投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「ああ、そうか、桂花の新機種の研修、来月だったんだよね」
と、ティアがうなずく。
テーブルの上にはひとしきりの料理が並び、皿が来るたび、無理やり食わされた赤毛機長はぐったりうな垂れている。
「──ティア…おまえなぁ……」
丸呑みしすぎてかすれた声で、ようやくそう訴えると、
「あ、アシュレイったら、口の周りにソースついてる、私が取ってあげようか!!」
と、瞳輝かせたオーナーはナプキンに手を伸ばす──のではなく、なぜかきれいな口元、舌を覗かせる。ぞっと、前髪逆立てた赤毛機長が、
「自分で拭くからいいっ!!」
叫んで、さっと服の袖で顔を拭きながら座ったままで半歩退いたのは、実にすばらしい防衛本能だ。と、ティアは驚いた顔で、
「ああ、もう服が汚れちゃうのに!」
あたかも赤毛君が悪いかのような言い草。
「柢王たちがいるからって、そんなに照れなくてもいいのに──」
と、うっとりした笑顔で頬染めるその瞳は盲目を通り越して妄目──ありもしないものまで見えているような感じだ。
言葉にならない訴えを宿したアシュレイの瞳が再び柢王をスルーして、桂花の方にちらり。と、そのSOSを受けたように
クールな機長が口を開いて、
「はい、来月の頭から十日の予定です」
答えた瞬間、テーブルの気圧が一気圧くらい下がったような気がしたのは、その隣で、老酒の杯一気に飲み干した男のせいか──
パイロット一人につき、飛べる機種は原則一種類──。
あまり知られていないことだが、研修と試験を重ねれば増えていく路線と違い、携わる機体の種類はそうそう変わることはない。
飛行機は3Dを飛ぶものだ。前の機種の癖でちょっとやったら車輪つけませんでした、などということは絶対にあってはならないから、機種が変わるときはそうとう時間の訓練と適性検査をこなすことになる。
ただ、桂花が今回行くのは、そうした実際の変更訓練ではなく、最新型機種のおひろめ研修のようなものだ。旅客機の進化は
日進月歩。最も新しい機種は戦闘機と同じスティック・ラダー、コンピューターも数段高度で乗客数も増える。かなり大きな様変わりだ。
だからこそ、その機体に先に乗るのはおそらく、叩き上げのベテランではなく、ハイテクで育った若手たち。何が起きても
なんとかできそうな腕と性格の持ち主でフライト経験もそこそこの、有能な若手。製造元メーカーが各国のパイロット相手に
行うその研修の天界航空のメンバーのなかに桂花が選ばれたのは、まあそういう理由だ。新古米はまだまだ、柢王でももう少し
フライト時間がいるだろう。
その研修はメーカーの本社で行われるから、桂花はもちろん泊りで外国。とはいえ、それは必要なものだし、いずれ新機種が
導入されればすべてのパイロットがもっと厳しい訓練を受けることになる。その手始めの一歩のようなものだ。
そのあたりのことは、むろん、柢王にもわかっているはずだし、お互いに乗客の命を預かる仕事をしているのだ、ふだんなら
そういうことに文句は言わないはずなのだが──
微笑んだ柢王はまっグレイの瞳をティアに向け、
「仕事だから仕方ないけど──でも、ほんっと、あれこれ押しつけてくれるよな、ティア?」
がくっとくるような急激な気圧変化とそれに伴う大親友の凍りそうな目つきに、今度はオーナーが、瞬間身震いして、
「なっ、なにかあったの、おまえたちっ?」
「別に──なんにもねぇよなぁ、桂花?」
「ええ、なにもありません、オーナー」
と、黒白機長はさらーっと答えるが、そのさらーっとした答えに乗ってなにかちりちりする気配が到来。ティアは思わず、
いやが…あれこれを忘れて瞳を瞬かせた。
(て、柢王、ものすごく機嫌が悪い、よな……?)
基本的に愛情深いし、与え上手の優しい男だが、柢王は根底の気質はかなりはっきりしている。大事なことは胸に秘めて、
笑顔で悟らせないところもあるこの男は、だからこそ自分の欲しいもの・大切なものは明確にわかっている男で、
(け、けどなんで? 柢王が桂花に対して機嫌が悪いなんて、初めて見るよな?)
クールな機長の顔はいつも通りだが、その桂花の顔を見る柢王の目の色を見たら原因は桂花意外にないはずだということぐらい、ティアにもわかる。
だが、一目惚れした挙句押しに押しまくってようやく手に入れた恋人を、柢王がそんな物騒な目で見る可能性があると言ったら……
(うーん、私ならヤキモチ、とかかなぁ?)
と、こんなときには自分を客観的に見られるオーナーは心でつぶやき、え?と首をかしげる。
いや、柢王が実はかなりのやきもち焼きであることは知っている。というより、かれが桂花とつきあいだしてからわかったことだ。
誰も、自分の心をかき乱さない相手のことで愚痴を言ったり、地団太踏むようなことはしない。それは、空の上にいるアシュレイのことを思う自分の気持ちを思えば──こんなときはすっきり理解するオーナーだが──十分に理解できる。
(私だって、アシュレイがCAたちと合コンしたらものすごく嫌だし──)
と心で続けるオーナーの理解の正否はさておいても、そう考えると説明がつく。とうより、他に理由が思いつかない。
(で、でも、なんでいまヤキモチ──?)
以前は誰にでも等しく無関心だった桂花は、柢王とつきあいだす頃から少しスタンスを変え、誰にでも同程度の関心は持つようになった。
その結果、遠巻きに憧れていたCAとかパイロットのなかにも露骨に桂花に対する好意を表す者もいるとは聞いているが──
(でも、桂花が一番関心あるのはやっぱり柢王だろう? だって、同居までしてるんだし。他に桂花が関心持つって言ったら……)
ありがたいことに、自分たち──と、心で続けたティアは、再び心でえっ?と叫び、
(──ということは、柢王がいま妬いてるのって、私かアシュレイ? でも、私が桂花に会うのは十日ぶりだし、ということは──…?)
「ええーっ! アシュレイーーーーーーーっ?!」
「なななっなんだ、ティア、どうしたっ!!」
いきなり叫ばれ、ティアが何か考え事しているらしいこの隙にちょっとちゃんとエビ食べようと箸をそろーっと伸ばしかけて
いたアシュレイが飛び上がる。
それに対して、
『ちょっといま柢王の嫉妬ルートを考えたら君にいきついたんだけど君桂花となにかありましたっっっっ???』
勢い込んで尋ねたかったティアは、しかし、
「いっ、いやっごっ、ごめんねっ、ちょっと君のフライトのこととか思い出してたらねっ!!」
わけのわからない説明しながら夢中で首を振る。
いや、本心は別のことを叫んでいるのだ。アシュレイと桂花の仲がひんやりしていたのはもう昔のことで、
(大体、君って、反感持ってた相手に限って、気を許すとすごく懐いちゃうんだしっ)
桂花に対するアシュレイの態度の変りようにはティアも少なからず気にかかることがあるのだが、
(ここでそんなこと言ったらよけいに柢王の機嫌が悪くなるっ!!)
当の桂花が冷静な顔でいるのに、自分が指摘なんかしたらどんなことになるのか──試してみる勇気は、ティアにはない。
だからつい話を逸らしてしまうと、アシュレイはホッとしたように息をついて、
「いきなりびっくりさせるなよ。仕事のことなんかいま考えても仕方ないだろ。ほら、食え、うまいぞ、エビチリ」
と、来たばかりの熱々エビチリを皿に入れて渡してくれる。
目の前の気圧異常に気づかないどころか、自分がさっきまでしかけていた恋人ごっこのことすら忘れたようなその態度に、
ホッとする反面、ちょっとむっとしたティアはわざと上目遣いで尋ねた。
「食べさせてくれないの?」
瞬間、ボッ、と音がしてアシュレイの顔が真っ赤になり、
「自分で食えるだろーーーっ!!」
叫んだアシュレイの顔を、桂花がかすかにおもしろそうに見る。
瞬間、気圧がぐんと下がった。周囲の客が酸素マスクを求めるような顔でこちらを見る。が、桂花の笑みを垣間見てしまった
ティアのなかにも、なにかメラッッとした青い炎が燃え上がる。嫉妬とは実に感染力の強い病だ。
「まあまあ、アシュレイ、たまにはティアもいたわってやんねぇと。だよな、ティア?」
と、笑顔で老酒あおる柢王の底響きする声に、それが好意なのか牽制なのかはさておき、ティアも毅然とうなずいて、
「そうだよ、アシュレイ! 君は中華のお箸がなんで長いのか知ってる? それはね、儒教の精神を食卓にももたらせようという
試みなんだよ。天国と地獄には同じとても長いお箸がある。そのお箸で自分の口に食べ物を入れようとすると長さが邪魔になって
食べられない。だから自分のことだけ考える地獄の亡者はいつも空腹を抱えている。でも、天国ではみんながその長さを活かして
向かいの人の口に食べ物を入れてあげる。だからみんないつもおなかいっぱい食べることができるんだ。だから中華では人に
食べさせてあげるのが正しいんだよ」
と即席のでたらめをさも真理のように言い放った。
アシュレイが目を見張る。
「そっ、そんなの初耳だぞ、本当か、ティア?」
私の願望で脚色はしてあるけど。オーナーは心でだけつけ加えてうなずいた。博識にかけてはティアを信頼しているアシュレイは
とまどったような顔をしたが、つっこむ時につっこむ男が老酒あおって、つっこまないので仕方なし、
「エ、エビチリだけだからな……」
そっと、箸にオレンジ色のエビを掴んで半信半疑、差し出すと、ティアは恥ずかしげもなくパクっと食いつき、
「うん、おいしいっ、アシュレイ!」
さっと、蓮華に八宝菜掬って、
「じゃ、今度は君ね。あーんしてっ!」
「もっ、もういいだろ、ティアっ!」
「だめだよ、君はしてくれなくても、私は功徳を積むんだから。はいっ!」
瞬時に柢王の嫉妬のことなどけろりと忘れ、ハートマーク飛ばして赤毛機長に迫るオーナーの姿に、周囲の客たちは津波の
前の海のような引き潮になる。
「──あれが功徳なら俺なんか毎日積みたいくらいだな」
と、親友たちの姿を眺めながら、柢王が皮肉っぽい笑みで桂花にささやく。と、クールな機長は肩をすくめて、
「箸が長くて向かいにしか届かないなら、円卓である必要はないですね」
柢王が注ぎ足した老酒の杯を少し離れた場所におく。柢王はそれに軽く顎を反らして杯を空け、
「それ以前にあれは儒教じゃなくて仏教の話だろ。そもそもアシュレイ仏教徒じゃねえしさ。つか、ふつうは信じねぇだろ、
あんな話」
と、クールな美人は柢王の顔をまっすぐに見つめ、
「吾は、かわいいと思いますけれどね──」
紫の瞳が照明にきらめいて、その瞬間、原子炉のような熱量の湧き起こった円卓に、周囲の客は今度は押し寄せる津波のごとく注目だ。
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