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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.166 (2007/12/13 14:34) title:PECULIAR WING 10 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

UNKNOWN

 ビィーッ、ビィーッ、ビィーッ! と、鋭い音が辺りに響き渡った。
 ハッと顔を上げたアシュレイたちの耳に、敷地のあちこちにあるスピーカーから緊迫した声が届く。
『スクランブル! スクランブル! 洋上チェック・ポイント・ビクトリーにアンノウン2機! 高度1万フィート、防空エリアに向け
南下中! スクランブル要員は直ちに配置につけ!』
 激しく点滅する赤い警告灯。軍の人たちがいっせいに無線を取り囲み、
「コントロール! 演習中止だ! ドルフィンを降ろせ!」
「第二ラジオをアラートに合わせろ!」
『コントロール! アルファ・フライト、緊急発進発生! ヘディング0、2500に下降し指示を待て!』
『アルファ・フライト、ラジャー! ヘディング0、2500!』
 ラジャーと、初めてチームの声が重なったと思う間に、戯れていたイルカたちはダイヤモンドにピシリと編隊を組んで、リーダーの機を
先頭に翼を揃え、一直線北へと向って飛んでいく。そして、
『アラート! コントロール、320、366、エンジンスタートします』
 聞きなれない声がもうひとつの無線からそう言ったと思うと、耳を劈くようなすさまじい音が響き渡った。アイドリングの機体の揺れを
そのまま表わすようなその地鳴りさながらの轟音に混じって、
『機体を廻せ!』『パイロット、スタンバイОK!』『油圧チェック!』
 大勢の人が口々に叫ぶ声が聴き取れる。
 アシュレイはそのさまにあぜんと息を飲む。
 自分の機ならともかく、軍でエマージェンシーを体験するなんて予想もしていない。ついいましがた、聞いた話を実感するような出来事に、
心拍数がどんどん上がっていく。が、スクランブルに対応している人の邪魔をしてはならないのはルール以前の話だ。とっさに掴んでいた
手首から、視線をティアの顔に向けると、そのとまどうようなまなざしに小さくうなずいて、手を引っ張った。
 ともかくジープの側を離れよう。そう思ったのはアシュレイだけではないらしく、柢王も桂花の背を押してこちらへ来るし、
緊張顔の空也とスタッフも同じく。
 辺りには、ドドドドド……と、天地を揺るがすような音が轟いている。無線からだけにしてはあまりに近くて大きい。知らず輪になった
天界航空一同はそれぞれに緊迫顔を見交わしたものの、会話するのも絶叫を要するエンジン音にただ辺りの動きを見守るだけだ──。
 どの国にも、ここからが自分の国だという空の領域があり、そのギリギリが防空エリアと呼ばれている。が、現実にはそのかなり手前の
空域にそれぞれチェック・ポイントと呼ばれる場所があり、正体不明の機体がそこに近づけば必ずレーダーで捕縛される仕組みになっている。
 旅客機はかならず事前にフライト・プランを官制に出すし、原則その通りに飛ぶのが基本だが、それほどの高度を飛ばない、ごく私的な
飛行機だったりすると、プランを出さずに飛ぶこともないではない。そのこと自体は違法ではないのだが、そうした機体は関係者から
『存在していない機体』だとみなされるから、迷子になっても墜落しても誰も探してくれないし助けてもくれない。
 『UNKNOWN』──国籍不明機、と呼ばれるのはそういう機のことも多い。が、敵国機が認識信号を出さずに飛んでも同じだから、
迎える国はともかく偵察機を出す。それが先程の指令『V地点に国籍不明機、スタンバイ要員は配置につけ』だ。
 それは無線が命綱のパイロットなら誰でも聴き取る程度のことで、事実、アシュレイもサイレンの中でも聴き取れた。が、非常事態に
慣れていない──というより、その手元に来た時には大事件になっているしかないティアは不安そうにきれいな顔を曇らせている。
アシュレイは、思わず強くその手首を掴んだ。こちらを見たティアの瞳に小さく頷く。と、ティアも頷き返してくる。
 エンジン音が次第に高く鋭くなり、軍の人たちの無線を囲んで話しているその声すら聞き取れなくなる。と、滑走路のちょうど真向かいにある
鈍色の屋根の格納庫のシャッターが開くのが見えた。そこからは黒く塗装された鋭い機首の戦闘機がゆっくりと姿を現してくる。
とたんに切り裂くようなエンジン音が響き渡る。思わず天界航空一同は耳を塞いだ。
 高く光るコクピットにはすでに完全装備のパイロットの姿。ごく短いタクシー・ウェイを滑走路へ出てくる機体の周囲には黒いツナギに
イヤホン姿の整備員が駆け足している。黒いグローブを嵌めたパイロットの手がかれらに向って合図を繰り返す。エンジンの音が一際甲高く轟き、
尖った機首の前方にいた離陸スタッフが鋭くその手のフラッグを振った。
 と、機体の後方のバーナーが赤く光り、機体が加速していく。ギィーーーンと鋭い音を立てて黒光る滑走路を過ぎ、視界の端で、
ドオーン! と、火を吹いたと思うと真っ直ぐに上昇する。その後から続いて二機目も発進し、すぐにふたつの機体は翼を揃え、
白い筋を残して、一直線に雲の彼方に消えて行った。その後には地鳴りのような音が響いて、天界航空一同は再び身をすくめた。
 それが遠雷の響きくらいに遠ざかるまで、息をつめてその場に立ち尽くして──
「……さすがに速いですね」
 最初に耳から手を外して言ったのは桂花で、同じく、柢王もやれやれとばかりの顔で、
「ったく、マジでありえねぇよな。何分だ? 五分もかかってねえぞ、いまの離陸まで」
 呆れたように首を振る。
「ね、いまの領空侵犯じゃないよね」
 ティアが声をひそめて尋ねた。辺りにはようやく静けさが戻り、ジープのところからの声も聞こえる。と、柢王が笑みを見せて、
「まだだろ。あの勢いで行ったら絶対入る前に駆けつける。つかさ、俺らだって国境際でちょっと風避けてさ、寄り過ぎたかなぁって
思ったとたんに『どこへ行く!』だもん。ほんっと、ガラスばりみたいなもんだって、最近の空はさ」
 ごく軽やかな口調で言ってのける。
 実際にはそれ以上の可能性もあるとわかっているはずだが、かれの大事なものの優先順位は明確。自分でどうするでもないトラブルより
身内の安心の方が大事。事実、その言葉に、ほっとしたように肩の力を抜いたティアは、アシュレイと目が合うと恥ずかしそうに笑って、
「驚いたよ。理屈でわかっていても経験するのは違うもんねぇ」
 その言葉にアシュレイはどきりとした。先刻の隊長の言葉が頭をよぎる。
 と、その隊長が一同のもとにやって来た。変わらぬ落ちついた声で、
「皆さん、驚かせてしまって申し訳ありませんでした。残念ながら本日の演習は中止になりました。皆さんにはわざわざお越し頂いたのに
誠に申し訳ないと思います」
 謝るのに、ティアが代表して、いいえと首を振る。礼儀正しく穏やかな笑みを見せて、
「とてもすばらしいフライトを見せていただきました。本来、無理なことを通してくださったことをありがたく思います」
 答えるのに、隊長も微笑んで、
「そう言って頂けたことをありがたく思います。いま迎えのジープが来ますから、司令塔までお送りしましょう」
 言ったところへ、通信していた制服将校が、鋭い声で、隊長、と呼んだ。思わず、天界航空一同様もその後に続く。と、将校は
こちらには全く構わず、隊長に向って、
「一万フィートは現在、強いタービュランスだそうです。偵察機はターゲットの側面からアプローチしますが、かち合う辺りが最も
危険と推測されます」
「ターゲットの進路は?」
「ターゲットは進路を変更していません。約1M、旅客機ではありません」
「なら、コントロールの指示に従わせろ。後は現場で判断するしかない。それと、アラートに680はあるか」
 アシュレイは目を見張る。
「第4ハンガーに格納されています」
「スタンバイさせろ」
「了解しました。──パイロットも、ですか」
「パイロットも、だ」
「……ちょっ・・…・」
 アシュレイは思わず口を挟んだ。
「あいつが飛ぶんですか」
 叫んだのに、隊長はこともなげに、
「非常事態ですので。戻ればまた営倉に入れます」
「でっ、でもいま上空は乱気流だって──」
 タービュランスは上昇気流と下降気流がぶつかりあう激しい気流の流れで、空の上では最も危険な風のひとつだ。下手にぶつかると
旅客機でも操縦不能になるほど強いこともあり、縦横斜めどこからでも襲って来るので予測しにくい。
 そんな空に、と思わず言ってしまったアシュレイに、隊長はごく落ちついた顔で、
「だからですよ、機長。氷暉なら無事に戻るとは言えませんが、他のパイロットよりはうまく飛ぶでしょう。営倉にいるパイロットを
飛ばせるだけの理由にはなると思います」
 その言葉に、アシュレイは素手で心臓を掴まれたような気持ちになる。
「墜落、するかもしれなくても……ですか──」
 尋ねると、相手はやはり鋼鉄の穏やかさで、
「相手機が乱気流で引き返すなり落ちるなりしてくれればいいと、願って待っているわけには行きませんからね」
「──……」
 そこへジープが一台やって来る。隊長が、ああと笑みを浮かべ、一同に言った。
「迎えがきたようです」
「俺はここにいます!」
 アシュレイは叫んだ。えっ、と一同が驚く。
「あいつが飛ぶなら降りて来るまで俺はここにいます!」
「アシュレイ! 何を言ってるの、君!」
 驚いた顔のティアに、アシュレイは瞳を向け、
「俺はあいつには貸しがあるから──あいつがちゃんと…また、バックレないで降りて来るまで、俺はここで待つから。だから
おまえたちは先に──」
「なに、あいつって誰のこと?」
 と、航務課スタッフが、ティアに何事か囁いた。ティアが目を見張る。後ろにいた空也も柢王たちに事情を説明したらしい。ティアが
まじまじとアシュレイの顔を見る。そして、
「それなら、私もここに残る」
「えっ?」
「言っておくけど、これは命令だからね、アシュレイ。君ひとり残るなんて認めない。私たちと行くか、一緒に残るかしかないよ」
 敢然と、言い切るティアに、アシュレイは瞳を瞬かせた。と、
「おまえら、ここ自分ちじゃねぇってわかってんのか」
 柢王の呆れたような声に、ハッとふたりは顔を見合わせた。赤面し、アシュレイが慌てて隊長に視線を戻すと、隊長はなにか面白がるような
目をしてそのさまを見ていた。そして、
「お招きした理由は、ファイターがどのようなものか見て頂くためでしたね。──いいでしょう」
「ほ、本当ですかっ」
「ただし、ここでは長時間の待機には向きません。680が離陸したら官制塔へ向っていただきます」
 えっ、と天界航空一同はふたたび驚く。
「なぁ、これって親切って域だと思う?」
 柢王が桂花の耳に囁く。その苦笑いに近いまなざしが、みんなの疑問を代弁している。
 が、ともあれアシュレイはホッとした。隊長の思惑などいまはどうでもいい。危険な空を飛ぶとわかっている相手が無事に降りて
来るまで見届けられるなら──
 と、そこへ通信係が告げた。
「隊長、680スタンバイができました──」


No.165 (2007/12/08 23:32) title:宝石旋律 〜嵐の雫〜(17)
Name:花稀藍生 (p1068-dng31awa.osaka.ocn.ne.jp)


 ―――――突然だった。

 己の中に押し寄せてきた力の奔流に、氷暉は全身を硬直させていた。
 耳を聾する水の音。地を削り、巨岩を押し流し、全てを粉砕しながら―――氷暉の思考を
ぐずぐずに押し潰しながら流れてゆく 激流――――――
 力を通すための管の役割として配置された時から、ある程度の覚悟はしていたつもりだっ
たが、氷暉は己の認識の甘さを呪った。 ―――圧倒的な力だった。 氷暉の中に流れ込み、
あふれ、奔流となり、全てを押し流してゆく。 息すら継げない。 そこには慈悲も許容も
ない。
 氷暉の腕の中の水城は、黒い水が流れ込んできた瞬間に気を失った。 意識を空にした方
が力を流しやすい。女というのは本能的に賢くできている。 ・・・氷暉はなまじ意識がある
だけに、 激流のただ中に立つの木のように、 自我を保とうと耐える苦難を強いられてい
る。
(・・・だが、今さら意識を手放したところで、ただ押し流されてしまうだけだろう。)
 そうなれば、次に目覚めた時に自分は自分で在ることができるのか。
 氷暉は恐ろしかった。 それゆえに耐え抜くしかなかった。
 腕の中にある妹のかすかな体温だけが、氷暉をつなぎ止める全てだった。

 瞳を見開いたままの氷暉の目前を―――映し出される魔刻谷の深紅の光景と、境界の光景
のさらにその向こう ―――ありとあらゆる光景が 泡沫(うたかた)のように現れては消
えてゆく―――・・・
 見知らぬ男の顔 女の顔
 笑う顔 怒る顔 泣き顔 
 若い者 老いたる者
 見知らぬ風景 聞き慣れぬ言葉 どこか懐かしい異形の神々
 笑い声 雨上がりの匂い 音楽 土の匂い 剣戟 祈りの声 花の香り 睦言 
(―――これは黒い水に溶け込んだ記憶か)
 その思考すら、引きちぎるように押し流される。
 自我を保つので精一杯だった。
 いや、そもそもこれを見ているのは自分であるのか。
 ――――― これは誰の思考であり 記憶であるのか。
 弦をつま弾くこの指は 剣を握るこの手は 赤子を抱くこの腕は 肩に食い込む天秤棒
の重さは 背で冷たくなった老母の軽さは 床を踏みならす絹の靴を履いたこの足は
 ――――― これは誰の肉体であり 感覚であるのか。
 氷暉は魔刻谷の底にいながら ありとあらゆる過去の場所を見、黒い水に溶け込む全ての
思考と感覚を共有していた。 
「・・・・・ッ!!!」
 ―――ふいに氷暉の眼前から、泡沫の記憶の光景が消え失せ、天界の境界の光景だけが
はっきりと映し出される。 水の流れは止まらない。 氷暉の見ている光景は水の流れであ
り、 水の映し出す光景であり 、氷暉の意識は水の流れと同化し、氷暉は意識は水の流れ
のひとしずくでありながら、水の流れ全体の動きを認識していた。―――そしてそれらは 
その流れは 目指す場所へと たどり着く―――――
 ―――――――― 一つの流れとなって、結界へと流れ込む ――――――――
 たちまちのうちに天界の地に染み込んだ黒い流れは、その地に散らばる、かすかな妖気を
放つ小さな小さなカケラを探り当てた。
 ―――水の流れは止まらない。
 氷暉は境界の光景を見、小さなカケラに力を注ぎ込みながら――― 一つの小さな流れが、
奔流から弾き出されるようにして別の場所に向かうのを、同時に見ていた。
 森の上空を飛び―――広い庭―――高い建造物の―――バルコニーの―――開かれた窓
の―――(不思議なことに 窓の向こうの光景は、輪郭の全てが曖昧に見える)―――白い
服 白い髪の―――――(これだけははっきりと見える)紫色の瞳が 驚いたように こち
らを向いた。 
  
   
 ―――――最初に聞こえたのは水音だった。
 波立ちながら押し寄せてくる水の音。
 それもあり得ない方向から。
 バルコニーの方角から。
「・・・・・ッ?!」
 バルコニーを振り向いた桂花は、森を越え庭を飛び一直線に地上よりはるか高みにある執
務室に流れ込んでくる一筋の水の流れを―――見たような気がした。
 それは鳴り響く水音による錯覚だったのかもしれない。
 しかし桂花は、周囲の景色を歪ませ水の流れにそって泳ぐ水蛇のようにゆらぎながら、バ
ルコニーを越え、執務室に流れ込んできた、それを確かに見た。
 ―――そして それは 一瞬にして桂花を押し包んだ。
(―――――・・・!!!)
 息をつぐ事すら出来なかった。
 桂花を押し包み、流れ込んでくる 圧倒的な 力―――
 人の声 水音 咆哮 水音 歓声 水音 呪詛 水音 神楽 水音 
 個は全であり 全は個であった。
 桂花は それを見た。 氷暉が見ている同じものを 見た。
 訳が分からぬまま 己が何を見ているのか解らぬまま それを見た。
 ――――― おしよせる みちる あふれる ――――――――
 ・・・ ――― ・・・ 人人人 魔魔魔 。 人界 魔界 それらすべてが―――――桂花の
中に、凄まじい勢いで、流れ込んでくる―――――――!
(喰われる―――!)
 思考を浸食される。
 感覚を浸食される。
 それは 己を生きながらにして喰われてゆくに等しかった。
 声をたてる事も出来ず 立ちつくしたまま ―――その おそろしさ おぞましさ
(やめろ!)
 桂花が恐怖を感じ、渾身の力で目をきつく閉じて耳を塞いだその時、突然それは桂花を解
き放ったのであった。いや、解き放ったのではなく、弾くように飛び離れたような―――
「・・・ッ!」
 呪縛が解けた瞬間、桂花は膝をついていた。 空気が喉の奥に流れ込んできた。 
 冷たい汗が背中をつたうのがわかる。立ち上がろうにも体が震えて止まらない。
「桂花!」
 守天が隣で自分の名を呼んでいる。肩を掴んだ手が温かい。己の名を呼ぶその声と肩から
伝わるその温かさが、桂花の恐怖をわずかに和らげた。
 ・・・恐怖が和らげられる事により、思考が戻ってきた。
 流れ去る光景の中でかいま見えた――――
(・・・あれは、境界の)
 柢王がいた。 南の太子がいた。 そして地中に散らばる小さなカケラが――――
(・・・なぜ、あんな光景が・・?)
 わからない。わからなかった。
「・・・守天殿、・・遠見鏡を・・!」
 境界にいる、彼らの無事な姿さえ確認できれば、この恐ろしさは消えるのだろうか。
「遠見鏡?――――あっ?!」
 境界の光景が映しだされた遠見鏡を振り返った守天が、小さく鋭い驚きの声を立てた。
肩を支える手に力がこもる。
 桂花はのろのろと顔を上げ、遠見鏡を見た。そして力尽きたかのように瞳を閉じた。
(―――いいや、消えたりなどしない。)
 何一つわからない。それがおそろしいのだから。
  
    
 そして境界。
「―――馬鹿野郎! 半分は俺と遊べ!」
 青い細い稲妻が柢王の両手から放たれた。長く綱のように一直線に伸びた稲妻は、巨虫の
体に触れた瞬間そこから木の根のように細かく分裂し、動きを封じるべく二頭の巨虫に絡み
つく。
 たちまちのうちに全身に絡んだ稲妻により動きを封じられた巨虫は、柢王の引く腕の力に
よって、地響きを立てて横倒しになった。
「・・・さすがに、重いな」
 巨虫二頭を引き倒した柢王が、腕に青白い稲妻を鎖のように絡みつかせたまま息をついた。
 霊力しだいでどのような力業も出来るとは言え、さすがにきつい。
柢王が咳き込んだ。
(ちくしょう!この空気!)
 空気が重い。 熱があるせいもあるが、この空気を吸い続けていると、体まで重くなって
くるような気がする。
 土埃の立ち上がるその向こうで軽々と宙に舞うアシュレイをちらっと見上げた。
(何であいつは 平気なんだ?)
 水音は、まだ続いている。
 柢王はかすかな額の痛みに顔をしかめ、手を額にやろうとした。その時。
 ―――突然、水音が激しくなったような気がした。
 いきなり巨虫が動き出した。腕を引かれ、体ごと前に引きずられた。
「・・・・っ!」
 柢王は体勢を立て直し、霊力を両腕にこめてさらに引こうとした ―――その腕その体を
さらに引かれる。
 両肩に引き抜かれるような衝撃が走った。
 柢王は顔に叩き付けるような風圧を感じた。
 青白い細い稲妻の縛鎖を全身に絡みつかせたまま、二頭の巨虫は身をくねらせながら地を
這うように泳ぎだしていた。
 それは、腕に稲妻を絡みつかせたままの柢王もろとも、すでに二頭相手に闘っているアシ
ュレイ目指して一直線に突き進んでいる。
「・・・この・・・っ!」
 ブーツの踵が地を削って砂埃を上げる。
 巨虫二頭に引きずられながら柢王は上空を見上げた。 炎を身にまとい、躍り上がる二頭
の巨虫の連携攻撃を流れるようにかわしながら斬妖槍をふるうアシュレイの姿が見えた。
 アシュレイは強い。3頭ならば、身が軽く勘のいいアシュレイなら凌ぐだろう。
 ―――しかし、4頭もの連携攻撃は、いくらアシュレイでも凌ぎきれるとは言い切れなか
った。
「・・・・・ッ!!」
 アシュレイに負担をかけるのも足手まといになるのも論外だ。 何よりも己自身の武将と
しての矜持がそれを許さない。
 何としてでも この二頭はここで止めなければならなかった。
 柢王は両腕に力を込めた。引きずられてゆく体勢のまま、片足を上げて思いきり打ちつけ、
地面にかかとをめり込ませて体を一瞬固定した。 
 両腕に凄まじい負荷がかかった。 巨虫二頭分の重みとスピードをほとんど両腕のみで支
えるのだ。耐えきれず両腕の筋繊維のあちこちが引きちぎれる音がした。 脳天にまで来る
激痛に柢王は歯を食いしばった。 痛い。だがまだ動く。 構わずさらに腕に力を込めると
渾身の力で柢王は腕を後ろに引いた。
 両腕に絡んだ稲妻が負荷に耐えきれずに腕に食い込み、血をしぶかせる。 骨が軋む感触
があった―――そしてそれらの感覚が一瞬にして消え失せた。
 腕にかかる全ての負荷が消え失せた瞬間、頭上が暗くなった。 顔を上げた柢王の前方に
直立する二本の巨大な塔があった。それが柢王に向かって倒れかかってきている―――
 それが二頭の巨虫だということに柢王はようやく気づいた。
 あまりにも巨大だったため、認識が追いつかなかったのだ。
 急激に後ろから引かれた力によって 力の拮抗に負けた巨虫達がもんどりうってのたう
ちながら 柢王の両側に地響きを上げて地に倒れた。
 暴れる巨虫に稲妻をさらに絡ませ、二度と動き出さないよう地に縫いつけながらさらに締
め上げる。
「・・王族をナメてんじゃねえぞ!」
 さすがに息の上がった柢王がそう言い放ったその時。
 背後の瓦礫が轟音を上げて跳ね上がった。
 振り向く間もなく黒光りする長大なモノが身をくねらせて飛び出てきたのは次の瞬間だ
った。


No.164 (2007/12/06 14:37) title:氷砂糖
Name: (j023102.ppp.dion.ne.jp)

 浴室で、髪を洗おうとしていたアシュレイが体をのりだして鏡をのぞきこむ。
 頬にすり傷があることに、今はじめて気がついた。
「・・・しみるまで全然、気づかなかった」
 その呑気な言いように氷暉が笑う。
《どこもかしこも敏感だ、なんて恋人に言われてるくせにな》
「う、うるさい!これくらいのかすり傷、いちいち気にするようなヤワじゃないんだっ」
 私生活のほとんどが筒抜け状態のまいにちなのだ、わめきたくもなる。
 氷暉のからかいに腹を立てたアシュレイがガシガシ髪を洗っていると、そんな洗い方ではダメだとまたしても口を挟んでくる。
「いちいち細けーこと言うな。武将の価値が髪で決まる訳じゃねぇだろ」
 キッと鏡の中の自分をにらむといつの間にか、すり傷が消えていた。
「あ・・・サンキュ」
 怒っていたかと思えば素直に礼を言う。その単純さが愉快だ、飽きない。
《お前はもう少し自分の体を丁重に扱え》
「自分の体をどう扱おうと勝手だろ」
 髪にまだ泡が残っているというのにタオルを取ろうとするアシュレイにため息をついて、氷暉は浴槽の湯を彼に放った。
「なんだよっ」
《まだ泡が残ってる》
「お前〜・・・髪に泡が残ってるくらい―――」
《お前の体は俺のものでもある・・・・・本来の体はもう無いからな》
 氷暉の声がいくぶん暗くなった気がしてアシュレイは言葉に詰まってしまう。
《自分がどんな体つきでどんな顔だったのかさえも、思い出せなくなる時が来るかもしれん》
「・・・氷暉・・・・・、お前ってあんがい記憶力ないんだなっ」
 からかい口調ではあったが、アシュレイの本心など手にとるように分かってしまう氷暉のこと。そんな誤魔化しは通用しない。
(すぐ騙される)
 たまに、こうして共生相手の心に揺さぶりをかけておく。アシュレイの性格を見切っている氷暉は、自分の存在を主張する術を熟知していた。
 反対に、氷暉の本心を読むことができないアシュレイはすっかり反省モードとなり、その後かつてないほど丁寧に髪を洗い流したのだった。

《――――なんの真似だ?》
 小振りのキャビネットの上に、見覚えのある姿がフォトフレームに収まっている。
「こ・・・これは、俺の共生相手がどんな奴だったか忘れないように描かせたものだ」
(また、意味のないうそを・・・・しかしいつの間に?)
・・・・・そういえば数日前、一時的に記憶がとんでいた日があった・・・・どうせまた守天とよろしくやっていたのだろうと思っていたが、どうやらそういうわけではなかったようだ。
《なんだ、お前も人のことを言えない脳ミソだと認めたのか、感心だな・・・・俺はもっと品のある顔だったと思うが》
「そーかぁ?人相のわるさを的確に捉えた最高傑作じゃん。今探してる極悪魔族だって言って、描かせたんだ」
 言いながら姿絵を手にとるアシュレイ。
《・・極悪・・・・。まぁ、その仕上がりなら許容範囲だが・・・・ここに置いておくのは問題じゃないか?》
「なんでだよ?俺が使ってる部屋になにを置こうが文句を言われる筋合いはないぜ。それともお前がいやなのか?」
《俺はかまわないが、こんなものバレたらお前また―――――》
 いきなり黙り込んだ氷暉にアシュレイが問いかけようとすると、ノック音と共に返事を待たずドアが開いた。
 ここでそんなことをできる人物は一人しかいない。そう、ティアだ。
「アシュレイ、いる?君の好きなお菓子が――――・・・・・」
 後ろ手でドアを閉めた恋人が一瞬で不機嫌になったことは、アシュレイにもわかった。
 部屋の温度がいっきに下がった気がしてアシュレイはブルッと体をふるわせる。
「――――――なんなの、それ」
 ティアの冷たい視線が自分の胸元に刺さっている。
 つられて視線をうつすと、うでの中に氷暉の姿絵が。
「ア!」
 ようやく氷暉の言いかけた言葉を理解したアシュレイだったが、後の祭りだ。
 頭に血がのぼった恋人に組み敷かれて必死に言い訳を並べている武将をジッと見下ろす氷暉。
《バカな奴・・・・》
 他人が自分のためを思い、何かをしてくれるということ――――そんなことは、アシュレイに出会うまで・・・今の今まで経験がなかった。
 この気持ちをどう表現すれば良いのか氷暉には分からない。分からないが、下にいる守天と交代したい気分だ。
 自分が存在できないはずの天界で生活をしたり、共生した体で同族と戦ったり、本当に全てが新鮮なことばかりで。
魔族の敵=たいくつ。
好物=刺激。
この砂糖のような武将といると、そのどちらもが適度に満たされる。

守天に放り出されたフレームの中の自分が、心なしか笑みを浮かべているように氷暉には見えた。


No.163 (2007/12/01 12:29) title:PECULIAR WING 9 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

THE REASON TO FLY

『リンギング・イット・オン!』
 酸素マスクにいくぶんかくぐもったリーダーの声が、無線から曲芸飛行の開始を告げる。
 上空に並んだ青いイルカたちが、ギューーンと音を立てて視界を大きく右から左へ流れる。真っ白なスモークを後になびかせて、
4機揃って傾く翼は誰一人遅れない。進行しながら追い越し追い越され、下の機体がいつのまにか上に下に。時速800kmのその自由な
動きに見上げる一同の首は仰け反り、右左する。
 青空いっぱい自在なカーブの跡を残した後で、機体はいきなりこちらへ翼を見せて、ダイヤモンドの形で垂直に上空へ。
『ブレイク・スルー!』
 ドオーンと鋭い音を立てたとたんに、突然、スモークの跡が放射線状に広がった。真っ直ぐに下に、そして急カーブで上に。
扇を上下に広げたように白い軌跡を残して二手に別れ、今度は斜交いに上と下からS字を描く。スモークを止めて離れる機体の後には
大きく空に書かれた『8』の文字。レター・エイトと呼ばれる飛行だ。
 そのまま今度は靴紐を結ぶ時のように、二列の機体が相手方の斜めをすり抜けすり抜けで、空には大きな網目模様が描かれる。
その眺めに、天界航空一同はため息をついた。
「なんかマジですごいんですけど」
 旅客機の巡航速度とほぼ同じ速さで、翼を揃え、優雅に飛行。かと思えば、縦にスモーク引かせた機体が、花火がパッと開くように
四方に飛び散るアキュート・ターン。柢王があきれたような声で言うのも無理はない。鋭角度方向転換は戦闘機ならではのもので、
もとから速度が上がれば旋廻角度は広くなるのが常識。高速で走る車がいきなり真横にカーブしようとしたらスピンするのと同じことだ。
ましてや機体の周囲には常に音速に近い気流が流れていて、下手に近づけば隣りの機体が操縦不能になることだってあるのだ。
 旅客機であんなアキュート・ターンを試したとすれば、最悪機体が横Gでぽっきり折れる。
「やっぱ軽いよなぁ。それに力もあるし」
 苦笑いのように呟く柢王の声に、羨望に似た響きを聞いた気がして、アシュレイも小さくうなずいた。
 旅客機の機長の誇りとはまた別に、パイロットとして存在するからには誰もが一度は思うことだ。あんな風に、自由自在に空を飛べたら
どれだけ胸がときめくだろう。
 アシュレイにとっては空はいつでも心をときめかせてくれるものではあるし、あの高高度のコバルトの光に満ちたコクピットは
この世のどこより自由な気持ちにさせてくれるものでもあるが。
(あんな風に飛ぶのはどんな気持ちだろう──)
 真っ青な空をキャンバスのように自由自在にかけめぐるのは、一体、どんな気持ちがするのだろう。
 心臓がどきどきしてしまうのは仕方のないことだ。
 と、そんな地上には構わず、上空をかけめぐるイルカたちは、今度は合図一下、ギューンとスモークを後方になびかせて2機がU字を描く。
その後を残りのイルカが螺旋を描いて追いかけると、空にはクリスマスのステッキを逆さに巻いていくような模様が現れる。
 そして、今度は離れた4機が下で集合、
「わっ、ローリングですよっ!」
 真っ直ぐ上に昇る過程でくるくるくるっと3回転。空には4本の白いトルネードだ。その後すぐさま、ヒューンと瀧のように落下。
地上ギリギリまで真っ直ぐ落ちて来て、息を飲んだ瞬間、パッと機首を起こし、ドォーンと今度は急上昇。四方に散りつつクルクルクルっと
竜巻模様。地上にはゴォォォンと、雷の絨毯を踏むような衝撃波が響き渡る。
 そんな技、旅客機で、出来たらミラクル、パイロットは奇跡の人だが刑事犯だ。見上げるアシュレイの頬は上気して勝気な瞳も輝いている。
 パイロットのうまいへたの規準はいくらでもあるが、機体の性能やサイズ、翼の角度などいろいろオプションはあってもメインは
間違いなく腕だ、そう言い切れるテクニックの連続技だ。
 そのアシュレイの斜め横で、ティアも頬を紅潮させてその様子に見入っている。旅客機はなじみがあっても、ショーを見る機会は
パイロットよりもはるかに少ないオーナーは、いつも地上で、金色の翼の機影を見送りながら、スタッフが安全に仕事ができるように一生懸命。
 こんな風に我を忘れた顔で、瞳を輝かせて飛行機を見るのを、アシュレイは初めて見た。
 と、4機はくるり、翼を揃えて一回転。ヒューンと視界を過ぎたと思うと、今度は二機が背中併せになったバック・トゥ・バック──
背面飛行で再びくるり。背面飛行で角度を変えて、高いところで花火のようにぱっと散る。そしてまた今度は下向きのトルネードだ。
見ている方の目が廻る。
 ふざけあうイルカのようなその機体たちが、ふいにぐーんと伸び上がる。背中併せの2機がぐーんと別れてカーブを描くと、空には
大きなハートマークが浮かび上がる。そこへ、待っていたように残りふたつがすばやいロールを打ちながら、斜めから矢を射抜く。
キューピッドだ。
「すごいよなぁ」
 柢王が隣りの桂花に囁く。桂花が瞳を細めて、
「やりたくなりましたか」
 と、柢王は肩をすくめ、
「自分ひとりならいいけど、下、客だろ。んなこたできねぇよ」
 笑顔のままでさらり否定するのに、アシュレイは瞳を瞬かせた。
 見れば、圧倒されて眺める天界航空一同とは裏腹に、ジープの周りの軍の人たちはまじめな顔で空を眺めている。無線に向って冷静な声が、
『機間が広い』
 告げるのに、無線から聞こえる声も冷静に、
『4番機、間を詰めろ。もう一度だ』
 と、ギュィーンと音を響かせたイルカたちは揃って旋廻。再び、大空に大きなハートと矢が描かれるのを、地上の人たちは真顔でチェック。
なにやら書類に書きこんでいる。
 その姿に、アシュレイはそうだったと呟いた。ここへ来たのは物見遊山のためじゃない。少なくとも、ただそれだけのためではないのだ。
 航空ショーの演目は、もともとパイロットがその戦闘に必要なテクニックの粋を凝らしたもので、始めにショーありきの特別仕立てな
わけではない。コンマ一秒が生死を分かつと言われる世界で、速すぎる速度も高すぎる技術もないだろう。間違いなしにすばらしいと
絶賛される技術が、絶対の命の保証にはならない世界を、あの翼たちは飛んでいるのだ。
 複雑な思いで顎を上げると、ふとまた隊長と目が合う。思惑があるのかないのか、落着き払ったその顔に、
「あの…、あのパイロットはどうなったんですか」
 思わずそう尋ねると、隊長はこともなげに、
「氷暉は営倉にいます。来週コート・マーシャルで処遇が決定されるまでは営倉にいるでしょう」
 早い話が禁固刑。軍法会議、とは正確には簡易裁判で、その決定は軍にいるものには絶対だ。
「……聞いてもいいですか」
 アシュレイは辺りを確認してからそう尋ねた。身内は空を見上げているし、軍の人たちはアシュレイには無関心、というより、
飛行に集中していてこちらの話に聞き耳立てる様子もない。
 隊長も無線係に何事かささやくと、アシュレイを向き直り、
「あなたには知りたいことがあっても不思議だとは思いません」
 言われたアシュレイは息を整える。
 自分とは異なる現実に身を置く人の落ちつきは、しかし、アシュレイには関係のないことだ。自分の真実は自分にしか決められず、
他人の重みを背負うことはできないし、背負ってはならない。だからこそ旅客機のパイロットには覚悟がいるのだ。客の安全が大事なら、
客にどんな事情があろうと飛ばないと言い切る必要があることもあるから。
 だからそれと同じ理由で、
「俺はニア・ミスのことをいま蒸し返すつもりはありません。それに、俺もあいつがすごいのはわかります。でも、俺だったらあいつのような
奴とは飛べません。それをみなさんが平気なのは、あいつがうまいからというだけの理由なんですか」
 失礼は百も承知だ。だが、今後もこの島の空を飛ぶなら聞いておかなければならない。毎回、軍に避難する度に撃墜されるかと思う
フライトを客に与える事はできない。この隊長だってそれを心配してくれたから招待した、はずなのだし。
 と、隊長はその榛色の瞳でアシュレイの顔を見つめ、
「わかりますよ、私でもあいつと並んでは飛べませんから」
「ええぇーっ」
 幸い、叫びは轟音に消されたものの、アシュレイの仰け反りは戻らない。隊長なのにそんなこと言うっ? と、隊長は続けて、
「ただその理由のひとつには、私では足手まといが確実だ、というのもありますが。うまければいい──我々の価値観をあなたが
そう思われる気持ちもわかります。軍は確かに、技術よりも心が大事だと言えるような世界ではありません。ただ、私がヤツを飛ばせたいのは
別の理由からです。機長は氷暉の顔の傷をごらんになりましたか」
 聞かれて、アシュレイは、ああと思い出した。確か右目の上から頬にはっきりとした……。
「あれは喧嘩かなにかの傷じゃないんですか」
 思わず言ったアシュレイに、隊長は笑って、
「私も初めて会った時にはそう思いました。なにせヤツの態度の悪さは当時から折り紙つきでしたからね。ですが、あの傷は私情によるものでは
ありません。あれは空爆で倒壊した建物の下敷きになった時の名残です」
「空…爆?」
「ええ。氷暉がまだ少年の頃──かれの家族は当時、隣国との関係が緊迫化していた国に住んでいました。ある春の夜、街は突然の空爆を受け、
かれの両親を含むたくさんの死者が出ました。かれとかれの妹さんは瓦礫の隙間に守られて一命を取り留め、重傷のまま祖国に送り
戻されたのです。それからの長い病院生活の間で、かれがなにを考えたかは私の知るところではありません。ただ、かれはその後、
軍に入り、ヴィルトゥオーゾと呼ばれるパイロットとしていま、ここにいます」
 機長、と、声の出せないアシュレイに、隊長は静かな声で続けた。
「うまいパイロット、では、軍では不充分なのですよ。戦闘機がその一生に一度も敵と闘うことなく終われるのなら、それは幸せなことです。
ですがファイターがそれを前提に存在することは許されません。氷暉はコクピットにいるとき、自分がなんのためにそこにいるのかを
本当に理解しているパイロットです。自分のそのフライトがリハーサルではないことを、もしも自分が撃ち落されたら、仲間に、
そして地上になにが起きるかを、本当にわかっているエースです。そして私もチームのメンバーも、そのことだけは間違いなく
承知しています。だから我々はかれを飛ばせるし、かれと飛ぶことができるのですよ」
「…………」
 アシュレイは息を飲んだ。炎天下、頭上で自在に泳ぐイルカたちをよそに、淡々とした言葉で聞くべき話ではない話。自分が聞いても
いいかもわからない話に、ただ息をついて──何度も息をついてようやく、
「……だから、あいつは俺のこと、ちんたら飛んでるとか言ったんですか……」
 尋ねたアシュレイに、隊長は肩をすくめて、
「あいつが何を考えて言ったのかは私には理解できませんな。あいつの口の悪さは筋金入りですから。ただ、あなた方がおっしゃるような
安全なフライトを、もしファイターが馬鹿にするのであれば、それはファイターの方が間違っています。楽しく平和な空の旅──
そういったものを実現できる地上こそが、我々の護るべきものなのですからね」
 言うと、通信係に目をやり、失礼、とアシュレイに断ってそちらに戻っていく。
 アシュレイは頭と心の整理が出来ず、その場に立ち尽くしていた。
 そんなアシュレイに気づいたティアがこちらへ来る。
「どうしたの、アシュレイ、真っ青だよ!」
 心配そうなその顔に、アシュレイが口を開きかけたその瞬間──


No.162 (2007/11/09 15:08) title:氷苺
Name: (l016004.ppp.dion.ne.jp)

「う〜・・」
 痛む腹部をさすってアシュレイがうめいている。
《まだ痛むのか。守天殿に治してもらったんじゃなかったか?》
「夕べはよくなったと思ったんだ、でもまた・・ィテテ」
《また守天殿に手光でも当ててもらえばいい》
「あいつ今、会議中だ」
《なら我慢だな。ここで下手に俺が治して、守天殿の怒りを買うのはゴメンだ》
「〜〜〜〜氷暉の弱虫・・・・うぅ〜なんか、寒くなってきた」
 鈍痛に顔をしかめ、アシュレイはベッドに深くもぐりこんだ。
 それからしばらくの間「使えねぇ奴だ」とか「冷血魔族」とか、言いたいことを言っていたが、やがてその独りごとが止み、辺りが静かになる。
 様子を見ようと氷暉は彼の汗と共に外へ出た。
《寝たのか》
 鼻がつまっているのか口で息をしている顔は紅潮している。呼吸も速く、胸が大きく上下していた。
《かなり熱が上がってきたな》
 守天でなくても、使い女が来てくれれば・・・・いや、彼女たちは呼ばない限りこの部屋に入ってくることはないだろう。
 サイドテーブルに置いてある水差しから、氷暉はひとくち分の水をアシュレイの口元へ運ぶ。
「・・ん」
 ほんの少量、注いでやると焦れたアシュレイが赤い舌を出して催促してくる。
「もっと・・・くれよぉ・・・」
《待て、少しずつだ。慌てて飲むと咽る》
 氷暉がそう言うと、不満そうに口を尖らせたもののアシュレイはこくりと頷いた。
 勿体をつけるつもりなどなかったのだが、意識の朦朧とした彼が、水が欲しいあまりに自分の言うことをきくのが面白く新鮮だ。
《もっと欲しいか》
「・・・・くれ・・」
《ください》
「・・・くだ、さい」
 気を良くした氷暉が再度水を含ませてやる。
 アシュレイはわずかしか与えられない水に痺れを切らして半身起こそうとしたが、すぐに倒れこんでしまった。
《無理をするな。ホラ、もうひとくちだ》
 ドサクサに紛れその熱い唇を盗んだのだが、当の本人は全く気づかない。当然といえば当然のことだろう、水なのだから。
 それをいいことに、氷暉は何度も彼の唇に触れた。
《―――――もういいか?》
「ん・・・・・カキ氷食いてぇ・・・」
《腹痛のくせに何を言ってる》
 分かってるけど食いたい。とぼやいて、アシュレイはそのまま小さな寝息をたてはじめた。
 無防備な寝顔を見つめていた氷暉は水差しの横に置いてあった手巾に水を浸すとアシュレイの額にのせてやる。
 看病をするなど、久しぶりの事だった。昔は水城の具合が悪くなった時こんな風に面倒を見ていたが。
『・・・水城・・』
「・・・・だいじょぶ・・・俺が・・・朱光剣で・・・・・」
 起きていたのか?と、驚いて顔をのぞき込むが変わらず寝ている。
『まったく、お前という奴は』
 破顔して、氷暉はそのままティアが戻ってくるまでアシュレイの枕もとにいた。

 1時間後。
「アシュレイ!また具合が悪くなったの?!・・・・熱があるね。気づかなくてごめん・・・・ああ、すごい汗。枕までビショビショだ―――――すぐ楽にしてあげるから着替えようネ♪」
嬉々としてアシュレイの服を脱がしにかかる守護主天に、なんとなく胸がむかつく氷暉なのであった。


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