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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.241 (2008/11/18 04:08) title:ひつじのうた
Name:モリヤマ (220.239.150.220.ap.gmo-access.jp)

  唸るような奇妙な声音の旋律が、風にのって夕暮れ近い草原を渡る。
 
 バヤンが桂花のゲルを訪れたのは、夏も終わりのことだった。
 部下数名を供として連れてきたのは理解できるが、やっと一人で馬に乗れるようになったからとはしゃいで話す子供も一緒で、しかも所用を済ませてくる数刻の間、その子供を預かってほしいと頼まれた。
 カイシャンのために、わざわざ用事を作ったのだろうと思ったが、桂花は分かりましたとだけ告げた。
 
 その奇妙な歌が聞こえ出しのは、着いた早々に発つバヤンを見送る最中のことだった。
 
 バヤンが完全に見えなくなってから、カイシャンはあたりを見回した。どうやら声の主は、少し離れたところで粗末な椅子に腰掛ける老婆のようだ。その周りには羊の群れが見える。
 しばらくその様子を見つめていたカイシャンだったが、やがて隣に立つ桂花に問いかけた。
「あれは…なんだ?」
「あれ…ですか」
 問われた意味が分からず、こちらを見向きもしない子供の目線を追った桂花は、その意味に気づき得心した。
「なんだか不思議な歌だな。まるで羊たちに聞かせてるみたいだ」
「おっしゃるとおり、あれは羊に聞かせるために歌ってるんですよ」
「羊に…?」
 そう見えはしたが、本当にそう思って口にしたことではなかったので、意外な答えにカイシャンは桂花に向き直り、目を見開いてそう言った。
「あの歌は、雌の羊が他の子羊に乳をやるように仕向ける歌だそうですから」
「他の仔に? どうしてだ?」
 桂花の答えに、問うた子供は要領を得ない様子で訊き返す。
「…吾の言い方が悪かったようですね。他の仔、というのは、母親のいない子羊のことです。母親のいない子羊は、乳を飲むことができなければ飢えて死ぬしかありません。でも、他の母羊が乳を分け与えてくれれば、子羊は生き延びることができるでしょう?」
「……うん」
「家畜が死ぬことは草原に住むものたちにとっては大問題です。だから遊牧民の間には、ああいう歌が代々歌い継がれているんだそうですよ」
「それ、本当の話か…?」
 まっ黒な瞳が『だまされないぞ』と言ってるようで、桂花の口元がほころぶ。
「吾も初めて聞いたときには信じられませんでした。でも、本当に、雌の羊にあの歌を聞かせると、不思議と他の仔にも乳を飲ませてやるようになるんですよ」
 そう言われて羊たちのほうに目をやれば、かの歌を歌う老婆の近くで、それまで乳をねだろうとする子羊を嫌がり暴れていた一匹の羊が、徐々に大人しくなり子羊に乳を飲ませだした。
「本当の親子じゃないのか?」
「ええ」
 事の成り行きを見ながら、桂花はそう答える。
「羊だけか?」
「いいえ。牛や駱駝や山羊の歌などもあって、それぞれに違う歌なのだとか」
「すごいな」
「ええ、本当に」
「人間には、ないのか…?」
「人には、こうやって思いを伝え合う術がありますから」
 子供の問いに、言外に人には必要ないことだろうことを伝える。
「歌がなくとも、口で言って頼めば、たいていの母親は嫌がらずに引き受けてくれるのでは?」
「いやがらずに…」
 つぶやくように紡がれた小さな声に、桂花は自分の迂闊さを呪った。
 他の子どころか、実の子であるカイシャンへのダギ妃の仕打ちに、今更ながら胸がきしむ。
「人間にも、あればいいのにな……」
「……カイシャン様」
 柢王ではない人の子に、深くかかわるつもりも情を注ぐつもりもない。
 それでも、いまこの子供の心を占めているだろう実の母への思慕を思えば、思い切り抱きしめてやりたい衝動にかられる。
「俺、馬に乗ってくる」
「お待ち下さい。すぐにバヤン殿も戻りますから、遠乗りならそのあとで……カイシャン様!」
 言うが早いか、カイシャンは柵に繋いであった馬に声をかけ手綱を取ると、勢いよくまたがり駆けて行った。すぐに供の者が後を追う姿が桂花の目に映り、カイシャンへと伸ばした指先を握りこむ。
(……抱いて、あやして、そんなのはただの自己満足だ)
 一時の哀情は、誰の為にもならない、なにも…救ってはくれない。
 ましてや、あの子が求めているのは、母親の『代わり』ではなく、『母』自身なのだ。
(吾があなたを…今でもあなた自身を求めているように……)
 ……過去も未来も、自分が辿ることを決めた道が決して正しいばかりだとは思っていない。
 手探りで進む道。真っ暗で怖くて…孤独に慣れた頃、手を引いてくれる誰かが現れて、ともに歩こうとした途端…いつも置いていかれた。そのたび、どうすればいいのか分からなくなった。分からないまま、その影を追って……。
 指針となる誰かがいれば、支えとなる誰かがいれば、ぶれずにまっすぐ進めただろうか。
「……最近の吾は迷ってばかり、分からないことばかりだよ、柢王」
 でも今ひとつだけ今の自分にも分かることがあった。
 あの子に必要なのは、母の代わりではないということ。
 あの子の心を癒したいなら、母の代わりでは駄目だということ。
 母以上の存在でなければ、母以上の想いでなければ、あの子を抱いてやってはいけない。迷いのある自分では、カイシャン以外のものに心を砕く自分では、駄目なのだ。
 なにより自分は、本来カイシャンのそばに在ってはならない存在なのだから……。
 
 夕焼けに染まりだした草原に、風がそよぎ青草がオレンジ色に光る。
 カイシャンを乗せた馬が駆けた後の土埃を見ながら、拳に力をこめて握り締める。
(吾は、ここに在ってはならないもの……)
 いまだ自分を引きとめ戒める術があることに、桂花は少し安堵していた。
 
 
(終)


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