投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
<This is the only calm before the storm>?
明朝のためにチェックアウトを済ませてもらったアシュレイは、ロビーの椅子でやり残したことがないかを思い出していた。
今日は一日、フライトプランと休養に当てた。おかげで頭はすっきり体も万全だ。明日は帰着前に気圧配置の関係で雨になりそうだ。が、刻々と変わる状況に応じての予習はしたし、心配はないだろう。
そう思いながら、ふと昨日の機長たちの話を思い出す。
パイロットの事にとやかく口をはさむのはアシュレイの仕事ではない。桂花はアシュレイよりもフライト歴の長いパイロットだし、ティアを問い詰める事も出来るが、ティアはあれで口の堅いところがある。桂花を嫌っているアシュレイに桂花の事情を話すとも思えない。あのすました奴を好きらしい柢王にも話していないに違いない。
無視すればいいのだが、気にかかる。
桂花のことではなく──あんな奴はどうでもいい。何考えてるかもわからない奴だ──桂花のために天界航空がトラブルに巻き込まれるような事になるのが嫌なのだ。そんなことになったら、ティアが困る。
といっても冥界航空に知人はいない。どうやって確認したらいいだろう。
思っていると、ちょうど玄関のドアから当の桂花が入ってくる。
渡りに船だ!
アシュレイは急いでそちらに行きかけたが、慌てて椅子に身を伏せた。
桂花はひとりではなかった。真赤な髪の、スーツ姿の美しい女と一緒だった。明らかに桂花よりも年上だろうその女に、桂花が見せている笑顔がアシュレイを唖然とさせた。
大事な人に向ける優しい笑顔。いつも自分たちに見せているあのつめたーい愛想笑いはなんなのだっ。
つっこみかけて、アシュレイは首を振った。
(柢王じゃあるまいし、論点がちがうっ)
ふたりはアシュレイのいる椅子の横をすり抜けてフロントへ向かった。
(まさか連れ込むつもりじゃ)
アシュレイは慌てたが、首を振る。そんな心配してどうするっ。
が、幸いアシュレイの読みは外れたらしく、桂花が鍵をうけ取ると女に言った。
「じゃ、ここで、李々。会えてよかったよ」
微笑んだ桂花に、李々と呼ばれた女も優しい笑顔で桂花を見上げた。
「私もよ、桂花。あなたがうまくやっているようで安心したわ」
「李々のおかげだよ。李々がいなかったらこんなにスムーズに行かなかった。感謝してる」
「何を言うの、当然でしょ。うちの主人があんなにあなたに執着しなければ、あなたはいまもうちで飛んでいたのよ。それを・・・いくらあなたがきれいでも、あんなに執着するなんて。いつもはもっとましだったのに」
「いいよ、李々。もう終った事だ。天界航空ではよくしてもらってるし、飛べるなら会社はどこでもいい」
女はそれに頷いた。
「体に気を付けてね。たまには遊びに来て。主人がいない時に」
「うん。李々も気をつけて。本当に送らなくていいの?」
「いいのよ、すぐタクシーを拾うから。じゃ、またね、桂花」
「お休み、李々」
まるで恋人同士のように笑みを交わしてふたりは別れた。女はアシュレイの側をヒールを鳴らして玄関に向かい、桂花はそれを見送るとエレベーターの方へと歩き出した。
「なっなっなっっっっ」
椅子から体を起こしたアシュレイは怒りのあまり真赤になっていた。信じられない、だが、事実だ。
「あっ、あいつ、できてたんだなっ、あの女の亭主とっっっ」
個人的に揉めたいというのはそういうことなのだ。それでティアの天界航空へ移ってきたのだ!
「ティアの奴、そんなこと黙って・・・・・・」
声が震えた。そんな色恋沙汰で天界航空に移動するなんて! しかも飛べればどこの会社でもいいなんてっ!
「ふざけやがってっ」
アシュレイは叫ぶと、すごい勢いで非常階段を昇り始めた。
ティアへの文句は後だ。
まずは柢王を説教してやらなくては──
ガンガンガンカンっ!
ドアを叩く音に、ファイルをめくっていた柢王はため息をついた。
こんな時刻にノックするなら隣の美人であって欲しい。さっき桂花は帰ってきたようだ、気配がした。別に悩ましいバスローブ姿でなくてもいいから仕事のことでも何でも話にきてくれたらいーなーと、全く期待しないで願ってはいたのだが。
例え、偏頭痛で頭が割れそうでも、桂花ならこんなノックの仕方はしないだろう。となると、あとはひとりだけだ。
「柢王っ、柢王、開けろーーーっ」
ガンガンガンっ! 当たり。柢王は肩をすくめてドアに向かった。
扉を開けながら、
「あのな、アシュレイ、ホテルの廊下は公道と同じだから行儀よく──」
言おうとした柢王を遮るようにアシュレイが叫んだ。
「柢王、おまえ、あいつを好きになるのはやめろっ!」
「はいっ?」
「だからっ、あいつを好きになるのはやめろって言ったんだっ。あいつには他に男がいるんだからなっ、ちゃんと聞いたんだからなっ」
アシュレイは走ってきたのか顔は真赤で髪は乱れて息切れしている。それでも足を踏み鳴らし、叫んで、
「聞いてんのかっ、柢王っ!」
「あ、とっとにかく入れよ、声が響くからっ」
「聞こえたって構うかっ」
「まあまあまあまあまあ、とにかく入れって!」
柢王は無理やりアシュレイの腕を掴んで部屋に入れるとため息をついた。何事だ?
「とにかく座って。なんか飲むか食うかするか? おまえ飯食ったか」
なだめる柢王にアシュレイは顔を真赤にして怒った。
「飯なんかどうでもいーから聞けっ、柢王っ!」
「あーもー、わかった、聞くから座れって。ホテルに苦情来んだろーがっ」
柢王は無理やりアシュレイを座らせるとその前の席に腰掛けた。
アシュレイは怒り心頭な様子でルビー色の瞳をぎらぎらさせている。気が短いようでもめったにそんな顔はしない。柢王はため息をついて言った。
「で? 桂花に男がいるとか言ってたよな・・・・・・あいつ、って桂花のことだろ? なんでそんなこと思ったんだ?」
つか男だぞ、女じゃないんだぞと言いたいのを堪える。こともなげに「他に」と言ったが、男に男がいるのはまれだろうが。
「思ってるんじゃない。さっき、あいつ、ロビーで女と会ってて──」
「女? 男じゃなくて?」
アシュレイは柢王の問いを無視して唇を噛んだ。見聞きしたらしい情景が頭によぎったのか、口を開くと火のような勢いでさっきの話と前日のパイロットたちの話とをぶちまけた。
話し終わると息を切らせて断言する。
「だからあいつはその亭主と不倫してたんだ──冥界航空の誰かと揉めて、それで辞めたんだっ。柢王、あいつはおまえにふさわしくないからなっ!」
柢王の顔に浮かんだ表情を──
アシュレイがどう受け取っているかはわからないが、柢王が考えていたのはその話に連なる矛盾点だ。
桂花が天界航空に来たいきさつについては柢王もティアに聞いたことがある。その時、ティアは確かに困った顔をして口篭もっていたが、それが不倫問題であるとは到底思えない。
(つか、ふつー不倫ならその女を疑わねぇか?)
桂花が笑顔満開だったと言うその李々とか言う女、そちらの方がはるかに柢王には気になる。今日の電話はたぶん李々からだ。それに桂花が恩のある人と言っていたのもその女のことではないのか。
その亭主の執着云々とかいう話も気にはなるが、女房と桂花がその仲のよさならむしろ、亭主の勝手なセクハラの方が信じられる。まあ愉快な話でもないが。
(にしても、まあ──)
柢王は考え込んでいる自分を睨むように見つめているアシュレイの顔を盗み見た。
きっと、桂花に出くわさないようにエレベーターを避けて階段を昇ってきたのに違いないのだ。息せき切って、真赤な顔で。
昔から、この勝気小僧は自分の大事なものにはなにひとつ惜しまない。全力で守ろうとするのだ。
その赤毛をなでまわしたいような気持ちになったが、そんなことをしたらよけいに怒るはず。柢王は微笑むと、落ち着いた声で言った。
「知らせに来てくれてありがとうな、アシュレイ。その話は俺から桂花に確かめてみるから──」
「まだあいつと関わる気かっ」
「いや、だって、もしかして万が一ひょっとして仮に桂花に男がいたとしても過去の話らしいし」
「でもあいつはそのせいで会社を辞めたんだぞっ!」
もう確定?
「ま、まあそういうことも俺から一度──」
「なんでだっ、男とつきあってたんだぞ、男とっ!」
だから確定? つか俺も男だし。言い出せない突っ込みが柢王の腹に蓄積する。その様子を逡巡と思ったのか、アシュレイは柢王の顔を睨みつけて叫んだ。
「ふしだらだそ、柢王っ! 俺はおまえがあんな奴にだまされるのなんか絶対に嫌だからなっ!」
というより騙して欲しいくらいだ。柢王は思ったが言わなかった。
もともとアシュレイは桂花を嫌っている。だが、パイロットとしての桂花のことは嫌々でも認めていたはずなのだ。
その相手がそんなふしだらな──ふしだらの使い方は違うと思うし、第一それはまだ仮想の話だが──ことをしていたというのが許せないのだろう。そして、柢王が桂花に関わって傷つく事も許せない。
アシュレイらしいと言えばこの上なくアシュレイらしい。嬉しくもあるし、その短絡とも言いたいような素直な激情が羨ましくもある。
たが、明日はフライトなのだ。
「わかった。とにかく知らせに来てくれて感謝する。このことは俺が何とかするから、おまえはもう休めよ。帰りだからってのんきにしてらんねーだろ。ゆっくり休んでベスト尽くさねーと機長の名が泣くぞ。気にかけてくれて嬉しいよ」
にっこり笑ってそう言うと、アシュレイはようやくああと頷いた。たぶん怒り疲れたのだ。ぐったりしている。
柢王は苦笑して、その肩を抱えると席を立たせた。引きずるようにドアまで連れて行き、優しく微笑んだ。
「ゆっくり眠れよ、アシュレイ。明日も頼むぜ」
アシュレイは何か言いたそうな顔で柢王を見たが、結局、ああとだけ答えると部屋を後にした。
残された柢王は、大きなため息をついてドアにもたれかかった──
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