔がある。
 天を突くほどの森の木々より高く、その塔の側面の中央には不思議な模様が印されている。
 塔の天辺には窓がひとつ。その窓に、ときおり小さな影が映るという。
 
「その塔がなんのためにあるのか、誰が建てたのか、誰かいるのか、なにがあるのか…。誰も知らないわ」
「だれも…?」
「そうよ、誰も」
「姉上も?」
「もちろん、私もよ」
 寝台横に立ったグラインダーズは、一向に眠る気配のない弟の顔を覗き込んで神妙な声で言った。
 ひとり王子宮で育てられている弟と違い、父王とともに王宮で暮らしている姉のグラインダーズは、今夜はアシュレイの乳母の急な帰省のため、就寝前の様子見に王子宮を訪れていた。
 母は違えど、お互い早くに母を亡くした身。しかも弟はまだ小さい。
 グラインダーズは母親代わりに五歳違いの弟の面倒をよく見ていた。
「塔の話はおしまい。さ、もう寝なさい」
 大好きな姉の久しぶりの訪問と不思議な塔の話に、目が冴え、なかなか眠ろうとしない弟の胸元の毛布を引き上げると、グラインダーズは部屋の灯りを消して出て行った。
 アシュレイは、乳母や使い女たちはもちろん、それがたとえグラインダーズであっても、そばに誰かがいれば寝つくことはない。
「…森の中の白い塔」
 姉の話に、まだやんちゃな盛りのアシュレイは、声に出して言ってみる。
 あの綺麗で賢くて優しくて強い、大好きな姉・グラインダーズでさえも行ったことのない塔。
「なにがあるのか、誰がいるのか…」
 誰も知らない塔の中。
 明日はそこに行ってみようと思いながら、アシュレイは眠りについた。
 
 アシュレイはまだ四歳だが、一年前から塾にも通い始めたし、その体内には武器を持っている。
 アシュレイとともに成長する神器だ。
 これさえあれば、たとえ白い塔にどんな奴がいたって大丈夫だとアシュレイは考えていた。だからこそ、共の者を振り切り、ひとりでそんなところへ行こうと思ったのだ。
 
「あれか…!?」
 森の上空を飛びながら、しばらく行くと円柱の形をした白い塔が目に入った。
「ほんと真っ白だ」
『その塔がなんのためにあるのか、誰が建てたのか、誰かいるのか、なにがあるのか…』
 昨夜のグラインダーズの言葉を思い出す。
 実物を目にして、初めて実感としてその疑問がアシュレイの胸に広がった。
 だが、ままよ。自分には斬妖槍がある。
 アシュレイは神器を手に大胆にも塔に近づいた。
 慎重に地上に下りながら塔の側面を観察する。
 グラインダーズの話しの通り、側面の白い壁には不思議な模様があった。出入り口らしきものは見当たらず、もう一度宙に飛び、塔への唯一の出入口に思える窓にそっと近づく。
 そっと…そっと…
「…おっ…おひめさま…なのか!?」
「え…?」
 窓は、ちょうどアシュレイの背丈より少し小さいくらいの大きさで、幅がアシュレイの両腕を広げたくらい、長方形で上の部分が半円になっていた。
 その中に、自分と同じくらいの年の愛らしい少女を見つけ、アシュレイは思わず叫んでいた。
 長い金色の髪を編みこんだ、色白で華奢な、見たこともない美少女。
 物語好きな乳母が好んでする話のひとつに、悪者にさらわれ捕らわれた姫を助ける王子の話があった。
(間違いないっ)
 この美少女は、囚われのお姫様だ!
「どっかの国のお姫様だろ! 悪い奴らに閉じ込められたのか!?」
「…ちが…私は」
「もう大丈夫だっ。すぐに助けてやる!」
 そう言って、窓枠に手をかけ中に入ろうとして、
「俺はア…っ!! …なんだっ、これっ!?」
 アシュレイは、突然なにかにはじかれ手にした斬妖槍を構え直した。
 入ろうとして、はじかれた。自分を、というより、たぶん外界を拒絶してるのだ。
「な、なんだ…っ、いったい…」
(結界…か!? でも…)
 こんな結界は初めてだった。
 父王も、異世界からの魔物の進入を防ぐため、世界の安寧のため、結界を張っていることは知っているし、実際その現場も見たことがある。
 だが、こんな強力な結界は知らない。
 結界の存在を感じさせず、近づいた途端、完璧な拒絶を示す。
 こんなところに閉じ込められたら出られないし、…助けられない。
 勝気なアシュレイが、一瞬で諦めの念を抱くことなど珍しい。それほど、いま目の当たりにした結界は強烈だった。
「…だいじょうぶ?」
 中から、震える声がアシュレイに問いかけた。
「…ったりまえだ!」
 そうだ。
 この子は、さらわれて、ずっとこんなところに閉じ込められてるんだ。
 こんなに小さくて弱そうなのに、たったひとりで…。
(こんなことくらいで、負けてられない…!)
 全てアシュレイの勝手な妄想だが、いまのアシュレイにはそれこそが力となった。
「待ってろ、すぐに助けてやる!」
「あの…ちょっと待って! いま結界はずすからっ」
「心配すんなっ! すぐに…っ…って、え!?」
 目を瞑り、なにごとがつぶやいた少女が、微笑んでアシュレイを見た。
「もう平気だよ? どうぞ」
「…へ?」
 なんだかわけが分からないながらも、アシュレイは言われたとおり、窓の中へと進み入る。
「…なんだ、こりゃ」
 さきほどとは打って変わって今度はなんの障害もなく、スルッ…と中へ入れてしまった。
 中は、大人だったら少し狭く感じるかもしれないが、天井が高いので圧迫感はあまりない。
 壁面の本棚にはぎっしりと本が並べられ、真ん中に机と椅子があって、その隣に小さな寝台、そして窓の下には、床一面に敷かれた白い敷物の上にもう一枚、アシュレイが腕を広げたくらいの正方形の生成り色の布が敷いてある。
 天井も壁も床の敷物までが白く、無機質な印象の部屋の中で、唯一、机の脇に置かれた黒く大きな鏡だけが異色な存在だった。
「えーと…。あの、はじめまして。君は誰…?」
 少女の戸惑う声に、少々呆けていたアシュレイは我に返り、さっきしようと思ってできなかった自己紹介を試みる。
「俺は、アシュレイ。南の国から来た」
「アシュレイ?」
「そうだ。…は、はじめまして、…えっと、」
「あ…ああ…私は、私の名前は……ティア…ティアランディア」
「はじめまして、ティアランディア姫!」
「ひ、ひめ…? えと、さっきもなんかそんなこと言ってたけど、私は姫なんかじゃ…」
「で、悪い奴らはどこにいるんだ!?」
「…は!?」
「悪い奴らにさらわれて、こんなところに閉じ込められてるんだろ?」
「えっ、あの…」
「どこの国の姫かは知らないけど、俺がちゃんと送ってってやるからなっ」
 身体より大きな武器を持った自分と同じくらいの少年の、鼻息荒い意気込みに、少女は一瞬言葉を失ったが、すぐにひとつ息をついて言った。
「私は…たぶんさらわれてきたわけじゃないと思う。私にもよくわからないけど、……私は、ここで祈りを捧げているだけなんだ。なにも危険なことはないし、これが私の仕事だから、ここを出るわけにはいかない」
「……へ?」
 少女の言葉が理解できない。
 綺麗な音だけが、自分の耳を素通りしていく。
 そのとき、控えめに扉を叩く音がして、アシュレイは反射的にそちらに向け斬妖槍を構えた。
 見ればアシュレイが立つ窓際から奥へと入ったところのつきあたりの壁、アシュレイの胸の高さくらいの位置に、小窓がある。
 外から見たときにはこの塔に出入り口は窓より他にはなかったはずだ。
(いったい誰がそんな小窓の向こうにいるんだ?)
 そこまで思って、ふとアシュレイは不思議に思った。
(そうだ。出入り口はこの大きな窓しかない。この子はどうやってここにいるんだ? 小窓の外にいるらしい奴はどうやって外と出入りしてるんだ?)
「守天殿? 物音が致しますが、なにかございましたか?」
 しわがれた声が小窓の外から尋ねる。
「変わりないよ。鳥が来ただけ。大丈夫」
「承知いたしました」
 ほのかに赤いくちびるの前に人差し指を立て、アシュレイに静かに…と示しながら、少女は外からの声に答えて小窓に向かってなにかをつぶやいた。
「今のは…?」
 アシュレイの問いに、少し迷ったように、
「私の世話をしてくれる八紫仙っていう人たち。ここには入ってこないから気にしないで。…念のため結界も張っておいたし、声も届かないと思う」
 世話…?
「そう、世話。」
 心で呟いたつもりが、声に出ていたらしい。
 しかも、思いっきり不審げな声だったようだ。
「お目付け…っていうか…。食事とか衣服とか、私に必要なものを届けてくれる」
「でもこの塔に出入り口は…」
「ないようだね。私も知らないけど、地下に連絡通路があって街と行き来してるみたいだよ」
「…なんでまた」
 こそこそと面倒なことしてんだ?
 ていうか、私も知らないけど、って!?
「…ちょ…待って。おまえ、ここ出たことないのか!? そいえばさっき仕事って言ったよな? 出るわけにいかないってどういうことだっ!? 出たくないのか!?」
 アシュレイの言葉に少女は知らず微笑んでいた。
 笑んだその心の奥の慣れ親しんだ諦めを、すでに少女は意識すらしていない。
(もし…)
 自分がここにいる理由、ここでひとりで祈り続ける理由、すべてがわかったとしても、たぶん君には、いや、誰にも話せないことだろうと、少女は思ったのだ。
(それにしても、私がさらわれて閉じ込められた姫だなんて…)
「ここを出るなんて…考えたこともないから、わからないよ」
「でも…おまえ、さびしいだろ?」
 アシュレイは幼く、また、元来機微に聡いほうではない。
 ただ、動物好きのアシュレイは『好きだから』彼らとの間に信頼を築き心を通じさせようと努力する。人との関係も、それと同じだった。好きだから、自分から近づく。努力する。
 少女に内面的な強さを感じとり、知らずアシュレイは彼女に好感を抱いていた。
 はじめて出会った不思議な少女のことを、わかりたいと思ったのだ。
「さびしい…?」
 きょとんとした顔で少女が続ける。
「この塔はこの世界で一番高い建物なんだって。ここで世界の幸せを祈ることが、私の仕事。それしか考えたことなかったから…ごめんね、君の言ってる意味がよく分からない」
 そう言って謝りながらも笑みをたやさない少女が、アシュレイにはとても儚く見えて、なぜだかとても胸が痛かった。
「祈る…って、おまえは、巫女姫か?」
「巫女…姫…とは違うかな…」
 首をわずかにかしげ困ったように答える少女に、たぶん、それ以上は訊くべきではないのだと、アシュレイは感じた。
「わかった。おまえは、ここで大事な仕事をしてるんだな」
「うん…」
「だったら、俺がここに来る!」
「えっ」
 塾もあるし、王子という立場上、本当なら勝手に一人で城外に出ることは許されてはない。だが、アシュレイにとってそんことたいした問題ではない。
「…来ても、おまえが結界解いてくれなきゃ中には入れないけどなっ」
 照れくささを隠して、少々偉そうにアシュレイが言い放つ。
「………ほんと…?」
「来てもいいか?」
「また…来てくれるの?」
 期待に戸惑いながらかすれる少女の声に、アシュレイは力いっぱい大きく頷いた。
 頬染め、嬉しそうに笑んだ少女から、かすかに花の香りがした。
 そしてそのとき初めて、アシュレイは気がついた。
 少し長めの前髪に隠された少女の額に、塔の壁面と同じ不思議な模様が刻まれていることに。
 
 
 


No.63 (2007/01/14 13:48) title:桂花の留学生活1
Name:秋美 (121-82-212-185.eonet.ne.jp)

「おい、おまえこっちこいよ」
 嫌な笑みをうかべた同じクラスの連中を、桂花は眼に力を込めて睨み返した。
ここで負けたら、このあとの学校生活でずっと弱者の側に分類されてしまうことが、
今までの経験から分かっている。
 腕力には覚えがないので、眼と口で勝つしか方法はないのだ。
「吾に用はありませんので」
 これ以上無いくらい冷ややかに返答して堂々と踵を返す。しかし、相手はしつこかった。
 ぐい、と肩を掴んで引き寄せられる。桂花の肌に鳥肌が立った。
「つれなくすんなよ」
「そうそう、俺らと遊ぼうぜ」
「さ、わらないで下さい!」
 転校そうそう、これである。泣きたかった。
 留学生である桂花は、大きな問題を起こしたら国に返されてしまう。
 喧嘩は御法度だというのに。
 助けを求めて周囲を見回したが、廊下に人影はなかった。
 もう放課後なので、チャイムは期待しても無駄だ。
 このままさらに人気のないところに連れ込まれたら、諦めるしかない。
 桂花は唇を噛みしめた。
 渾身の力を込めて、自分を拘束している腕を振り払った。
 怪我さえさせなければ証拠はない。後は逃げるだけだ。
 足には自信があった。
「待ちやがれ!」
 追いかけてくる二つの足音を背後に、桂花は長い廊下を全力疾走した。
しかし、焦るあまり前方に注意を向ける余裕がなかった。
 手加減なしに、前から歩いてきた生徒と衝突してしまったのだ。
 受け身を取る余裕もなくリノリウムの床に倒れてしまい、強かに腰を打ちつけた。
「っ……痛っ!」
 足音は見る間に近付いてくる。もう無理だ、逃げられない。
 諦めたとたん、身体から力が抜けていく。涙も出なかった。
 放心したように座り込んでいると、だらりと投げ出された腕を強く掴まれた。
「おい、大丈夫か?」
 追いかけてくるクラスメイトの声ではない。
 顔を上げると、そこには見知らぬ顔があった。
 空色の瞳が印象的な、精悍な少年。
 今自分がぶつかった相手なのだと認識した瞬間、強引に立たされる。
「まだ走れっか?」
 頷こうとしたが、足がおかしい。
 おかしな倒れ方をして捻挫でもしたのだろうか、力が入らない。
 桂花は首を横に振った。
「無理です……すみません、ぶつかってしまって。行って下さい。あなたまで巻きこまれる」
「馬鹿野郎。こんなとこで怪我人見捨てて逃げたら寝覚めが悪いだろーが」
 それに、もう奴らは目の前だ。
「そこで見物がてら、休んでろよ」
 桂花を背中に庇いながら、少年は三人を向こうに回して不敵に笑った。
「弱い者いじめは感心しねーな。おまえら、バレたら停学だぜ?」
「はっ、そんなマヌケなことすっかよ」
「そーそー、おまえも痛い目見たくなかったら、その生意気な男女おいて消えろよ」
「それとも、こっちにまざるか?」
 数で勝っているという余裕が端々に見られる。非常に不愉快だった。
ひとりでは何もできないくせに。
しかし、そんな連中に手も足も出せない自分のほうが、もっと惨めだった。
 唇を、切れるほどに噛みしめる。
 前に立っていた少年がちらりと振り返って桂花と視線を合わせ、
安心させるように片目を瞑ってみせた。
 それも一瞬で、すぐに前を向いてしまう。
「頭の悪い奴とつるむ趣味はねーな。ボコボコになって恥晒したくなかったら消えろよ」
 威勢の良い啖呵である。勝ちを確信した連中が、ここまで言われて黙って引き下がる道理もない。
 あっという間に乱闘になった。
 もう桂花にはどうすることもできない。
 ただ、人が来ないことと、巻きこんでしまった少年の怪我が軽く済むことを祈るだけだ。
 しかし、桂花の悲観的な予想は思いのほか早く外れた。
 時間にして数十秒、床に沈んだのは桂花を追い回していた三人組だったのだ。
 本当にあっという間だった。
 鮮やかとしか言いようのない手際の良さで、
少年は当然のように勝ちをおさめていた。
 一人目は股間を容赦なく蹴り上げられて悶絶、
続いて二人目は首の後ろに手刀を叩き込まれて意識を失い、
多少は武術の心得がありそうな三人目も、
一撃も少年に加えることができずに蹴り倒されていた。
 桂花があっけにとられていると、少年は人好きのする笑顔で手を差しのべてきた。
「よし、行くか」
「どこに、ですか?」
「とりあえず保健室だろ? その足、なんとかしてもらわねーと。
 そのまま職員室行って、あいつらの処分を決めてもらう」
「だ、」
「だ?」
「駄目です。吾が騒ぎを起こしたら……国に帰らされてしまう」
「だから、だよ」
 少年は真剣な顔で説明する。
「このまま黙ってたら、間違いなくあいつらはおまえにやられたって騒ぎ立てるぜ? 
 おまえひとりで反論したって、信じてもらえんのか? 
 あいつら、理事会に親だの親戚だのがいるんでやりたい放題してるって有名なんだ。
 先手を打たれて書類に判押されちまったらどうしようもない。
 良いから俺に任しとけって。幸い、今なら理事長が帰国してっからな」
 ほれ、っと背中を向けてしゃがまれ、桂花は困惑した。
「あの……?」
「歩くと痛むだろ。おぶってやっから」
 とっさに、桂花は後退った。
 初対面の相手に丸ごと身体を預けるなど、桂花にはできない。
「自分で歩きます。肩だけ貸して下されば」
 頑なな態度に、少年はあっさり諦めて立ち上がった。
 なんとか自力で起きた桂花の片手を肩に回し、ゆっくりした歩調に合わせて歩いてくれる。
じれったいほどの速度のはずだが、少年はいやがる素振りすら見せなかった。
 一階の隅にある保健室は、恐らく校内で図書館に並ぶほど静かな場所だ。
常時待機している保健医の一樹は、
腫れあがった桂花の足首を見るなり顔をしかめ、
原因を問いただす目を少年に向けた。
「例の三馬鹿トリオに絡まれて、逃げてる途中で俺と正面衝突。
 転んだんだよ」
「また彼らか。困ったものだね。きみ、大丈夫?」
 やわらかな声に問われて、こくりと首肯する。
「留学してきたところらしいんだけど、
 どうも一般の留学生とは扱いが違うらしいんで、
 報告がてら理事長に探りをいれてこようと思ってる。
 悪いけどその間、ここで預かっててくんねーかな。
 誰が来ても渡さないで欲しいんだ」
「かまわないよ」
「助かる。じゃあ、ちょっとここで休んでてくれ。
 あとで絶対に迎えにくるから。知らない奴についていったりするなよ」
 まるで幼児にするような注意を残して、少年は行ってしまった。
「災難だったね」
 手際よく足に湿布を貼りながら、一樹は一方的に話し続けている。
 少年が出て行ってから、桂花はまだ一言も発していない。
「あの連中には教師も手を焼いていてね。
 でも最近は少しやりすぎだね。
 泣き寝入りしてきた生徒も多いことだし、
 そろそろ上も動くと思うから、安心するといい」
「……」
「警戒しなくても、俺はきみに危害を加えたりはしないよ。
 名前だけでも、教えてもらえないかな?」
 この微笑みを前に警戒心を続けるのは難しい。
 いつの間にか心が弛んできている自分に、桂花は呆れた。
 異国の地で、これほど穏やかな気持ちで誰かと向かい合ったことなどなかったのに。
「桂花、と申します」
「きれいな名前だね。きみにぴったりだ」
「この国では、女性に付ける名と聞きましたが」
「俺は本人に似合っていればそれで良いと思うよ。
 それに、これだけ国際化が進んだ時代に名前云々であれこれ言うのはナンセンスだ」
「ありがとう、ございます」
 大好きな人にもらった名を褒められるのは、単純に嬉しいものだ。
 自然と桂花の顔は綻んでいた。
 解き放てば無差別に人に襲いかかる獣のような扱いで入国審査を受け、
何枚もの誓約書にサインするまで手足の拘束すら解かれなかった桂花の心は荒みきっていた。
敵対国からの留学生を見るこの国の人々の目は冷たかった。
つい数年前も大きな戦争があったところなのだ。
何万人もの人々が桂花の国によって命を奪われた。
もちろんその逆もあった。
 ようやく和平条約が結ばれたあとも、
国家間の関係が完全修復されたとは言い難い関係が続いている。
 そんな中での留学だった。
 この国の人間は桂花の国を蛮族の国と蔑み、
それを理由にいつまでたっても対等な立場で交渉のテーブルにつこうとはしない。
それならば、同じように理性と知性を持った人間であることを証明しようと、
国は桂花を差し出した。
容姿に優れ、頭脳明晰の天才と名高かった桂花は、
あらゆる物事に対して一切の抵抗を禁じられ、
ほとんど問答無用で敵国に送り込まれたのだ。
それで心安らかに過ごせるはずがない。
 監視付きのひとり住まいで、一時たりとも気の休まる時のなかった桂花の緊張が、
立て続けの刺激で一気に弛んだ。
 気付けば、頬に冷たい感触。
 それが自分の涙だと分かった時には、一樹の唇が頬に触れていた。
「辛かったね。でも、もう大丈夫。ここにいれば俺が守るし、柢王もいる」
「てい、おう?」
「ああ、きみをここに連れてきたさっきの子だよ。柢王というんだ」
「柢王……」
「彼が本気で動いたら、いくら彼らのバックに理事会がついていても無駄だからね」
「そう、なのですか?」
「彼はこの国の王族の直系だからね。
 それに、個人的に理事長とも懇意にしている。
 校長や教師との駆け引きも上手い。だから、安心しておいで」
「でも、それならなぜあいつらが手を出してきたんですか? 
 敵に回したくないでしょうに」
「柢王は自分の身分を表沙汰にはしていないからね。
 直系といっても末っ子で、継承権も三番目。
 王族として人前に出たことはまだないんだ」
 桂花は眼を見開いた。
「そ、んな……極秘事項を、吾になぜ」
「きみは秘密を守れる子だ。無闇に人に話したりはしないだろう?」
 桂花は、真っ直ぐ寄せられる信頼の眼差しから視線を逸らした。
 そんなに簡単に、信じたりしないで欲しかった。
「吾は、そんな人間ではありません」
「俺は自分の直感を信じてるんだ。
 きみなら、柢王の良い友達になってくれるような気がしてね」
「ともだち?」
「あの子も、なかなか自分の領域に人を受け入れないから、
 同年代の友人がほとんどいないんだ」
「だからといって……」
「もちろん、無理強いはしないよ。
 でも一緒にいて楽しいと思えたら、
 あの子の力になってやって欲しいんだ」
 そうまで言われて、頭から拒否するのも大人げなく思えた。
 この人には、なぜかイエスとしか言えない気がする桂花だった。 


No.62 (2007/01/13 15:02) title:彷徨の果て(後)
Name:実和 (u064198.ppp.dion.ne.jp)

「カイシャン様!」
 やっと店にたどり着けた桂花は、丁度店から落ち着き払って出てきたカイシャンを捕まえた。
「カイシャン様、何をしていらしたのです!?」
しかし彼は桂花の前を無言で通り抜けた。そして少し歩いたが、なぜか大通りを逸れた。そのまま店と店の間の狭い路地を進んで行ったが、やがて突き当たりで立ち止まり・・・。

吐いた。

(しばらくお待ち下さい)

 カイシャンは桂花が携帯していた薬を飲んで、背上の人になっている。
「まったく何をやっているんですか、あなたは」
桂花の説教に背中にへばりついているカイシャンは意味不明のうめき声で答えた。酒を飲んだ経験はあるが、一気飲みしたことはない。そこは常に周りの大人が加減をしてくれるからだ、あれでも。桂花は自分の不注意を心から悔やんだ。カイシャンへの注意事項がまた一つ増えたようだ。馬空には必ず申し送りをしておかないと。ついでにそれにも関わらず不注意をしでかした暁には桂花にどういう目に遭わされるかということも頭に叩き込ませなければならない。
 2人は賑やかな市場を抜けて、富裕層の住宅が軒を連ねる静かな住宅街に入っていた。桂花の館もこの一画にある。
「帰ったらまた薬を飲んで、しっかり休んで下さい」
カイシャンは桂花の背中で身じろぎをした。
「お前の館へ帰るのか?」
「当たり前です。吾がついていながらこんなことになったなんて。陛下に知れたらそれこそ困ります」
カイシャンは無言で桂花の肩に顔をうずめて「ごめん」と呟いた。先ほどの態度との落差に思わず口元が緩んだが、アルコール度数だけはやたら高い安酒特有の下品な臭いが鼻を直撃して桂花は顔を顰めた。その臭いでカイシャンが飲んだ酒がよく馬空やその仲間達が飲んでいるものと同じものだということを知る。
全くあの男はろくなことをしない、と桂花はカラコルムの方向を睨んだ。(彼の地では馬空が大都の方角から絶対零度の冷気を感じて身を震わせた)

「あのさ・・・」
カイシャンが桂花の肩にまだ土気色の残る頬を押し付けながらぽつんと言った。
「なんです?」
「俺ってまだお守が必要なのかな?」
どうやらさっきは「お守」と「ガキのお散歩」という男の言葉がカイシャンの闘志に火をつけたらしい。
桂花は体を揺すってカイシャンの体をずり上げた。
「そうですね。どうも吾はまだまだ殿下から目を離すわけにはいかないようです」
カイシャンは桂花の首筋に額を押し付けて、くぐもった声で言った。
「お前が傍にいてくれるなら、俺は子供のままでいい」
桂花は思わず足を止めた。
「俺が子供でいる限り、お前はどこにもいかないだろう?」
何があっても、誰が迎えに来ても、お前は俺から離れていかないだろう?
 カイシャンの問いに桂花は頷くことができなかった。
桂花の無言に、彼の胸の前に回されている腕の力が強くなった。まるで縋り付くように。視線を落とすと随分と長くなった腕が目に入った。

 この腕の力は、そう遠くない日にもっと強くなってしまうだろう。その腕でこんな風に抱きしめられてしまったら。
地底にいる柢王の形をした抜け殻と、柢王の魂を持ったぬくもりとに心を引き裂かれて。

吾はきっと壊れてしまう。

 けれど今は倒れるわけにはいかない。桂花は目の前を睨んだ。
自分はもう走り出したのだから。それが柢王の望まない方向であっても、桂花を心配してくれている人達を裏切る方向であっても。自分は世界を崩壊に導く方へ走ることを決めてしまったのだから。
もしかしたら最も世界の終焉を願っているのは桂花自身かもしれない。
世界が崩壊して、全てが消え去ればこの苦しさもなくなる。
自分の身勝手さに自嘲の笑みが零れる。
置き去りにされることの絶望感を嫌というほど知っている自分が、1番守りたい人の魂を、自分の勝手な望みのために傷つけようしているのだ。

「いつまでも子供のままでは困りますよ。あなたはこの国を担う方なんですから」
桂花はやっと押し出すように言った。
その時、カイシャンが桂花の背中から滑り降りた。そして前に回りこんで桂花の顔を見上げた。
「お前だってお守が必要だ」
「え?」
「お前、今、迷子の子供みたいな顔してる」
「・・・」
カイシャンは空を見上げた。吸い込まれそうな程空は高く、一面に散らばる星屑は澄んだ銀色をしている。
「俺、お前の言う通り、大人になるさ。早く大人になって、今度は俺がお前のお守をしてやる」
「お守?あなたが、吾を?」
カイシャンは桂花を振り返った。
「そう。お前が迷子にならないように俺が傍に付いててやる」
「カイシャン様・・・」
「子供である俺には今はお守が必要さ。だから俺が大人になるまでお前は俺の傍にいろ。けど俺が大人になったら今度は俺がお前の傍に付いてる。大人なのにそんな顔してるお前の方が、俺より長くお守が必要っぽいからな」
カイシャンはニヤッと笑った。そして桂花の手をとって、その手を上げてみせた。
「ずっとこうしててやるから、迷うことないぞ」
「・・・いつ頃からあなたは吾のお守をしてくださるんです?」
「決めてない」
桂花は呆れたようにため息をついてみせた。
「そんなの待てません。もう元気になられたのならご自分で歩いて下さい」
そう言うと桂花はさっさと歩き出した。涙が零れる前に。けれどつないだカイシャンの手はそのままだった。

―柢王。
今だけは許してください。あなたと、あなたの魂を持つ、全く別のぬくもりとの間で彷徨う吾のことを。吾は必ずあなたの元に戻るから。
だから、もう少し、もう少しの間だけ・・・。
この束の間の夢にまどろませて。

 桂花は空を見上げた。濃紺の闇は果てしなく深く静かだった。
この彷徨の果てに何があるのかはまだ知らない。けれど今は自分の手を包むこのぬくもりだけは確かだと思いたかった。


No.61 (2007/01/13 14:14) title:彷徨の果て(前)
Name:実和 (u046237.ppp.dion.ne.jp)

「カイシャン様、もう帰りますよ」
 桂花とカイシャンは昼前から「勝ち抜き大会」を覗いたり、出店をひやかして周ったりして一日中市場を歩き回っていた。
人ごみが苦手な桂花は少し疲れていた。

 カラリと青かった空はいつの間にか群青色に変わり、西の片隅にわずかにオレンジ色を残すのみになっている。薄闇の中に沈み始めた市場の中はあちこちで灯籠に火が入れられ始めた。
あちこちに金色の光が浮かびあがり、市場は浮かれ酔わせるような艶やかさを帯びた、華やかな装いに変わっていく。
 人波の中を流れるようにゆっくり歩きながら、音楽や嬌声が聞こえる酒家を見るともなしに眺めているカイシャンに桂花は帰宅を促した。
「今日は一日中歩き回ったんですから、お疲れでしょう」
「別に平気だ」
カイシャンは目を酒家に向けたまま言った。
「昨日は帰っていないのです。今日はお帰りにならないと皆が心配します」
カイシャンは桂花の館に滞在している。本当なら昨晩、宮廷に帰らせるはずだったのだが結局泊まっていったのだ。
「お前がいるんだから心配する必要はない」
「カイシャン様」
桂花が少し厳しい口調になった。
「お立場をわきまえて下さい」
カイシャンは口をへの字にまげて黙った。黙ったが桂花に従う素振りもなく、頑固に立ち並ぶ酒家を見つめたままだ。
桂花はため息をついた。カイシャンは最近反抗期を迎えて本当に扱いが難しくなった。しかし、今日は少しそれとは違うように見えた。いつも通り元気に駆け回っていたが、時々鬱屈したものが見え隠れしていた。カイシャンのことは何もかも知っているつもりでも、時々全く分からなくなることがある。それは年頃の少年特有のものなのか、天真爛漫のようで、底が見えない最愛の男の特徴を受け継いでいるせいなのか。

・・・さんざん振り回されてその都度怒ったり心配したり。
でもいつも最後には暖かな腕の中にくるんで、包み込むような空色の瞳で見つめて安心をくれた―・・・。

桂花は記憶と呼ぶにはあまりにも生々しい感触が一瞬怒涛のように押し寄せ、全身を撫でていったような気がして眩暈を覚えた。
「桂花?」
我に返るとカイシャンが心配そうに桂花を見上げている。
「何でもありませんよ、カイシャン様」
桂花は安心させるように微笑むと、腰に手を当ててわざと明るい声を出した。
「さぁ、帰りますよ。我儘はおしまいです。もう子供ではないのでしょう?」
 カイシャンはまだ探るように桂花を見つめている。その視線を避けるように桂花は先に歩き出した。カイシャンも仕方なく桂花の後についてきた。これで今日は帰らせることができると桂花がほっとしていると
「おっと、そこ行く兄さん方。寄っていかないかい?いい酒が入ってるよ」
軽くて陽気な声がかかった。見ると酒家の呼び込みらしい男が近寄ってきた。
「お兄ちゃん、見たところ結構イケるクチじゃないかい?俺はこんな商売やっているから見る目はあるんだな。いい男は酒の方もいけるって相場が決まってるもんだ」
男は2人の前に回りこんでカイシャンの顔を覗き込んだ。
カイシャンは背が高いし、年齢より大人びている。酒も大人に混ざって口にしているが如何せん、まだ12才だ。
何が見る目はある、だ、馬鹿らしい、と桂花は無視して通り過ぎようとしたが、カイシャンは興味を示すような素振りを見せた。それに素早く反応した男はさらに畳み掛けた。
「そうさ。男前だしこんな別嬪さん連れているんだ、いい男に間違いねぇよ。兄ちゃん、若けぇのに大したもんだなぁ。どうだい?彼女にいいとこ見せなきゃ、だろ?」
しかも桂花を女性と間違えている。しかしカイシャンは本格的に立ち止まって考え始めた。
桂花の頭の中で警報が鳴った。
「カイシャン様、いけません。帰りますよ」
カイシャンを牽制して桂花は男を睨んだ。
「この方はまだ12才だ。そんなことも分からずによく客引きができるな」
男は切り捨てるような視線と思いがけない男性の声に狼狽して体を引かせたが、悔し紛れに呟いた。
「何でぇ、優男のお守り付きでガキがお散歩中だったのか。相手にもなりゃしねぇ」
本当なら不敬罪ものだが、身分を隠している上では逮捕するわけにもいかない。大体そういう身分でこんな時間まで街をうろついているのはこちらの方だから仕方ない部分もある。
桂花はカイシャンを強引に促そうとしたが、すでにカイシャンの姿はなかった。
慌てて周囲を見渡すとカイシャンはスタスタと男の店に入っていくところだった。
「カイシャン様!?」
桂花は男を押しのけ、人ごみを掻き分けてカイシャンを追った。

 店内では、すでに出来上がった客達があちこちで盛り上がっていた。その中の何人かが、やけに堂々と入ってきたがどう見てもこの場に不似合いな少年に気が付いた。しかしカイシャンは好奇の視線に対して特に気後れする様子もなく、客や行き交う従業員でごったがえす中をすり抜けながら、奥に空いている卓を見つけて腰を下ろした。その隣の卓を陣取っていた男達の一人がニヤニヤしながら従業員を呼び、カイシャンを示して
「こちらの方に俺からの一杯を差し上げてくれ」
そして何事かを耳打ちすると従業員もニヤニヤしながら頷いた。 カイシャンが物珍しそうに煤けた壁を眺めていると、先ほどの従業員が透明な酒で満たした杯をカイシャンの前へ置いた。
「あちらの方から、お客様へ」
 カイシャンは杯の中身を一瞥すると、隣の男へ会釈を一つ。周りの視線を浴びる中、一瞬の躊躇もなく杯を一気に干した。そして空になった杯を卓へ置くと、椅子からストンと降り、もう1度見惚れるほど優雅に会釈をするとスタスタと店から出て行った。
客達や従業員はポカンとその姿を見送った。
 カイシャンに奢った男と同席していた男が、カイシャンが飲んだ酒と同じものを注文した。それを口にした瞬間、派手にむせた。


No.60 (2007/01/11 14:00) title:凍雪
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浅い眠り。
それを妨げるように身体の先からじわじわと冷気が包んでいく。
瞼を開けることすらしんどかったが、骨の髄まで冷えきったところで頑なだった瞳が覚醒した。
辺りは霧がかかり、まるで胡粉を刷いたようだ。
「・・・・風穴・・・・・どうりで・・・・・寒いはずだ」
苦笑して呟いた男の左腹には、コイン大の何かが貫通した痕跡があった。
右肩にも鋭い爪か何かでえぐられたような傷がある。
ゆっくり半身を起こし深く息をついてから天を仰ぐと、それだけで身体がかしいでしまいそうになった。
近くの切り株を頼りに立ち上がろうとするが、体は沈子をつけられたみたいに重くだるい。大量の血が流れたせいもあり、結局は目眩をおこしその場にくずれてしまう。
「さすがにキツイ・・・」
痛みはもちろんあるが、毒だろうか?痺れたような感覚の方が強い為、こんな大ケガを負っても泣き叫ばずに済んでいる。
―――――――数年前。やはり魔族に襲われた時、死を覚悟した自分を思い出す。

眼前に迫る魔族になす術もなく顔をそむけた瞬間、紅焔が自分の前に立ちはだかった。
あまりの熱さに身をかがめ必死に転がって逃れると、そこには自国の王子が立っていた。
(アシュレイ様!?)
お忍びではなく堂々と、たった一人で自分の父親の仕事場に遊びに来ていた王子と、これまで何度か会ったことがある。
『おい、そこの!絶対に動くんじゃねーぞ!』
全身から炎のオーラを噴上げ、王子は背を向けたまま自分に向かって叫んだ。
驚きのあまり返事すらできなかったが、彼の闘う姿は瞬きもせずに見ていた。何ひとつ見落としてはいけない気がしたのだ。
斬妖槍を自在に使いこなす細い身体は、魔族に対する恐れなど微塵もなく、それどころか水を得た魚のように自由に、楽しげに技を繰り出していく。
『・・・・なんて美しい・・・』
無駄のないしなやかな動きに魅せられる。
息を殺してその闘いを見届けていたら、決着をつけたアシュレイが額の汗を拭いながらこちらを振り返った。
その目は。
普段の瞳より更に深く激しい色をしていた。
ピジョンブラッド―――――――鮮烈な鳩の血色。最高級と称えられるルビーのその色は、凶暴なほど美しいとされている。
今のアシュレイの瞳はまさにそれだった。
『なんだ、お前だったのか』
目をうばわれたまま頭を伏せる事すら忘れていると、アシュレイはしゃがみ込んで手の平を何度か上下させる。
『器用だな、目開けたまま気絶してんのか?』
我にかえって平伏し、礼を述べると「天界人が襲われてんだ、助けるのは当り前だろ」と笑った。
それからというものアシュレイは、父親ではなく自分を訪ねてくれるようになり、突然かわいい弟ができたような気分になって浮かれたものだった。
 身分の尊い相手をつかまえて弟もないのだが・・・・・・。
 何をしても父と比較され、自分そのものを見てくれる者がいなかった中、純粋に慕ってくれるアシュレイの存在は唯一の救いでもあったのだ。
 だから尚更・・・・少しでも早く父親に近づきたくて必死になっていた。
 王子が文殊塾を卒業する直前、そんな愚痴をちらっとこぼしてしまった時、彼は言ってくれたのだ。
『大丈夫だって。お前ならきっとあのオヤジに追いつく。追いついて抜かしてみせろ、俺が見ててやる』

「アシュレイ様はいつも・・・・俺自身を見てくれていた・・・・・」
 あの方の為なら法など侵しても構わない。
 喜んでもらえるならどんな事でもしたい。
 その為なら―――命を落としても―――――。
「・・・・・でも・・・・・南に帰って・・・これを・・・」
 最後の力をふりしぼって血にまみれた袋を引きよせる。
 これが、恐らく探し続けていた物だと思う。とりあえず少量持ち帰って調べようとしたところで、魔族とかち合ってしまったのだ。
 こちらが倒れた時点で興味を無くして行ってしまったようだが、油断はできない。魔族はきまぐれだからいつ戻ってくるか・・・・・しかし、もう指一本動かせない事は自分が一番わかっていた。
 あの責任感の強い王子は、こんな風に自分が命を落としたなどと知ったらどれだけご自分を責めてしまうだろう。それを思うと、傷口よりも胸が痛む。
 どうか・・・・・どうか王子が――――・・・・・・?
 音もなく静かに舞い降りてきたそれは儚くとけて男の頬を伝う。
「これは・・・・・雪?」
 かすむ視界の中、時折見える雪に手を伸ばそうとするが今やそれも叶わない。

『俺、寒いの苦手だけど・・・・雪は好きだ。雪って、見たことあるか?あれはすごいぜ、真綿を細かく千切ったみたいな小さい雪が、時間をかけてデカイ山をすっぽり包みこむんだ。信じられねーだろ?・・・・お前のことを人界に連れてくのは無理だけど、北で雪が降る頃に見せにつれてってやろうか』 

 笑っていて欲しい・・・・・いつでも、愛情に満たされて・・・。  男の呼吸が次第に細いものになっていく。
 新しい武器を手にした時の王子の笑顔を想像しながら、彼は瞼を閉じた。
 その口元に、わずかな笑みをともしたまま―――――。     。
。      。      。      。      。

 本格的に降りだした雪は、まるでその身体を守るようにゆっくりと降り積もっていった。   。     。     。     。
。   。   。     。      。     。
  。   。    。     。     。      。  
 後日、鍛冶職人の名匠と謳われるハンタービノからアシュレイへ、息子の訃報と共にその遺品が届けられた。


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